神・霊には姿形がない。空。

空海と霊界は同じ。不変不動。

不可視。形ある物は霊の媒体。


宜保愛子が見てるのは幽霊。

肉体も幽体も霊ではない、水子。


霊・空には終わりがない、不死不滅。

形なきものには限界がない。無限。

肉体は大霊の媒体。霊のつける衣装。


2:55

肉体は水の要素で出来る。水様質量。

肉体は水子。

これに霊・魂が宿って生きるものになる。

4:30

水の世界を龍宮の神、産土の神。

形をとるのは霊ではない。霊は形をとらない。形をとってるのはあくまで水の要素。

5:00

肉体も幽体も水子。だから肉体や幽体を自分と言ってはならない。


J.Cは私は肉体でもない幽体でもない、我は霊なりと言った。 

6:00

始めから肉体・人間が生きているものではない。生かしてるのは霊。

霊は能動原理・水は女性原理。

父なる神・母なる大地。

霊のことを太陽神・水は龍宮の神。


7:00

水子が祟らない理由は、

霊が肉体から抜けたら全く無力。

感情も意識もない。

水子が祟るというのは大嘘。

騙されて金を払わされるだけ。

こういう職業をしてる坊さんが多い。

だから頭を剃る、悪いことしてるから。

騙して金儲けしてはいけない。

だから怠け坊主。


8:00

お墓に霊はいません。

お墓に奉るのは霊が脱ぎ捨てた衣装。

肉体を奉ってる。

お経をあげても空念仏、抜け殻にお経をあげても意味ない。聞く耳も意識もない。

火に焼いた三合のカルシウムにお経あげても意味ない。

それを壺に入れてお墓に奉って、南無妙法蓮華経やっても何の意味もない。


9:00

肉体は自然体、自然に返すべき。

色・質量の世界は大自然。

空の世界は大宇宙と言ってる。


だから母なる大地。土に返すべき。

土に撒こうが野菜の肥料にしようがかまわない。カルシウムだから野菜は実ります。


最近は日本でも自然の葬式と言って、お墓も買わない。お壺も買わない。お葬式もやらない。

火葬場で灰にして、自分の好きな柿の木やリンゴの木でもいいし、肥料としなさいと遺言を残す会がある。あるいは海が好きなら海に撒いてきなさいと遺言する。

10:15

死んでからも世の中の為になりたいという遺言を残して、畑の肥料にしなさいとかそういう会が流行っている。

だから、お墓は本来は無用の産物。


それはお釈迦様が重々説いたこと。

お墓は作りなさいと教えてない。私が死んだら、これは私が脱ぎ捨てた衣装だから火に焼いて、荼毘・火葬してガンジス川に捨ててきなさいと言った。


これを大事にとって、お墓を作ってお経をあげなさいと教えてない。

いつの間にか金儲けのために、恐怖感を植え付けてお墓を作らせて、お経代・お葬式代・預かり代をとるとか。間違った仏教が日本には伝わって来た。

11:20

それは仏教ではない。

これは仏陀に対しての裏切り行為です。教えを全く相反してる、だから仏教ではない。


11:35

霊は意識であり全て。

肉的力はない、霊的力。唯一の力。

霊は一つしかない。銘々の意識があるのではない。神霊・神意識しかない。

人間意識とはない。個人意識はない。

13:28

今から宇宙意識になる必要はない。

もともと宇宙意識、皆さん方は。

勝手に肉を見て個人意識、肉意識を作り出してる。


霊的我を大我。肉のことを小我と言う。

人間に力はない。霊的力、霊力。


14:30

霊眼が開かれているか。

我は霊なりか、肉体なりか。どっちか?

自分を大霊と見るべきか、肉として見るか。自分を大霊と見てるなら正しく見てる。

16:10

霊が迷うと言うが、

霊・魂は全知全能の神だから迷わない。人が迷うのであって霊は迷わない。


肉体衣装が霊を理解してないだけで、霊が肉を理解してないのではない。

自分が迷ってることを霊のせいにしたがる。迷いは本来実在しない。

18:00

迷える魂とか迷える霊と言わないでください。恥ずかしいながらに…

自分が迷っていて、霊が迷うと言うのは虫が良すぎる。


18:20

霊を姿形で見えない。

見えないのを幸いに思いなさい。

色々の形が、別の世界が見えても幻。

幻影の世界。

19:00

瞑想中に色々のものが見えたら、

幻影を見てる。見えたら悲しむべき。

形のないものを、形で見るのは不可能。


ちょうど肉の世界に様々な形があるように、幽界にも様々な形がある。

肉の世界も幽界も幻。

宜保愛子が色々の物が見えますというのは幽霊眼。

霊には形がないから、形で霊を見ることは不可視。これを霊能者と言ってる。


霊は無形無双。

形ある物には必ず終わりがある。

霊は不死不滅。形がないから。

不死不滅の大霊と言うのは、

無形無双であるがゆえに終わりがないし始めがない。だから久遠にして常在。