18:10
陰というのは見える可視の世界、物質の世界。そして陽とは霊の世界。

見える世界のことを地上界。霊の生命の世界を天上界。天上天下と言われてる。しかし天と地上とは一体。

我々は内なる生命の自己は天であると同時に、見える肉体は地です。地上的・物質的と言われてる。
だから見える色と空とは一体、一つ。

しかし霊はどこか遥か彼方に、この肉を死ななければ霊界には住めないと思っていますけど、霊の世界はあなたの中にあるんです。
19:00
イエス様とお釈迦様も「神の国は汝の内にあり」と言われた。天は汝の内にあり。
天とは実在・不可視の世界・見えない世界。
お釈迦様はこうも言われた「外界は内界の現れ」と。投影・投射にしかすぎない。

原因結果の法則でも説けます。
生命という原因があって 結果という肉体がある。しかし原因と結果は一つ。分離・離別できない。

原因が神なら、その子も神でなくてはならない。結果が人間だとはあり得ない。
だから神の子・人間なんです。

全ては神の子・万物は神の子です。その鉱物・植物・動物、神を 生命を宿さぬ物はありません。霊的な物を宿さぬものはありません。
20:05
このミカンの中にも陰陽の愛の法則は働いています。愛の法則がなくしてオレンジ🍊・ミカンは世の中に存在できない。

ここに物が現れるのは愛の具現ではないですか?中性子ですね。その中性でなければ物は存在しません。ちゃんと陰と陽のバランスがとれて初めて物は現れる。

皆さん方も愛の具現・神の具現です。
即ち法則が 神が皆さんの中に生きて働いている。即ち法則そのものが生きて働いているということです。
神の他に 法則の他に生きて働いてる存在はありません。
21:00
その法則は唯一不二の力・愛の力です。バランス・調和・愛です。それ無くして物は存在しない。

もしオレンジが陰と陽のバランスがとれてなければ、この世の中に存在できますか?愛の法則が働いてなければオレンジは存在できません。

皆さん方、物が現れるのは愛があるから物が現れるのであって、愛がなければ物は存在できません。
この世の中に見える物は 陰と陽の愛の具現です。だから神は大愛と言われてます。
22:00
陰陽の法則なくして物は存在できますか?一つにならないで物が創造できますか。陰陽がバラバラなら物は具現できない。髪の毛1本だって愛の法則です。

皆さん方は愛そのものです。愛のましまさぬ所はない。全ては愛。
23:00
お洋服にも愛は働いている。いかなる物も陰陽のバランス・中性を保ってなければ物は存在しない。

神の愛は 鉱物には親和力として、植物には本質として、動物には本性として、人間には愛情として物は存在してる。
だから私達一人一人は『愛情』の塊です。愛の塊ですね。
何と素晴らしいことなんだろうね。
それが皆さん方の知らねばならない宇宙法則なんです。

これが神であって、神棚の中に神がおるとか 遥か彼方に神がおるとか、教会・お寺に神がおるとか。
神は普遍であり無限ですから 神のましまさぬ所はない。大宇宙そのものが大愛ですから 愛のましまさぬ所はない。
24:00
1粒子たりとも神の愛を宿さなければ、粒子は存在できない。
神は見える世界にも見えない世界にも 全宇宙に遍満して満ち満ちている。
愛・神には空間、距離、年月はない。ただ一つの絶対なる 普遍なる法則が宇宙には存在します。

その愛の法則に則って生きている者は神信者。不調和な人間は神信者ですか?無法者です。それを罪・穢れと言います。業深い人です。
愛であってこそ、私達は本当の信仰であり神信者です。
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正法家ですから、正しい法則に則って生きる。私達が法を犯さなければ報いる罪はありません。悩み苦しみは法を犯した結果です。

だからこの知花には悩み苦しみはありません。私は全てを愛し、全てと調和するがゆえです。罪を犯さなければ報いる物はありません。

悩み苦しみは愛という法則を犯した報い・結果ですから。原因が愛であるならば、その結果も愛ですね。
原因が不調和なら、その結果も不調和ですね。自らを助くるのは自分自身です。

皆さん方が幸せ・健康になりたかったら、この宇宙法則という愛の法則を守る以外にない。
26:05
だからイエス様は 隣人愛に生きなさい、汝の敵さえも愛しなさいと、お教えになった。
お釈迦様は慈悲をお教えになった。誰も憎んでも 謗っても 怒ってもならない。
怒り 憎しみ 謗りは愛の法則・宇宙法則を犯したことになりますから、犯した人が必ず刈り取らねばならない。

