17:54
瞑想は何のために瞑想するんだろうか?
そういう真理も知らない、色々とビジョンを作りまして何十年座ったところで真理は知ることはできないのです。
それは自己満足で自己暗示です。いくら霊視を見たところで、霊能力が出たところで、これもその人の想念ビジョンにしかすぎない。観念にしかすぎない。
だから霊視は当てにならないと私はよく言います。その人の観念でしか霊視はできないのです。心像・ビジョンでしかできない。霊視しても何の役にも立ちません。幻なんです。

私達は霊視をするために今あるのでありません。本物と偽物の識別をするために皆さん方は地上界にいるのです。
今のあなた方の物の考え方・観念・外念・自己限定が本当にあなたを幸せにしてると思いますか?
この地上界でのあなた方の感覚なんです。これは本来のあなたではありません、偽物のあなたです。その偽物のあなたと本質の自分というのが分離できるようになってこそ、ほほーなるほど 無限の自由とはこんなものか。

心の現れを見て 銘々の心の雛形を見て、恐怖し慄いているのです。本質はそうではないのです。愛そのもの調和そのものであります。
私達が人が銘々分離状態だと考えてる間は迷いです。人々と離れて生きることはできないのです。全てが相互関係であります。
20:20
その自己限定・観念・外念も、自分の心の歪みにすぎない。その原因結果は全部、自分にあったのです。
ここを本物だと実在の世界だと、そして影を見て慄き 影に対処しようとしてる愚かな私達であったということです。
だから、この地上界を私は迷界と呼んでみたり、有限の世界と見てみたり色々と言います。実在界ではありません。

観念・外念・自己限定、私達を苦しめてきた犯人はこの3つです。これを取り除いてください。何が残りますか?
実相そのもの。本来 神の子のあなた方が現れます。
21:30
私は昨夜こういう体験をしました。
瞑想してたら、自分の意識が上の方にスーッと抜ける体験をしたんです。そして下の方を見ますと、全ての人々が自分の観念でもがいているんです。
自己限定・外念、これを本物だともがいて迷ってる姿が見えたのです。

理解がしにくいと思います。
夢心地で聞いてるようですけど、これが実際だから仕方がない。これを悟れるまで、理解ができるまで篩(ふるい)にかけられます。
本来の自分を知るまで篩にかけられて、かけられて輪廻を繰り返しています。

本物の自分に気づくまで 本物の観光をするまで、皆さん方は篩にかけられます。この中からも振るい落とされる者も出るかもしれません。また、篩にみんなかかって本物の観光を見ることができるかもしれません。
観光というのは光を見ることです。今 闇を見て、闇の世界を実在だと錯覚を起こしてるだけです。
23:00
そういう闇の世界と光の世界があることを知りません。
椰子の実でも外部の外念・外殻というのが割れて、迷いという殻が割れて、初めて本物の生命が芽を吹き出すのじゃありませんか。
あなた方を雁字搦めに真我を覆い被さってるのは、銘々 個人個人の観念です。人間はこんなものであると自己限定し、こうである・ああであると思い込んでることが迷いです。

皆さん方はいつまで苦しみたいのですか?
お互いに迷ってる者同士が貶し合ってるのです。
この世の中、まあ日本に本当に自由を得てる人がいるんだろうか?私はまだ一回も会ったことはありません。
24:00
お互いの指導者という方までが迷い人です。どうして迷い人が迷い人を救えますか? 

私達が真我なる自分を見ることができて、この地上界と神の世界の識別が出来ない限り、無限の自由を得ることはできないのです。
五感の目に囚われて、銘々の観念に思い悩み苦しんでるだけです。実相を見ることになったとき、何の苦しみもないのです。
観念で作り上げた雛形を見て、これを本物だと思い対処して生きてる、これが迷いです。これからハッと目が覚めたとき光を見ることができます。

私が何物にも囚われない、
25:00
本も、あの本は本物、この本は偽物と識別ができるようになったということは、心に本物がない限りは識別できませんよ。偽物がどうして偽物を見抜くことができますか?
世の中には自分が偽物でありながら、本物のように飾り立てて 人を指導したり真理の本を書いたりしてる人がいっぱいおります。それは迷いの中で迷いを対処してる姿です。自分の観念を書き上げてるだけにすぎない。その観念はあくまでも迷いです。

私達が自分の自己観念の中に生きてる間は、まだまだ自由を得ていません。自由というのは自己観念・自己限定をぶち割って、それから解脱した皆さん方は、もう解脱の真理を味わってるのです。

