買ったままずっと読んでいなかった「笑う介護」という本を読んだ。
取材に向かう電車の中で40分ほどでさらっと読めた。
笑う介護。―ツライ日々を変えたのは「笑い」の最強パワーだった (sasaeru文庫)/松本 ぷりっつ

¥590
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結論から言うとまったく笑えない。

著者自身、「喜怒哀楽でいえば5%、45%、45%、5%」と表現するように、
笑える部分を無理矢理見つけている、無理矢理笑えるように書き立てている姿勢が
ことさら読者をつらくする。

その意味で、育児系の媒体ではよくお見かけする松本ぷりっつさんの漫画はほとんどとばして読んだ。
松本ぷりっつさんも、育児も介護もしているのかと思ってこの本を手に取ったといういきさつがあるので、マーケティング戦略としては成功だと思うが、本の構成としては失敗ではないかと思う。
そして、本の最後のほうに「この本を読んだあなたが、一瞬でも介護のことを考えてくれたらうれしい。なぜならその日は突然やってくる…云々」という下りがある。
でも、介護とまったく関係ない人がこの本を読むことはないと思う。
介護のつらさを知っている人が「どうやったら笑えるんだ?」と思って手に取るのだと思う。
その意味で言うとターゲットを完全に読み違えている。
そして、介護のつらさを知っている人からするとこの本は笑えない。
「やはり介護はつらいものなのだ」ということを改めて確認するだけだ。

だからといってこの本がだめなのないのではない。
僕としてはこの本を読んで良かった。
やっぱりそれが介護だと改めて確認できたようで、ほっとしたのだ。
できることならこの著者と話したい。
とっても似た思いをしていると思う。
お互いに思いを共感できたらいいと思う。

著者の家庭の状況は我が家に酷似している。
父親が50代のうちに脳出血により要介護となる。
世話をしていた母親が癌になる。
うちの場合は母はすぐに亡くなったが、「笑う介護」では回復したという違いはある。

脳出血により脳が壊れ、トンチンカンな言動を繰り返す父親の姿はうちのじいちゃんに近いと思う。
元旦の初詣徘徊なんてエピソードに至っちゃ、まったく同じ事をうちでも経験している。
でも、たぶんうちのじいちゃんのほうがトンチンカン度合いはさらに進んでいると思う。

「笑う介護」の中では著者が父親の首に手を回す修羅場がある。
トンチンカンなのはしょうがないと思っても、怒りが抑えられないときがある。
それはたぶん実の父親だからこそなおのことなのだと思う。
たぶん他人の老人が同じ事をしてもここまでは怒らない。
教育業界では、他人の子どもには勉強を教えることができても、
自分の子どもに教えるのは難しいとされる。
身内を相手にしている場合、相手に対しての思い入れ、感情移入、期待がある分、
「なんでそんな簡単な問題が分からないの!」となってしまいがちで、冷静ではいられないからだ。
身内の介護も同じ理屈で辛いんだと思う。

この間テレビで、やはり脳にキズを負った人の看病をしていた妻が癌になってしまうというドキュメンタリーを見た。
よく、「老々介護」というが、かなりの確率で「癌老介護」になっているのではないかと思う。
介護の費用を浮かせるために、政府は在宅介護を前提として話を進めているようだが、
そんなことをしたら、癌の医療費が跳ね上がるんじゃないかと思う。
介護とはそれほどまでに危険なミッションだと思う。
「トンチンカンな老人を相手に怒ったってしょうがない」と、怒りをうちにしまい込みがちになるからだと思う。

「笑う介護」の著者はうつ傾向になり、心療内科にかかるようになる。
僕の場合は自分自身が心理カウンセラーなので、ある程度自分の心の状態を客観的に観察して、
自分で自分をある程度メンテナンスできる。
このブログでときどき毒を垂れ流すのもそういう目的がある。
でも、普通の人はそうはいかないだろう。
ため込んだものって癌になりやすいのだと思う。
ストレスを感じているとき、僕の場合は横隔膜のあたりになんだかぼやっと熱い感じのものが漂っているような感覚を味わう。
今もその感覚がそこにある。
それが癌の元なんじゃないかと思うことがある。
亡くなった母は常にそれを抱えていたんじゃないかと思う。
だからその存在をそこに感じたときには遠慮せず毒を吐くことにしている。

さすがに子どもは大丈夫だろうけど、ママが危険だ。
放射能よりも恐い。
介護のストレス。