「犯した罪は必ず報いる」という法則があります。作用・反作用の法則ですから。
だから我々の苦しみは罪の報いであったということに気づくべきです。

その罪とは「不調和」です。
人の悪口言う、憎む、謗る、嫉妬する、裁く。それが罪となり 苦しみとなって、我々の肉体が背負わねばならない。
27:00
その罪がなくなれば 私達は報いる罪がありませんから、その人は毎日 平安と安らぎの中に生きることができる。
それが絶対なる宇宙の法則であると。

だから愛一元・調和一元ですよ。
神の国とは愛の王国・調和の王国です。
あなた方も神の国の住者となるためには、愛そのもの調和そのものでなくてはならない。

愛なき人間が「私達はクリスチャン、仏教徒だから神の国に住むんだ」と。それは自己満足にすぎない。
私達が愛そのものとなって初めて、愛の王国の住者です。天の住者となる。

神の国は愛の王国ですから、愛のない不調和な人間が神・愛と共に生きることはありません。
だから皆さん方は愛という物をレッスンしなくちゃならない。訓練しなければならない。
28:00
これがこの地上界に対しての唯一の修行です。誰も憎まない 誹らない 怒らない。嫉妬をしちゃいけない 悪口も言っちゃいけない。

人の悪口を言ったら、もう愛の法則を犯したことになります。
だからイエス様は「あなたは たかが子守児じゃないか、愚か者め!」ともし言ったとするならば、もうすでに言葉の罪を犯してます。

言葉の罪によって罪の奴隷にされて、私達は罪を報いなくちゃならない。皆さん方は自分の犯した罪の奴隷になっています。あなたの犯した罪があなたを支配しています。

あなた方が罪からの解放・奴隷からの解放というのは罪を犯さないことが大切です。犯してる限り、罪が付きまといます。
お荷物のない人とは、罪のない人です。
29:00
宇宙の法則を学び知ることなく、盲目の人生とは宇宙の法則を知らないこと。無知なる人生。
真理は汝を自由ならしめん。宇宙法則そのものが真理です。愛を知らないで、私は宇宙法則を知ってると言えますか?

宇宙法則を知らないなら、その者は愛を知らない。なぜ愛せねばならないかというのも、我々の智慧も力も全て法則に基づいて存在してますから、我々が力強い者となり光ある者となるためには愛と調和しかない。

不調和な人間から光が燦然と輝いてますか?調和のとれた愛深い人から、"愛光"が燦然と輝きますね。
30:00
あなた方がこの世に一人も憎む者がいなくなる。不調和する者がいなくなる。
全ての者を愛し、全ての者と調和した時、皆さん方は燦然と愛光が輝きます。

霊光が輝きます。
これをオーラと呼んだり後光と言います。
真理に基づいて 法に則って生きた、偉大なる賢者方・聖者方からの背後からは綺麗な光がさしてます。

その悟りの光は絶対に隠せない。だから愛は智慧であり力であり光であると。
陰と陽のバランス。だから、この電気は陰陽のバランスの愛の具現なんです。

今電気がついてるのは必ず➖線と➕線が一つに結ばれて光が発生してます。
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物を動かす力・原動力というのも必ず➕と➖が一つにならない限り、原動力というモーターの力は存在しません。➖線だけでは絶対に動きません。

もし この電線が➖線がこんなに太くて➕線がこんなに細かったら、バランスがとれてませんから電気がつきますか?同じ太さで同じバランス、愛が整って初めて電気がつきます。
物を動かすにも➕線は太くて➖線は細かったら アンバランスですから原動力となりませんね。

私達の調和・愛が 力そのものなんです。
愛に勝る力はない、愛に勝る光はない。
愛こそが力であり光である。
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そのためには私達が全てを愛する者、全てと調和する者。
あるいは肉体という受動原理と 霊という生命との一体。それを霊肉一体。肉体と生命のバランスのとれた人。

見える物は➖ 見えない生命は➕ですから、霊と肉体のバランスがとれて初めて 身も心も健やか。その人からは目も眩まんばかりの後光・オーラがさします。

その法則を知らないでは神信者ではありません。偽りの信仰です。信仰とは愛です。
不調和な人間は愛深い人ですか?
信仰の深い人は愛深い人・調和のとれた人です。宗教の名目とは一切関係ありません。
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私達は何の宗教だから、天上界行きだと言うのは戯言にしかすぎない。
あなた方は天上界に帰った時、あなたは何の宗教をしてきましたか?と神様に問われると思いますか。どういう心構えで生きてきましたか?と問われるはずです。

宗教が世の中にあるなら、愛の宗教でなくてはならない。なぜなら愛が神ですから、愛のない所に神はおりませんから、神のおらない所に愛はありませんから、神と共に生きるとは愛と共に生きるということじゃありませんか?

どこの宗教でも神は愛なりと言います。
しかし愛というものを実践する者はいない。
神と共に生きるとは愛に生きる、調和に生きるということです。