今までの自分の観念・外念・自己限定を自分だと思ってますか?
これを理解するには非常に根気がいります。
私はよく言います。迷ってる人間の言葉に迷わされるな、迷ってる人間の姿に迷わされるな。銘々の迷ってる観念という、偽りの彼・彼女に迷わされるな、といつも言ってるつもりです。
あれは本来の彼・彼女ではないということです。そういうものに囚われてるということは、自分自身も本来の自分を見ていないから偽物の彼・彼女に迷わされるのです。
27:00
それが本物と偽物の識別ができたとき、何が苦しめますか?本物と偽物を今、識別してください。あなた方は偽物を本物と錯覚していただけなんです。

もうそろそろ沖縄にもたくさんの本物の自分を知るような魂がここに集って参ります。今の世の中に疑問を持ってる魂・意識レベルの高い魂が集って参ります。
そして外念を解脱し 観念を解脱し、自己限定を解脱した時に、本物のあなた方が生まれます。

これが今まで言われた第一イルミネーション。神の世界・神の道を知った、本来の自分を知った、偽物と本物の識別のできた、意識レベルの高い魂であります。
私の話が理解できない者は、まだまだ意識レベル的に幼稚だということです。
だからここに来ましても、なかなかついて来れない者もいます。そういう方々はまだ熟してない魂です。離れようとするんだけど、なかなか離れないでついてくる者もいます。それは熟してる魂です。
28:40
軽く目を瞑って、この地上界は銘々個人の観念の姿を見て、そこでもがいてるだけにすぎない。そこを悟った時、今 瞬間に本物を見抜いてる方もいます。
ははーなるほど、こんな所でもがいていたのは自分の観念・心で描いたビジョンの世界。それを本物だと錯覚していた次元なんだな。そして本質というのはそんなものではなく、迷ってる者にも迷わされない自分自身というのがこの地上界で解るようになるんです。
私がどんな中傷や迫害を受けても自分の心を傷つけないというのが今お解りだと思います。
29:52
なぜ私がこの地上界において、こういう本物と偽物を語らねばならないんだろうか?
私には持って生まれた使命があるからです。私は過去に本物と偽物を見抜いて 帰った試しのある私の魂であります。
そして今皆さん方を新たに、熟した魂を本物の自分に目覚めさすために今の私があるのです。

私から離れていく者は私は拒みません。なぜなら強制はできないのです。求めよさらば与えられんだから、求めて来る方々には惜しみなく伝えます。去り行く者には強制はできません。愛の押し売りはできないのです。まだまだ苦しみが必要な方は、私の元から離れて行きます。
31:00
しかしこの沖縄でもたくさんの熟した魂がいらっしゃいます。その方々は本物を掴もうと一生懸命なさると思います。何が本物か偽物かということを目覚めさすことが第一です。

そういう本物と偽物との識別ができない者がどうして悟りの道へと導けますか?
今一度こうしてシーンと胸元に手を当てて、今見ている物は本物なんだろうか?心の影を見ているんだと知らないから、その影を対処し 慄き恐怖し生きてるのです。
これから本質に目覚めたならば、この汚れた中に迷いの世界にいながら、汚れない迷わない自分を勝ち取ります。

32:20
なぜ人々の観念に迷わされるんですか?あなた方には実相たる神の命が宿ってるのです。
どこにお帰りになりたいのか、まだまだ迷界の幽界を輪廻したいですか?
幽界も個人の観念の世界です。地獄も本来は実在しないのです。人間の観念が作り出した想念の次元です。
よく地獄界のことを説きますけれど、人間の生きてる観念のビジョンが作り出してるのが地獄です。本来、悟ってみれば地獄もなかった。
33:13
私達が本来の自分に戻って上から人々を見つめるようになると、ありてあらゆる人々が憎めません。分離もあり得ません。
その観念の現れの中でもがいてる愛しい兄弟だとしか思いませんよ。なぜ目覚めてくれないんだろうか?としか思いません。
本来、物質には力はないのです。物質に力を与えてるのは私達の心です。それを知りませんから、あたかも物質が全てだ、富や地位や名を得なくちゃならない。それも全部、個人の観念です。
34:00
その観念に囚われてるというのは、迷いに囚われてる。雁字搦めになってる。自分自身の本質を覆い被さってるスモッグなんです。
私達を苦しめてる3つの最大の敵は観念・外念・自己限定です。それから解放されたら本当の自由があります。