自分で自分を愛すること・信ずることができないで苦しんでる。

自分を愛するがごとく人々を愛しなさいと聖書にあるが理解してない。

1:25

私達は心があるが、その心にたくさんの悪い友達を背負っている。

悪・サタンは外部にいるのでなく、心の中に養ってる。

嫉妬・怒り・妬み・人を見下す悪魔、全てのたくさんの悪魔を喜んで自分の心に住まわせております。

2:10

住まわせてるということは自分を愛してない。心の中にたくさん悪魔を同居させている。色々の欠点・数えきれない悪を背負っている。

すぐ瞬間的に一つ一つの悪を克服して撲滅すればいいのに、喜んで抱えてる人。悪を抱えてながら自分を愛してることにならない。ハートの中に抱えてる悪が、どんなに私達を苦しめ害し 多くの人々を傷つけてるか知らない。

3:05

瞬間的に出てくる怒りも偉大なる悪魔です。それを喜んで背負ってる。それを撲滅しようとも追い払おうともしないで野放しにしてる。

自分を愛してるなら、自分の心の中にいる悪を住まわせてはならない。

心には色々の持ち方があり善悪の心と言って、地上界でハートの中に悪を一点なりと住まわせてはいけない。そうすると自分を愛してる姿。

しかし多くの人は自分を愛することができない。なぜかと、悪を多く愛してる。

4:02

悪が皆さんのハートに住んでる間は、瞬間的に怒り・妬み・謗り・人を見下す、色々の金銭欲望という魔もおります。

数え上げれば私達は欠点だらけ。その欠点が背負ってる悪魔。


悪魔は外部にいたのではなく自分自身の中にいた。ハートの中にいたことを知らねばならない。

皆さんの中に完全に悪魔がいなくなった時、この世に悪魔はいなくなる。

自分の心の中に魔が潜んでる間は、その人は善人と言えない。神を信じてると言えない。

自分でさえも愛することができない者は人々を愛することはできない。

5:00

自分の心を守れない者が人々を愛してると言うけど、これは嘘。表現としては愛してることになるかもしれないが、真の愛にはならない。

心が浄化されて悪も何も認めない 清い心になった時、清い愛が出る。

悪い性格全てが運命を狂わせてる。瞬間的にカッとなった時に、表現体である肉体を完全に悪に売り渡してしまう。

6:05

誰かとケンカしてカーッとなった時、肉体舟も悪に売り渡す。それが多ければ多いほど、その人の性格・運命が悪い。

この地上界はハート・心の中にいる悪を撲滅する所。地上界以外にハートの中にいる悪魔を退治することはできない。この地上界がどんなに大切な所であるか。


怒りという悪魔を退治して出さなくなったら、その分だけ心が安らぎます。今まで怒りっぽい人が怒らなくなった分だけ、心から悪魔を追い出してるので心が安らぎます。

7:00

たくさんの悪を背負ってる人は常に心が苛立ち、不安と恐怖に満たされてる。なぜなら悪が善より多いから。

私達の心から一つ一つの悪を追放して 撲滅していくことでしか神我を見出すことはできない。

これは非常に重大な問題。自分の胸に手を当てて、本当に自分の中に悪がどれくらいいるか解ると思います。自己診断ができる。

自分の悪い欠点・性格は全て悪魔。そういう欠点の一つ一つが悪魔であると知らないから、野放しにして悪魔と仲良く同居してる。そうすると何かの縁に触れるとパーッと悪魔が出る。

8:00

そうすると相手を傷つけると同時に自分を傷つける、その悪魔を大事に仲良く抱えている。そして自分が幸せになるはずがありません。

胸元に悪を養ってる間は皆さん方の心の安らぎはありません。

例えば人をよく嫉妬するとか、皆さん方から一つ一つの嫉妬という悪魔を退治してみて下さい。非常に心が楽でありませんか?

人を憎むという悪を退治したら、自分が相手を憎んでる間は人から憎まれますけど、自分の心から憎しみという悪魔がいなくなった時は誰もあなたを憎みません。全ては自分の心の影であるということをここで実証されていきます。

自分の心に魔がある間は、魔にしか人々は見えません。信ずることもできません。

9:02

だから自分自身を信ずることのできない者は人を信ずることもできません。

自分自身を愛することのできない者は人を愛することもできません。

人々を愛しなさいと私も教えてきましたけど、非常に大きな欠点があったということです。

まず自分自身を愛することから始めませんと、私達は人を愛するというのは偽善者になっています。


まず自分自身を愛するにはどうすればいいかというと、ハートの中に住んでる悪を全て撲滅しなくちゃならない。

そして今までに完全に自分のハートの魔を撲滅した大先輩の方々がおられます。その大先輩というのは、

10:00

お釈迦様でありキリスト様であります。

その方々も 全て魔は外部にいたのではなく、自分の心の中に魔が住み着いていたことを知った方々です。

そして自分の魔を、欠点を全て撲滅した方々であります。


イエスキリスト様が最後の断食に入り40日間のあいだに魔が出てきて、「あなたはもう、こういう聖職者の道を伝道するのを止めなさい。その代わりあなたを一国の王にしてあげよう」と言う悪魔が現れたのです。

