最近、男性学の田中俊之さんが注目されている。僕もファンだ。やはりきちんと学問として考えている人は、視点が違う。視野が広く、かつ、筋の通った話を聞いていると安心感がある。こういう人が出てきてくれたことが、とてもうれしい。この数年、ちょっとした危機感があったからだ。

イクメンブームはいいのだけど、一方で、思い込みだけで男性の育児を語る人たちが増えてきた。子育てや教育は、全人類がそれなりに当事者だから、一応誰でも語ることができてしまう。でもそこに危うさがある。本人も気づいていない思い込みや非理性的な信念に支配されやすいから。それに自覚的になれるような教育や訓練を受けたことのない人が、大きな声を発すると、世の中をミスリードする危険性がある。

だから、今年、「情報発信するパパたちのための読書会」というのを開始した。メンバーは6人。2カ月に1回、課題図書を読んで、予習してくることが前提だ。そしてそれぞれがその本をテーマにして10分くらいのプレゼンテーションを行い、意見交換する。課題図書はほとんど学者が書いた本。論文ではなく、一般の人向けに書かれた本だけれど、エビデンスが豊富などちらかといえば堅めの本。300ページから400ページあるものばかりで、2カ月おきとはいっても、読むだけでも結構大変だ。でもそれを読んで集まると、みんなの知識レベルや意識レベルがそろって、議論が深まりやすくなる。

ときどき「パパたちで語り合おう」みたいな会が開催されることはこれまでもあった。僕も何度か参加したが正直、あまり面白くなかった。知識レベルも意識レベルも違う初対面の人たちが、お互いの育児や家族のことを話したところで、議論にはならないからだ。

まず場をとりもつ共通項がない。だからよく、パパたちの集まりではお酒が入る。昼間だとわざわざノンアルコールビールを買ってきたりする。まあ、リラックス効果はあるのだろうけど、本質的ではない。話し出せば本音トークはできるのだけど、かといってやはり議論は深まらない。お互いに「いいね!」を100回ずつ押し合っておしまいみたいな社交辞令的な会になってしまう。共通する議論のベースがないから、建設的な議論にならないのだ。

※女性はママ友を作るのが得意なのに、男性が「パパ友の会」みたいなものを継続的にもつのが苦手な理由については、「パパ友の輪はなぜ広がりにくいのか」で書いたとおり。

しかし、本というツールがあることで、議論のベースができる。だから建設的な意見交換が可能になり、それぞれの視野が広がる。これが本当にディスカッションだと思う形ができた。回を重ねるごとに、議論が深まっていく。みんなの視野が明らかに広がっていく。洞察も深まっていく。私生活にも少しずつ変化が起こり始める。そしてそれに気づくことができるようになる。

つい先日、某テレビ番組の人が下取材のためにその会の終わりにやってきた。「最近の家庭ではこんなトラブルがあるらしいのですが、どんな解決方法があるでしょう?」みたいなことを聞かれたのだが、メンバーは一様に「?」という顔を浮かべた。「それ、トラブルですか?」「そもそも前提として……」みたいな反応だった。正しい知識と意識をもち、視野が広がると、それだけで、表面的な「問題や悩み」が、本質的な「問題や悩み」でないことに気付けるようになるのだ。

読書会の数時間だけでその進化が起こるわけではない。読書会で得たものを、普段の生活の中で、妻との関係、子どもとの関係、同僚との関係、地域社会との関係の中で実践していくことで、雪だるま式に人間的成熟が促進されるのだと思う。

集まるごとに「場の空気」が濃密になっていく。そのために、最初から、人数を固定の6人だけとした。それ以上だと議論が散漫になるから。そして、途中からのメンバー追加もなしとした。知識や意識のレベルが違う人が途中から入ってくると、せっかく圧を高めてきた「場の空気」が抜けてしまうと考えたから。閉鎖的に感じるかもしれないが、間違っていなかったと思う。要するにパパ同士の集まりを継続していくには、お互いを認め合うチームをつくることが大切なのだ。これは男子校の教育からヒントを得て考えたアイディアだった。

あと2回で1年間のプログラムが終了する。その後は未定だ。もしかしたら、課題図書を増やし2年目に突入するかもしれない。そして僕が望むのは、初期の6人のメンバーがそれぞれにのれんわけをして、読書会を開くこと。いい意味でネズミ講的に広がっていくことを期待している。そうやってオピニオンリーダー的な人たちが正しい知識と意識をもっていけば、案外ビビッドに世の中は変わっていくのではないかと思っている。