姿形なき神が様々な形をこの世に映し出してる。
皆さんの持ってる生命に姿はない。
質料にも姿はない。
無双とは一つということ。
私は神を見たというのは嘘。神は見えないものである。エネルギーには姿がないから掴み所がない。
その姿なき 形なき、無双のお方が神。
1:35
私達は映しという形を見れば、それは現象であり実在ではない。だから神は普遍にして無限。
宇宙に遍満する生命エネルギーにも質料にも姿形がないんです。その遍満のエネルギーと質料とで様々な形が映し出されているだけ。
形を持ってる物は結果・現象です。だからこの世に現れてる物は、みんな神の化身。
2:42
はっきり言って皆さんにはまだ理解できないと思いますけど、神は無限の空間。
本来は空間はない。だから形なき遍満。
そういう世界に入っていくと自在となる。
観自在と言って、いかなる制限・制約・束縛も存在しない。そして時空間を超えて生きることができる。これを"真の自由"というもの。
3:20
無限大の普遍的・時空間のない我を皆さん方は体験できないで、どうしてもこの形体に制約・束縛されています。
自分のことを姿形と思ってる限りは人間は自縛です。あくまでも姿形は現れにすぎず。
4:00
残念だけれど、なかなか見ることができない。無限を見ることが神を見ること、姿形を見ることは現象を見ること。
現象として神を見たと言う人がいる。神眼が開かれてるとは形を見ることじゃない。生命・原因には姿形はない。ここは現象・現映である。
5:00
人間の姿形をとった神というのは、姿のない神が人間という姿形をこの世に現してる。そして現してる物と現れてる物は一つ。
見える物もあり 見えない物もあると思っているが、これは正しくない。
見える物と見えない物は一つ。
見える世界があって見えない世界があると、これは誤解。
見える物の中に見えない物が宿っている。見える物は見えない物から不可分。これを"色心不二"と言う。
6:00
二つあるという意味ですか?見える物は即見えない物、見えない物は即見える物。二つあるんじゃない、一つです。
その意味が理解できないんです、分離感を持ってますから。それは見える物と見えない物との分離感です。
これが一番難しい。なぜかと言うと見える物に慣れてますから。そして見える物と見えない物は別々だという観念を持っている。それは事実ではありません。
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例えば命は見えません。その見えない命が皆さんの中に宿ってなければ、見えるあなたはあるのか?ないですね。
これが"色即是空・空即是色"という意味です。空と色は一つなんですよ。
どうしても見える世界と見えない世界は別だと考えるんです。別ではないんです。
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見えない物から見える物は離れて存在してませんよという意味は、皆さんの鼻と口を押さえれば分かります。
色という現れてる物は鼻と口、空という見えない物から切り離すわけにはいかない。
色と空は一体として存在してます。鼻と口を押さえて生きられる人間おりますか?見えない物から見える物を分離させたら生きられないでしょ。
見える物を通して見えない物が働いている。あなたが鼻と口を押さえて働く人はいないと思います。生きてる人もいない。
9:00
鼻と口から吸ってるのは見えない物です。我々は見えない物でもって生き 生かされている。これを"息"と言ってます。
見える肉体は見えない息から分離してる?そうすると色即是空の意味が分かります。なるほど空と色は一体なんだと。
じゃあ見える物と見えない物とが一つになれば、個人的な物は存在できますか?独立してないと分かりますね。
9:55
例えば、この知花の吸ってる息も 皆さんの吸ってる息も 動物が吸ってる息も、息は宇宙にいくつあります?
一つですね。じゃあ、その息でもって全ては繋がれてませんか?
その息の世界に時空間はありませんね。あなたと私の距離があるのか。一つの物の中においてどうして距離があるか。
形においては分離してるように見えますけど、見えない糸でみんな繋がってる。
11:00
いかなる分離分断もない。
動物が吸ってる息と 私が吸ってる息と 皆さんが吸ってる息は、違う所から息してるの?同じ息を吸ってるの?
その息が命ですから。息が切れるということは命が切れるということです。
この世の中に息してない物がありますか?鉱物・植物・動物みんな息してます。息してるから生きてるんですよ。
宇宙に息はいくつある?一息しかない。だから命は一つです。命にはいかなる分離も分断もない。だから普遍ですよ。
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普遍とは区切られてませんと。
じゃあ、あなたの独自の命ってあるのか?銘々の命か、全体としての命か。
これが大生命・普遍生命・宇宙生命。
一つの命に基づいて万象万物は生かされている。息があるから生かされているので、皆さんは"息子"です。
息してない物はないので、みんな神の息子となります。
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創世記にはこう書いてます。宇宙のチリにて肉体を造って、そして鼻から神の息を吹き込まれた。命を吹き込まれたと。そして生きる物となったと。
だから肉体はあくまでも息の媒体であり、その表現です。
神の命と、我が命は別ですか?
皆さんの命と、私の命とは別ですか?
同じ命しかないんです。
この植物も木の葉はいくつもありますけど、この木の葉も この木の葉も同じ命で生きているんです。
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命の世界には他人はないんです。
だから形・外を見るがゆえに他人を感じてるだけで、他人はおらない。
あなたが息そのものであるなら、全体は自分になります。だから"全我"です。
あなたが誰かを愛してる時、誰を愛してることになる?自分を愛してる。
だから自分を愛するように隣人愛をしなさいと。
自分の他には誰もいないんです。
だから「私はあなた方の中におります。あなたは私の中におります」という意味が解らなければなりません。
あなたは私です、私はあなたですと。
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本来はあなた-私がないわけですから、即自分です。
あなたは自分以外に誰かがいると思ってるから非難や批判や悪口を言うのであって、一つの生命に基づいて全ての万象万物が生き生かされてることを知れば、非難も批判も存在しない。
非難や批判がなくなれば、苦しみは存在しない。皆さんに非難や批判がある限りは苦しまねばならない。
悟った人に苦しみはある?
なぜ皆さんに苦しみがあるのか、全体を一つとして生きてるからか、分離感を持ってるからか。
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分離は実在してるの?
実際にあるのは一体でしょ。これを大いなる一体と、全一体感と言います。
全一体感が出来なければ、まだまだ分離感…私とか自分がとか我があるならば、分離感ですから争わねばならない。
あなたから一切の争いがなくなったら、一切の悩み苦しみがなくなる。
まだ他人がおると思ってたら、争わねばならないから苦しまねばならない。
苦しみは本当の自分を見ない結果として現れてる。
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悟ると同時に皆さん方に苦しみは存在できる?一体感が正しいんですか、分離感が正しいんですか。
正しく見るとは、自分が全体から分離してると見ることか、それとも大いなる一体として存在してると見ることなの?
あなたは誰なの? 私なんです
私は誰なの? あなたなんです。
だから生命の世界にはあなた-私はない。
あなたの生命と私の生命は分離してますか?繋がってますね。