『ザリガニの鳴くところ』(ディーリア・オーエンズ 友廣純訳 早川書房)

 

 この作品には大きく三つの要素がある。人の優しさと、残酷さ、そして自然の峻厳さである。もちろん、ミステリー要素もあるが、これはじつは最大の要素ではない。


 人の優しさを感じさせるのは、「湿地の少女」として蔑まれていたカイアの周囲の、ほんの一部の人である。カイアを愛したテイトという青年、いつもカイアから貝を買ってくれる、船着場の燃料店店主ジャンピンと、その妻メイベル。いずれもカイアを大切にし、敬意をもって接している。テイトはカイアをまじめに愛しているのでまあ理解はできるが、ジャンピンの親切な姿勢はおどろくべきものである。じつはジャンピンとメイベルはアフリカ系アメリカ人。そのためもあるかもしれないが、カイアはアフリカ系以上に差別されていたのである。だから、ジャンピンの愛情はほんとうに無私のものだったのだ。なにが彼をそうさせたのは描かれていないが、心温まる要素であることはたしかだ。
 

 いっぽう、残酷さを感じさせるのは、カイアを蔑み差別していた村の人々と、カイアをもてあそび裏切ったチェイスという青年。表面的にはカイアに親切に接していたようだが、カイアに結婚をほのめかしながらほかの女性と結婚し、しかも、それでもカイアに性的に迫る。そのチェイスが死亡し、状況から殺人事件と判断されて、カイアが容疑者として逮捕される。
 

 舞台の湿地は、自然の宝庫。カイアはその自然を愛で、自然とともに生き成長していく。鳥にエサをやるのを欠かさないカイアに自然はおおむねやさしいが、それでも峻厳さが減じることはない。この自然が雄大かつ繊細に描かれており、作者の筆力をうかがわせる。
 

 この小説は映画化もされて最近公開されたので、作品の存在を知る人も少なくないと思うが、ぜったいに小説を先に読んだほうがいい。あらすじがすべてわかっていても、ストーリーは観る者を確実に深い感銘に導くからである。
 

 いちおう、文芸ミステリーということになっているが、ミステリー要素はじっさいには最重要の要素ではない。もちろん、この物語には事件(あるいは事故)が不可欠だし、それによって苦境におちいったカイアの心情も大きな要素であることはたしかだが、この作品はミステリーである前に優れた文芸作品なのである。個人的な印象を言わせてもらえれば、このミステリー的要素は、単独では推理小説としてはじゅうぶんに成立するほどの力はあまりない。
 

 私自身としては、事件(あるいは事件)の真相はわりと早くにわかってしまった。ラストですべてが明らかになるのだが、それ以前の部分の叙述でわかってしまう。詳しくはネタバレになるので書けないが、登場人物の心理描写に注意していれば、誰でもわかるようなもので、けっして難解なものではない。
 

 だから、この要素だけ、作者に対して批判的な思いになってしまった。なぜなら、作者はあまりよくない意味で読者を裏切っているように思えるのだ。裁判が結審するところでは深い感銘があるが、ラストの感銘はじっさいには衝撃であり、あまり感動的なものではない。
 

 それでも、最近ではめずらしい、細やかな描写の繊細な作品であることはたしかだ。現代のアメリカ文学の最重要作品のひとつと言っても過言ではない。くりかえし読むに耐える小説である。