最近では、生き物は食べて排泄して子どもを作って死ぬだけという途方もない否定的真実に屈して逆らえないような諦念が生じてきたように思う。だって、それらの行為は体を動かさずにはできないものだし、体は動かさなきゃなまってしまうのである。これら行為のうち、子どもを作るという行為だけが回避されうるものと認識できるが、物理的、生物学的に回避できたとしても、社会的には回避され得ないものになってしまっており、ヒトにとっては致命的な弱点になっている。生産性が低いと言われたり、LGBTが差別を受けたりするのがそのあらわれだが、たとえ現在の差別構造がなくなっても、将来的には手を変え品を変えてふたたび生じるだろう。そのあたりを描けば、社会派SFとしていい作品になるような気もするが、途方もない想像力が必要なのも事実だ。フェミニズムSFで既に業績を上げている作家もいることはいるが。
 いずれにせよ、肉体と本能と遺伝的制約に呪縛されているわたしたち人間は、できるだけ長生きしてそれらの鼻を明かし、何らかの形で自分自身のものを後世に残していかなくてはならないのだ。大したものでなくてもいい。市井の人でも、誰にも負けないその生き様が遺産になる。