海苔のふるさと

 満開の桜を追って歩いていたら、いつの間にか久しぶりのふるさとの浜辺公園に来ていました。どことなく、今までの景色が違うと思ったら、浜辺の近くに棒と枯れた枝のようなものが見えるからでした。看板で、海苔を「海苔のふるさと」大森だから、実際に海苔を育てているのだと知りました。昭和37年(1962)に東京湾の埋め立てで海苔業者が廃業するまでは、浅草海苔という名で、日本一の収穫量を誇っていたそうです。

 

 浜辺に隣接して「大森海苔のふるさと館」があり、海苔網や竹ヒビの模型が展示してありますが、その道具を実際に使って海苔を育てているのだそうです。すると、少しずつ子供の頃の記憶が戻ってきて、海苔干し場や採れたての海苔などをおぼろげに思い出しました。冬の寒い朝に小さな船で海苔を採って、漉いてからパリパリになるまで外に干したのでですから、重労働だったに違いありません。それも家族総出で働いたとも聞いていますから、今の共稼ぎどころではなかったに違いありません。

 

 まだ早い時間だったのですが、それでも子供が浜辺で走っていたり、犬を散歩させている人の姿を見かけました。もうしばらくすると、大勢の人が集まってくるのでしょう.。なぜなら、去年の夏には、まるでキャンプ場のようにテントが張り巡らされ、裸で日光浴したり、飲食をしている人々を覚えているからです。そこで、そんな喧噪の浜辺と海苔の養殖とは、どことなく不似合いな気もしますが、まだ、大森では海苔業者が多く営業しているので、、自然に時間が経てば、馴染んでしまうのかもしれません。