長く言われている少子化現象について、書いてみたいと思います。
もろもろの調査によると、子どもを産むことのネックになっているのは、将来的な不安も含めて、経済的な問題であることは明白です。

いつリストラされるかも分からない、給料が上がる保証がどこにもない中で、若者が子どもを産もうとは思えないのは当然です。
(一方で、頭では「子どもを産める状態じゃない」と考えつつ、本能的に子供を作ってしまうのが「できちゃった」って状態なのかなとも思います。そっちは増えています。)
もっと過激に言えば、「子どもがいないほうが有利に稼げる構造の社会」でもあると思います。

理由は2つあると思います。
1つは、終身雇用制の崩壊と、間違った成果実力主義の蔓延です。
もう1つは、子どもの私有化です。

今週はまず終身雇用制の崩壊と成果実力主義について書こうと思います。

話しをシンプルにするために原始時代に例えて話しします。

マンモスを狩って生活していたような、原始時代です。
ある部族でマンモスを狩りに出かけました。
部族全体の存続をかけた大事業です。
ある、もう盛りを過ぎた子だくさんの男性は、豊富な経験からマンモスのいそうな場所をかぎ当てました。
同じく盛りを過ぎた子煩悩な男性は狩人たちから逃れようとするマンモスをうまく足止めしました。
チームワークでマンモスを追い詰めました。
そして最後、筋骨隆々で部族の若い女性からもモテモテの、今最高に脂ののっている独身男性が、勇敢にマンモス飛び乗り、最後の一撃を食らわし、巨大なマンモスは轟音を立てて地面に倒れました。
男たちは巨大なマンモスに祈りを捧げ、その場で解体し、家族の待つ村まで肉を担いで帰りました。
村には腹を空かせた女・子ども・老人が待っています。

さて、問題です。
村が栄えるためにはマンモスの肉を各家族にどんな風に配分するのがいいでしょうか。
1 一番の活躍をした若い男性にその「成果実力」に見合うだけの大量の肉を渡し、マンモスを足止めしたり、肉を解体したりしただけの地味な仕事しかしなかった男たちには少量の肉しか渡さない。
2 狩りでの功績に関係なく、家族の人数に従って肉を分配する。
子どもがたくさんいる家族には、堅くて美味しくはないけれど、食べ応えのあるおしりの肉を大量に渡す。老人のいる家庭には柔らかくて栄養価の高い内臓を渡す。ど派手な活躍をした若者には、美味しい肉を一人分渡す。ついでに“食べられないが、腐ることなく永遠に名誉の証しとなる”牙をそっくりそのまま渡す。若者はそれを名誉として独り身の家の前に飾る。

1の方法では、若者が食べきれないほどの肉を得て、それを目当てに集まる若い女性に子どもを産ませるくらいのことはできても、そのほかの子どもたちは育たず、村は滅んでしまいます。
2の方法なら、若者の名誉は保たれ、村全体としても繁栄することができそうです。若者は頼れるリーダーとなり、村人たちも彼を慕うでしょう。

日本もバブル後、成果実力主義を採用する会社が増えました。
成果をあげた者、実力のある者が、正当な「評価」を得ることは当然のことです。
しかし、その「評価」とは何なのでしょうか。
優れた成果実力に対して与えるべきものは何なのでしょうか。

「成果実力」に対する「評価」が、「得る肉の量=(お金)」になってしまったことが不幸の始まりではないかと思うのです。

「成果実力」に対する評価は、「名誉」であればいいはずです。
肉ではなくて牙でいいはずです。
それなのに、バブル時代に資本主義が行きすぎたことにより、物事の価値はすべて「お金=肉の量」に置き換えて測定されるようになりました。

結局、一部の派手な働きをしたものだけが肉を独り占めするような社会では、社会全体は滅んでしまいます。
単純に考えて、ある社会において、それが国という単位でも、部族という単位でも、家族という単位でも、「得るべき肉の量=生きる糧=お金」は、人の頭数だけ必要ですから。(この事については来週以降、「企業の営業目標の設定方法」というテーマで、改めて詳しく書いてみたいと思います。)

それよりはまだ「終身雇用」「年功序列」の社会のほうが理にかなっているように思います。
(ただし、子どもが独り立ちしたら、その家族にはもうたくさんの肉は必要ないでしょう。そうしたら、肉の配分を減らせばいいのです。かつての日本の「終身雇用」「年功序列」は、年をとればとるほど、いつまでたっても給料が上がっていくというのがおかしかったのです。)

以上が、「成果実力主義」が、少子化現象を起こし、日本を停滞させていると考える僕の論旨です。
経済の専門家でも何でもなく、ただ、「父親の視点」から見た社会考察ですから、一笑に付していただいてもかまいません。

さて、ここからは来週の予告です。
もう一度原始時代の部族生活を想像しながら読んでください。

子どもを育てていれば、それだけ時間も体力も必要です。
体力も時間も有り余り、「狩り」のことばかり考えていられる若者のほうが高いパフォーマンスを上げるのは当然です。

しかし一方、子どもは部族を存続するための宝です。
社会全体にとっての大事な宝物を育てている価値を評価されず、狩りの場での活躍だけを評価されていれば、社会的アンバランスが生じます。
それが今、日本に起きている状況ではないかと思います。

「子どもは社会にとっての宝」つまり、子どもは自分だけの子どもではなく、社会全体にとっての大切な存在であるという思想。
その思想の崩壊が「子どもの私有化」です。
これが少子化だけでなく、教育格差問題の根本にもなっていると思います。
これについて、来週書きたいと思います。
乞うご期待。


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