7/8に「妖怪とインドと生きる力」というふざけたタイトルで講演を行った。
タイトルはふざけているけれど、中身はまじめ。
対象は企業経営者。つまり社長さん達。
普段、ママ向けやパパ向けの講演をすることは多いけど、こういうケースは珍しい。
社長さん達が現役のパパやママであるというケースももちろんあるのだけど、社会を牽引するリーダー達に、子育てや教育関連のお話をして、視野を少しでも広げてもらえたら、インパクトは大きい。
テーマを絞らず、経営者の方々に知ってほしいことを脈絡なくぶつけてみようとおもったら、こういうおかしなタイトルになったってこと。

講演の内容をかいつまんで。

1 ワーキングマザーといってもいろいろなタイプがある
たとえば積極的ワーキングマザーと消極的ワーキングマザーのように、モチベーションや仕事に対するスタンスにはかなりの幅がある。
それなのに、ワーキングマザーというひとことでくくられるからミスコミュニケーションが生じる。
経営者のみなさんには、「どこまで働きたいのか、モチベーションは何なのか」など、ワーキングマザーとよく話し合って、お互いの期待がずれないようにしましょうと呼びかけた。

2 男性の育休をより現実的に考える
男性の育休取得率が低迷を続けている。現実的には難しいのだと思う。
企業経営者からしてみても、よほどの大企業でもない限り、短期的にはかなりの傷手となることも間違いない。
そこで提案したいのは、何が何でも育休を取ることがいいと考えるのではなく、たとえば妻が職場復帰した直後の数週間だけでも、午前中の在宅勤務を認めるとか、時短勤務を認めるとかいうイクメンのための多様な働き方を認めるということ。
職場復帰したママ達が困るのは、まだ自分自身が久しぶりの職場でテンパっているというのに、火に油を注ぐように保育園から緊急のお迎えコールがかかってきたりすること。そこでママがお迎えに行くのではなく、パパが動ければ、ママの職場復帰は少しでもスムーズになる。そういう観点で、男性の育児参画を促進すれば、そのうち育休取得率も上がるかも知れないという話。
そのことは過去にブログにも書いた。
「育休よりも大事なこと」

3 昭和の専業祝は世界遺産である
昭和には家庭内分業制度が確立した。すなわち男は外で仕事に専念し、女は家を守ることに専念するといこと。
その結果、専業主婦という職業が生まれ、これが究極的なプロフェッショナルに育った。
和食も中華も洋食も、どんな料理でもプロ級に美味しくできて、縫い物も、掃除もプロ級だなんて人たちは世界中を探してもなかなかいない。世界遺産に登録してもいいんじゃないかというくらい。
で、それを共働きで目指すと言うこと自体が間違いということ。
「手抜き家事」などというけれど、今のひとたちが手抜きなのではなく、昭和の専業主婦の家事のレベルが「手が込みすぎていた」と考えるべき。
そうしないと仕事と家事なんて両立できるわけがない。

4 理想のイクメン像に踊らされない
世の中のほとんどの対人関係の悲劇は、期待しすぎることで起きている。
男性の育児に期待するのはいいけれど、期待値が高ければ高いほど、がっかり感も大きくなる。
相手に期待して、その結果に一喜一憂するということは、相手に依存しているということ。
そういう状態はよくない。

5 妖怪にご用心
街中で子どもに対してキーッとなっちゃっているママを見かけることがある(パパもあるけど)。
あれはその人がもともとそういう人なのではなくてイクジヅカレという妖怪に取り憑かれてしまっているだけ。
妖怪を追い払えばもとの優しい笑顔に戻ってくれる。
妖怪イクジヅカレを追い払うには、あいづち、いたねぎ、オウム返しという3つの技がよくきく。
パパに余裕があればママに取り憑いた妖怪を追い払ってあげられるのだけど、パパにも妖怪が取り憑いてしまうことがある。妖怪シゴトヅカレ。
こうなると家の中は妖怪大戦争。
それを防ぐために、パパ達は会社帰りに居酒屋という神社に立ち寄る。
そこで御神酒をいただいて妖怪を追い払う。
(ときどき巫女さんがお酌してくれる神社もあるけれど、そこにいくと初穂料が一ケタ高くなるので、ご注意を。)
でもそれだけじゃママからしてみれば「ずるい!」というはなしになる。
だからといってお互いに我慢をするようではダメ。
夫婦で我慢大会をしてもいいことない。
「ずるい!」ではなく「私も神社に行く!」というのが正解。
お酒が好きなら居酒屋でもいいし、エステでもいいし、マッサージでも映画館でもいい。
上手にストレスをリリースするのは自分の責任という話し。
夫婦喧嘩の火種を投げつけるのは相手の些細なひと言かもしれない。
でもそのちょっとした火種から引火して、大爆発を起こしてしまうのは、自分の心の中にストレスという火薬がため込まれてしまっているから。
火薬をこまめに捨てるのも自分の責任。大人なんだから。

6 上手な夫婦喧嘩の心得
・勝とうとしない
・仲直りまでが喧嘩
・まとめようとしない
喧嘩の目的は相手を叩きのめすことではなく、相互理解。
お互いに本音を言い合ったらおしまいにする。
その場で結論は出さなくても、無意識野歩み寄りで問題はいつの間にか解決します。

7 生きる力ってなんだ?
生きる力の中でも学力面のことに限って言えば、結局のところ教養が最重要ということになる。
教養とは身につけるものではなく、自分らしさの一部となった知識や経験のことを言う。

・最適解=複数の法則を組み合わせて見つける正解。瞬時に複数の法則を組み合わせて正解にたどり着く反射神経=教養

・教養=ものごとを正しくとらえる眼力=未知の状況にとっさに正しく反応する力

・教養があれば、自分の力を自己実現だけに利用しなくなる

・教養=身に付けた知識が自分の体の一部に溶け込んで、その人らしさの一部なったもの。食べた豚肉が自分の血となり肉となるようなもの。

・アインシュタイン「学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ」

・福沢諭吉「世界万物についての知識を完全に教えることなどできないが、未知なる状況に接しても狼狽することなく、道理を見極めて対処する能力を発育することならできる。学校はそれこそをすべきところであり、ものを教える場所ではない」

・眼を鍛えるのは主に勉強。理科=身の回りのことにも法則が働いていることを知る、社会=身の回りのことにも因果関係があることを知る、国語=思考のOS、数学=論理力、プログラミング力、幾何・漢文=法則を見出す能力→論理的思考力、課題発見・解決能力

・「血気盛んな若者より分別のある大人のほうが生きる力はある」

・教養を増すには、場数。でたらめな素振りは何度やっても意味がない。

・野球の素振り、剣道。

・知識の詰め込みは筋トレ。筋肉をなめらかに活用する訓練が必要。

・受験勉強は教養を身に付けるのに最適

・中央教育審議会は、「生きる力」→「社会を生き抜く力の養成」。→グローバル社会=常にアウェイ=常に万全ではない=グローバル人材になるためにこれとこれが必要というせこい発想自体がグローバル人材的ではない。世界市民としての視座には立てない


8 インドの教育
インドでは公立の小学校でも中学受験の入試問題のような問題を解いている。グローバル人材だ何だというのなら、英語力よりもそこで差がつくことのほうが大きいんじゃないかという話。

と、おおざっぱに言うとこういう話を約1時間につめこんだ。
自分としてもなかなかやりきった感のある講演だった。
そして翌日倒れたわけ。