仕事柄、本はたくさん読みます。
本棚もたくさんあります。
でも、本棚ばかり増やしていくわけにもいかないので、年に一度、あふれんばかりの本をダンボールに詰め込んで、納戸にしまいます。
本はどんどん増えてしまいますね。
電子書籍が流行るわけです。

でも、電子書籍になってしまった場合に、とっても残念な、「失われること」があると思うんです。

私の父は、10年前にクモ膜下出血で倒れ、以来、要介護3。
体は元気なのですが、前頭葉が傷ついてしまったので、人間らしい思考ができません。
記憶の出し入れができません。
5分前に食べたものも忘れてしまいます。
私が息子であることもわかりません。
私の妻のことも誰だかわかっていません。

父は目の前にいますが、もう、父から父としてのメッセージを受け取ることはできません。
自分だって、いつそうなるか、わかりません。

そんなとき、私の本棚が、私の代わりに、子どもたちにメッセージを伝えてくれるのではないかと思っています。
仕事の本がほとんどです。
でも、本棚の一角に、座右の書ではないけれど、自分の好きな本ばかりを並べたコーナーがあります。
その中には「子どもが大きくなったら読んでほしいな」と思う本も何冊かあります。
「君たちはどう生きるか」「かもめのジョナサン」「武士道」「アルジャーノンに花束を」「悪魔の辞典」「青い鳥」「アルケミスト」「森の生活」・・・。

いつか、私が子どもたちに直接メッセージを伝えられなくなるような事態が発生したとき。
それがいつかはわかりません。
子どもが大きくなってからなら、ラッキーです。
子どもが未だ小さいうちに、伝えたいことのこれっぽっちも伝えられていないときに、その日はやってきてしまうかもしれません。

そのとき、残された家族は、子どもたちは、私の本棚を整理するでしょう。
そのとき、古くなって変色して、所々汚れ、すり切れた本を見つけると思います。
そのうち数冊でも読んでくれるかもしれません。

そして、「パパはこういう本が好きだったんだ。パパはこういう人だったんだ」って、改めて感じてくれると思います。
父親が(母親もですが・・・)子どもに直接言葉で伝えられることって、意外に少ないんじゃないかと思います。
伝えきれなかったことを、私よりもよほど雄弁な書籍が、私がいなくなっても、時を超えて子どもたちに語りかけてくれる。
もしかしたら、孫にだって伝わるかもしれません!
実際、私の祖父が亡くなった後、私は祖父の書棚から何冊も本をもらい、自分のものにしました。
私は自分の本棚に、そんな期待を寄せています。

電子書籍として、電子端末の中に入れられた本では、そんなことは期待できません。
手にしたときにそれぞれの重さがあって、時間とともに傷み汚れ、かすかに昔の香りが残る。
電子書籍と違って、本棚に並ぶ書籍は、まるで生き物です。
ただし、人間よりだいぶ長生きです。
歳をとって、言うことが変わったりもしません(笑)。

いい本に出会えたとき、「これでまたひとつ、メッセージを残せる」というしあわせな気持ちになります。