震災以降の違和感について。続き。


両手を挙げてのキャンペーンは得てして危うい。
いちどキャンペーンに取り込まれてしまうと、人々の考え方が集約され多様性がなくなり、思考停止状態に陥る危険性がある。

たとえば環境問題がわかりやすい。
「CO2の排出量を減らしたい。しかし、GDPは伸ばしたい」
この社会は小学生が考えても無理と分かる課題に取り組んでいた。
本気でCO2排出量を減らすなら、GDPを縮小しても人々が幸せに暮らせるような社会をデザインするという方向に進むべきなのに、そうはなっていない。
だから原子力への依存度を高めた。


温暖化ももちろん良くない。危険だ。
しかし、常に一触即発の危険をはらむ原発を増やすことのほうがよほどリスクが高いと思うのだ。
「このままでは地球が汚れる。数十年後には住めなくなる」というキャンペーンを推進すればするほど、原発推進派が勢いづき、結果、「一瞬にして原発が環境を汚す」。
あまりに皮肉ではないか。

一見なんにも悪いことをしていないようにみえる「温暖化防止キャンペーン」にもそんな負の側面があった。
温暖化防止がいけないんじゃない。
「経済活動が低下してもいいから温暖化をくいとめようという覚悟がないのに叫ばれる都合のいい温暖化防止キャンペーン」はすなわち「原発推進キャンペーンに通じる」ということだ。
そのことにみんな気づいていたはずなのに、気づかないふりをした。
温暖化防止キャンペーンに対し、ネガティブなことをいうと、みんなから非難されるような雰囲気があった。
それと似た空気を、今の「経済を回そう!」「経済復興だ!」というムードに感じるのだ。


経済≒資本主義と原子力は今や切っても切れない関係にある。

資本主義社会では、資本のある者はどんどん儲けていいことになっている。
でも、自然の摂理では、生きるのに必要以上のものは採取してはいけないことになっている。
タブーを犯せばバランスが崩れ、一度すべてが崩壊する。
それが自然の摂理だ。

江戸時代のリサイクル社会は今よりもっとサステイナブルだった。
限りある資源を有効に利用する里山のシステムはまさに半永久的なシステムだった。
アメリカンインディアンは7代先(200-300年先!)までのことを考え、判断することを「叡智」と呼んだ。自然界から必要以上に搾取することを厳しく禁じた。農耕すら禁じた。自然と共存するために、自制する。そのことこそを「知恵」と呼んだ。
きっと縄文時代にもそんな知恵があったんだと思う。
幸せ大国と呼ばれるブータンなどは経済よりも幸せということを国の政策に掲げている。
それは文明が後退するということではないだろう。


資本主義社会が成長するには糧となる資本=お金=資源が必要だ。
資本主義社会は地球の表面の資源ではことたりず、地中の燃料(石油)を糧にして成長した。
それでも足りなくなり、原子力を利用しはじめた。無限のエネルギーだ。


それが不自然な営みであることは誰が見ても明らかだ。




じゃ、どうすればいいの。


無限の「物」を生み出すことにお金=資源を使うのではなく、
限られた物の中でも無限のしあわせを感じることのできる「知恵」を育てることにお金=資源を使う。
「教育」だ。
目の前の社会で勝ち残るためのスキルを身につけさせるのではなく、
100年後、1000年後の未来を想像しながら今を生きる「知恵」を持つ人間を育てる教育。
国ありきの社会主義でもない、経済ありきの資本主義でもない、知恵ありきの教育主義社会。

経済やお金や物質が不必要といっているのではない。
景気対策も雇用対策も大切だ。
だけど、わかりやすい例を挙げればこういうことが言えると思う。
景気対策や雇用対策によって創出された雇用の枠に、優秀な外国人が入ってしまう現状がある。
外国人だからと差別するつもりはない。
優秀なら外国人だろうが日本人だろうがウェルカムだ。
問題は、優秀な日本人を育てるしくみができていないのに、目先のことに躍起になって景気対策や雇用対策ばかりやっていては、この社会の先はないということだ。
そのあたりの優先順位を見直そうといっている。



今回の大災害は、私たちに「今、どうするか」だけではなく、
「これから、君たちはどう生きるか」という問いを突きつけている。

被災地の方々は「今」だけで精一杯だろう。もちろん彼らの「今」を支援することは必須だ。

しかし、直接的な被害を免れた人が「今」にばかり気をとられていては、「これから」がおろそかになる。
直接的な被害を免れた人々こそ「これから」のことも考えはじめなければいけない。


PS
さっき、これを書き終わってからちょうど日曜討論を見た。
内橋という経済評論家が「オール電化は原発推進」「経済復興より人間復興」など言ってくれていて、上記のようなことを考えている僕としては気持ちが良かった。
元経済財政担当相の大田弘子さんは、「(経済を回すために)法人税の引き下げ」などと、過去の成功体験にとらわれ、過去の価値観の枠組みの中で話しているとしか思えない発言をしていたが、すかさずその内橋さんが「私はまったく反対です。今日はその話がテーマではないのでこれ以上言いませんが」とばっさり。それも見ていて気持ちよかった。
そういう発言が多い大田さんには荻原博子さんが噛みつくシーンも。
分かっている人(と僕が思える人)が意外と多くいて、ちょっとほっとした。