イエスは今から二千年前に、この世の救済のために大犠牲を払って、愛を示しに 道を示しに降りて来られました。


しかし無知なる人間はそれを受け止める器が出来てなかったために、色々とイエスの言葉につまずき、誤った道へと世の兄弟を迷わしてしまった。

真実でない物を真実のごとく語り合い、空想・妄想させイエスを遠い彼方に祀ってしまった。

48:00

それは現象に囚われているからです。イエスという肉に捉われてしまった。

イエスは肉を教えに来られたのではない。内なる魂を教えに、真我を、道を知らしめんがためにわざわざ犠牲を払われた方です。

それを理解できてる牧師さんが何名この世におられますか?知ってません。

みんな儀式とイエスの肉体である現象我に囚われ、現象を語るようになった。


あなた方の学問もあなたを救いません。学問があれば救われるものでもない。いかに世界の良書を読みましても救われません。神を信ずるということは神を知ることなのです。

49:00

信ずることは本来は言葉としてもないのです。知ることが信ずることです。

神を知らずにして、我を知らずにして、どうして神を信ずることができましょう。

神と自分との関係を知ることが神に近づけるのです。関係は教えないで、解らないで 無知で、どうして私達は神の御国に入れましょうか?


あなた方はもう熟した魂です。まだまだ熟してない魂は、この研究所に足を運ぶことはできません。まだ熟してないからです。この世に克服すべき多くの闇が残っているからです。


イエスも然り、その通りでした。イエスの兄弟姉妹もイエスがこの世に肉として生きておられる間に救われたでしょうか。救われませんでした。一部の弟子しか救われなかったのです。

50:00

いかに肉の兄弟姉妹であろうが熟してなければ救われない。肉の親兄弟でさえも救えないことを知らねばなりません。

それが分かった時、皆さん方は自分の旦那に執着しないでしょう。

私だけ救われてはならないと愛する心は有難いけども、熟してるか熟してないかをよく見なくちゃならないのですよ。これを豚に真珠と言うのです。


あなた方は あの人もこの人も救いたい、外観の目で物を見てはなりません。その者が聞く耳を持ち、熟した魂であるか。聞く耳を持ってる者は、自ずからここに集って来るものです。

いかにあなた方が自我でここに導こうと思っても出来るものではない。これを決めてるのはあなたの自我ではなく、神ご自身であることを知らなくちゃならない。

51:05

全ては神のご意志によって、この地上界も動かされてるということを知らなくちゃなりません。

あなたの自我であの人も救いたい この人も救いたいと思いましても、それが叶えられれば幸いですけど、それが叶えられない場合もいかに多いかということが言えるのです。


これは神のご意志に基づいて、熟した魂は神が自ずからここに誘導して下さいます。そして真の道が開かれんことを努力されます。それを知らなくてはなりません。

いかに親であろうが肉の兄弟であろうが夫婦であろうが、それができ得ないことを知らなくちゃなりません。


今日幸いにして ここに集ってる方はこの世を知り、この世の困難は何のためにあるかと知っただけでも、神からの祝福があなた方に与えられたようなものであります。

52:03

ここに今あなた方は神に感謝しなくちゃならないのです。いかに神からあなた方が愛されているかということを知らなくちゃならない。


ここに今日 足を運ばれた方々は、自分でここに足を運んだと思っておられるでしょう。決してあなた自身がここに足を運んだのではありません。

あなたは神の愛によって、その御言葉に耳を傾けんがために、それを理解させんがために神の愛によってここに今おり、皆さん方がこういうお話しを聞くようになられたのです。


その時、皆さん方の魂の成長がどういう具合に行われてきたか?それを理解した時、今後の困難はもうあなた方には問題ではありません。

53:00

それを解決して下さるのは本物のあなた。あなたの中にいらっしゃる神を、あなた方は身近に今日ここで感ずるようになったでしょう。神は私の目を通して、あなた方を見てらっしゃいます。


なぜかと言うと、私は内なる神を自覚して 内から私は語ります。あなた方はどこで私の言葉を受け入れようとしてるんだろう。外なる自分なんだろうか、内なる自分なんだろうか? 

外なる自分では、私の今の言葉は理解できません。内なる自分に問いかけることです。そうするためには お家に帰りましたら、軽く目を瞑り自分自身の中に真の我を自覚することです。

54:00

私を知らずにしては、人を知ることはできない。私を知った時、人と人の関係があらましに現れます。

あなたは私であることが解ります。私はあなたであり、あなたは私であるという言葉がいかに偉大なる御言葉であり真理であることがあなた方に理解できましょう。


今、私は私に語ってるのです。あなた方の表面の偽りに語ってるのではありません。

あなた方の中にも 私の同質なる兄弟姉妹が宿ってることを私は知っております。

あなた方は人の中に 自分の中に、この偉大なる私のおることを知らなかったら、あなた方は分離として人を見ていましょう。

55:00

私達の五感の目は不完全です。五感の目で、迷いでしか分離は存在しません。

だからイエス様は言われました。あなたのものは私のもの、私のものはあなたのもの。

一つであるという意味を皆さん方はご理解頂けるでしょうか。それが理解できていたなら真の私を知っております。


真の私とは何なんだろうか?それは私達の真我のことです。内在キリストのことです。

私の目の前には何一つ分離は存在しないことを私は知っております。なぜかと言うと、私は私なる本物の私から 内なる私で語るからです。

その私…私と何回も言いますけど、その私こそを皆さん方は理解しなくちゃならない。

56:00

我を知った者は神を知った者。この前も申し上げました。私は何なんだろう?これを皆さん方は瞑想しなくちゃなりません。


今日何回も私.私と言葉が出ましたけど私とは何なんだろう。その私を知った時、あなた方は全てを知ることができます。人々を知ることができます。私を知らずにして皆さん方は人々を理解することはできません。まず私とは何なんだろう、それを理解して頂くことです。


これは非常な高度な真理になりまして、皆さん方はこれを受け入れるのに非常に困難をきたしてるのを私は知っております。

しかしいつかはやり遂げなくちゃならない。これを知った時、皆さん方は御国に入るからです。

57:00

この世の未完成で、無知で、無理解ではいかなる者もこの私を通さずにしては御国に入ることはできない。そのことをイエスも言われた。


今 私はこれを理解しております。解っております、知っております。だから私はいつでも神の御国に出入りすることができる。この私を通してのみ御国に入ることができるというカギを掴んでいるからです。そのカギは私達自身の中にあったということです。だから天界の扉は、自らの真の私以外に開くことはありません。

あなたの救い主は外にはいらっしゃいません。あなたの教祖でもない。空想・妄想で祀ってる偽りの神でもない。あなた自身の神なのです。

57:56

だから十戒の戒めの中に「私の他に何者も神とは呼んではならぬ」と言われてます。

あなた方はどこの神を神と呼びますか?あなた自身の神を、実の私。


あなた方を永遠にあなたと共に生きる私を知らなくちゃなりません。

私はあなた方に色々の試練を与えました。その試練を今までもどんどん克服して参りました。私はそれを知っております。


なぜ知花がこんな事を知ってるんだろうと、あなた方は今疑問に思っております。一緒に住んだこともないのに。私はあなたから一度だって離れたことがない。

今 言ってる私という意味がお解りでしょうか。私・知花という肉を見てるならば私という今の言葉を理解できないでしょう。