その悪魔というのはどこにいたかというと、イエスキリスト様の心の中にいたのであります。それは欲望という悪魔がいたのです。

その欲望という一国の王にしようとするサタンを、最終的にキリスト様は撲滅したのです。

11:03

「サタンよ退け!」という強い思いで最後のサタンを撲滅した時に、イエスキリスト様は もう本当に光輝いて眩しいほどになられたのです。

これが完全なる真我に到達したということであります。一点の魔がおっても私達は完全 幸せにはなれません。


ちょうどお釈迦様も座禅を組んでいますと、そこに…非常にお釈迦様も情欲が旺盛でした。王子様であるために女には不自由しない。自分がこの女はと目をつけますと誰でも手にすることができる時代でした。

そのために座禅をする時に色魔というのに誘惑されたのです。ちょうど座禅中に、真っ裸になって情欲を掻き立てる姿勢をもった女の方々が現れまして、情欲を掻き立てようと瞑想中にサタンが現れたのです。

12:08

そのサタンというのは潜在意識の中の、お釈迦様の心の中にあったということです。それを完全にサタンよ退けと撲滅した時にパーっとその人の後光から輝いたのであります。偉大なる悟りであります。


そういう具合に今私達がたくさんの悪魔を背負っていながら、皆さん方が悟ろう悟ろう、魂の光輝を得ようと一生懸命やりましても悟りに到達することはできません。

だからたくさん悪魔を背負っている人間、またそれ相当に悪魔を撲滅してる人間との心の安らぎ・光かたは違います。


ここに書き上げてますけど、甚だしい人になると この一点にしか善は残ってないで、真っ黒いものは全て悪魔の住み家として心を使わしてるのがいます。

13:03

それは悪なる心と言います。

その心の中に、たくさんの欠点だらけの人間がいるのと、またこういう具合に半分位の人。という様な人間の心は百人いれば百色と私は言いますけれど、後光の度合いが違うのも自分の心にたくさんの魔を住ましているのか、同居してるのか してないのかで、その人の心のあり方が決まります。


皆さん方の運命づけをしてるのも、たくさんの魔を背負い込んで 持ち込んでる者は心の汚い人間と言います。欠点だらけの人間をいい人だとは言いません。

だから皆さん方はこの現象界で常にそういう心の現れ方はしてるのです。

いくら自分自身で心は綺麗と言う人はいますけど、心の清い人というのはこの地上界にいないのです。

14:00

完全に清い人はいませんよ。それを知りませんから、自分でただ清いと言ってるだけにすぎない。いかなる人間でも欠点だらけです。色々の心の魔というものを背負い込んで野放しにして住まわせていながら、心の清い人間はいないのです。


色々の性格にも表れてきますよ、魔というものは。魔というのは外部にいたのではありません。皆さん方の心の中に住んでるということを知らないと、その魔を追い払うことはできない。

この魔を完全に撲滅した人のことを勇者と言うんです。この地上界に本当に勇者として生き抜いた魂のことを勇者と言います。


皆さん方一人一人が今まで野放しにしていた自分自身の汚い心・悪魔というものを日々の生活の中に撲滅していかなければならない。

15:00

例えば、私が短気者であったということを前にも話しましたけども、その短気という悪魔を完全に撲滅して 完全に自分の心から追放した時、短気というのがなくなるのです。

で、酒飲みという悪魔がいたと。その酒飲みも自分の心の中に魔が潜んでいるのです。酒を飲みたいという悪魔を養ってるのですよ。

そうすると悪い欠点である酒飲みの悪魔を撲滅して「よし、今日からその悪魔の言いなりにならないぞ。酒は絶対に飲まないぞ」という強い信念でもって、その悪を撲滅しなくちゃなりません。

皆さん方の信念・意志というものによってしか、あなた方の心の中に潜んでる悪魔は退治することはできません。

15:48

金欲旺盛の人。で、金、金、金と思ってる人。金欲の悪魔を退治するのも「今日からこんなケチ臭いことはやらないぞ。こんな悪魔なんか追放して、二度と自分の心に養ってはいけない」という思いで皆さん方は一つ一つ心の中にいる悪魔を退治しない限り、皆さん方の後光は輝きません。魂は輝きません。

16:16

そういうことで自分を愛することのできない。愛してるならば、おそらくそういう悪魔を養わないはずです。

だから皆さん方がたくさんの欠点だらけの魔の心を、そのまま野放しにしてるということは自分を愛してないということになります。

そして自分を愛してない者が人々を愛することができないということを、そこにはっきり現れてきます。真っ黒い心の者が人々を愛することができますか?ということです。真っ黒い 嫌な性格の者が人を愛することはできませんね。

まず人々を愛するには自分自身を愛することから始めなくちゃならない。

17:02

だから自分を愛することのできない者が 私は人々を愛してますと言う方がおるなら、その人は嘘つきになります。

決して人は愛していません。それは自己愛であるか、盲愛であるか、色々の情愛であるかにすぎない。

真の愛というのは非常に難しいもので、自分自身を完全に愛し 自分自身を信ずることのできた者が多くの真の愛が出るのです。


だから愛・愛と言いますけれど 上辺だけの愛で、愛という本質を知ったのがこの世の中であまりにも知らなすぎる。

愛を説いてる方がよくおりますけど、愛というのが何であるか知らないで、自分でさえも自分を愛できない者が愛を説いてるとするならば偽善者・嘘つきであります。