こんな記事があった(この記事自体は事実を述べているだけで悪くない。念のため)。

・経済界が教育に期待する能力・人材とは?

http://blogos.com/article/104497/

記事の中で経済界が教育に期待する能力をたくさん挙げている。本当にもう、たくさん。お腹いっぱいなくらい……。

だけど、「これからの時代はこんな能力が必要だ」とかなんとかいう議論を聞くたびに思うことがある。そう言っている大人自体がそもそも「生きる力、足りないんじゃない?」ということだ。

 

ちょうど昨日、こんなことをフェイスブックに書いたところだった。TEDで「TED風に頭良さそうにしゃべる方法」みたいな皮肉なスピーチがあって、それが面白かったから。

 

以下、フェイスブックの投稿>>

プレゼンを実際より2割増し・5割増しで魅力的に見せるスキルは比較的短期で習得できる。一方そういうスキルに騙されない「眼」を育むには時間がかかる。それこそ教養が問われる。

前者はビジネススクールですればいい。後者は教育がしなくちゃいけないこと。本質的にどちらが重要か、どちらを優先することが社会にとって有益かは自明。

そういう皮肉としてこのプレゼンは素晴らしい。

「日本人はプレゼンが下手だ」というのももっともなのかもしれないけれど、その前に、多くの大人が小保方さんのプレゼンにころっと騙されてしまったことのほうがまずいわけですよ。。。

http://tedxtalks.ted.com/video/How-to-sound-smart-in-your-TEDx

<<以上

 

ついでに、以下、編著した『生きる力ってなんですか?』の「おわりに」に私が書いた文章を載せちゃうことにする。

 

以下、引用>>>

 本来、子どもたちが、たくましく生きる力を身につけるために必要なのは、たくましく生きているお手本となる大人を見ることではないでしょうか。大人たちに「生きる力」がみなぎっていれば、子どもたちだって自然にそれをまねて、自分のものにしていくのではないかと私は思います。しかし今、ことさらに「生きる力」が足りない、「生きる力」を身に付けさせなければいけないといわれているということは、そもそも「生きる力」を備えた大人が少ないということではないでしょうか。

 「これからは英語が必要だ」、「ITリテラシーも必要だ」、「偏差値よりも思考力だ」、「ディスカッションやディベート能力がないとこれからのグローバル社会では生きていけない」などと、大人たちは自分たちの未来予測に基づいて、もっともらしいことを言います。しかし、もしその未来予測が外れたら子どもたちが生きていけなくなるのだとしたら、それは本当の「生きる力」とはいえないはずです。「生きる力」という言葉には、「どんな世の中になっても生きていけるための力」というニュアンスが込められているはずです。

 大昔においては、狩猟のスキルが生死を分けました。農耕のスキルが最重要だった時代もあります。戦いのスキルが求められた時代もありました。そして現在……。時代によって、生きていくために必要なスキルは変わります。しかもその変化は現在加速度的に速くなってきています。つまり、未来予測は大変困難。「生きるためにこれとこれが必要だ」と教えてもらうことでは「生きる力」は身に付かないのではないかと思います。その場その場で自分が生きていくうえで必要なものを自分で見極めて、どうやったらそれを手にすることができるかを考え、そのための努力を続けることができる力こそが「生きる力」の正体であるといえるのではないでしょうか。

 7人の識者の答えはそれぞれでしたが、共通するのはそういうことではなかったでしょうか。つまり、「これが生きる力であって、こうすればそれが手に入るということは言えない。それを自分で考えられるようになることが『生きる力』を身に付けることになるのだ」というメッセージです。

 その意味では、「自分は英語ができなくて悔しい思いをしたから、お前には同じ思いをさせたくない。だからとにかく英語はやりなさい」と親が子に言うのは「生きる力」を授けることとは真逆のメッセージではないかと私は感じます。小さいころから英語を勉強して、流暢な発音を身に付けることが「生きる力」になるのではなく、英語が必要だと感じればただちにそれを習得し、中国語が必要だと感じればただちにそれを習得することができる力を携えさせることこそが「生きる力」になるのだと私は思います。それなのに、今の教育議論は、「子どもに何を教え授けるべきか」がばかりに終始しているように思います。

 最近よく言われる「グローバル人材」に必要な力も、本質的には「生きる力」と同じなのではないでしょうか。

 グローバルに活躍するということは、日本という足場を離れ、文化も価値観も生活様式も異なる人々と渡り合うということです。常に「アウェイ」の状態で力を発揮しなければいけないということです。そのような状況になってから、「あれが足りない、これも足りない」と不平を言っても始まりません。常に何かが足りないという前提で、ベストを尽くすことができなければなりません。とりあえず手元にあるものだけで強大な困難に立ち向かうことができる「知恵と度胸」こそがものをいうはずです。

 そう考えると、「グローバル人材になるためには、あれとこれが必要だ」という発想自体、「グローバル人材的」ではないと私は思います。むしろ「手元には一本のナイフしかない。これを使って、森の中でどう生き延びる?」というようなことを考える訓練を積むことこそが、グローバル人材に必要な力の育成には重要なのではないかと私は思います。その意味で、原始の森の中で生き抜く力と現代のグローバル社会の中で生き抜く力との間にはさほどの差はないのだと思います。

 急速な社会のグローバル化を前にして、「グローバル人材にならなければいけない」「もっと強力な生きる力が必要だ」と慌てふためいているのは、「自分たちの経験則がもう役に立たない」と感じている大人たちです。だからといって子どもたちにあれもこれもと教え込もうとするのは、子どもからしてみればありがた迷惑かもしれません。あれもこれもと与えすぎることは、逆に子どもたちの「生きる力」をそぐことになりかねません。

 教育とは本来、どんな世の中になっても生きていけるための力を子どもたちに携えさせていく営み。それ以上でもそれ以下でもありません。「生きる力って何ですか?」という問いと向き合うことで、そのことが再確認できるのではないでしょうか。

<<<以上


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