19:00

あなたがいいことをやった時、あなたの胸元から喜びとなって込み上げてくるのは神の祝福なんです。よくやってくれたと神の喜びがあなたの中に伝わって来るわけです。

悪いことした時、卑しいと心が嫌になる心は神が嘆いている姿です。あなたの神我は嘆きます。あーしまった、過ちを犯してしまったのかと嘆いてくれる。その時、自分も嘆いているんです。自分の肉体も嘆きます。悪いことした後にいい気持ちの人はいないでしょ。みんな卑しい思いで自分の心を苦しめるはずです。

その卑しい思いは神の神我からあなた方に伝わって、あなた方自身が卑しい思いをする。その卑しい思いの原因は自分がいいことをしなかった、悪いことをしてしまったと気づかすために苦しみとなって胸が圧迫感を感じたりします。

20:00

その時に胸が圧迫感を感じる、嫌な思いをするということは、必ず今私は道から外れたことをしてるんだ 悪いことしてしまってるんだと気づかすためにこういう体験をさせられる。


そういう色々の日常生活で神の愛は私達に差し伸べられてる。今私の語ってるのは、私という神が語ります。今私は自分で私を知ってしまってるんです。私は皆さん方を導かんがために私がここにやって来たわけです。この私というのはあなた方の中にも同一の私がおります。これは真我というものです。神の御心です。愛の御心です。


あるいは私というのは隣人愛だけでは済まされない。今度は国民を愛します。国民を愛しただけでは済まされない。全世界の人類を愛しなくちゃならない。

21:00

とうとう全世界の人類だけじゃなくなる。別の惑星までも私の愛は拡大される。なぜかと言うと私は私を知ってしまったから。私が何であるかと知ってるからです。

あなた方はまだまだ私が何であるか知ってない。自我なるものを私と思い込んでる。今私が私というのは、私という同質のものがあなた方にも存在する。

あなた方を世の始まりから永遠にあなたと共に生きる、あなたを愛しあなたの強くなることを待ち受けてるあなたのことです。

非常にここは理解のしにくいと思いますが、これは本来の私。神我のことです。あなた方は本来、原始時代・石器時代から今までの色々の体験を通して、体験を積まれて魂の修行。

22:00

ある時は貧乏人、ある時は女性・男性としてね。あるいは貧乏から金持ちから、ありてあらゆる体験をこの世でさせられた。そしてそれをどんどん克服して、自分というものが何であったか次第に気づくようになる。

この世に降ろされる時は10%の意識を我だと思い込んできた。そして親さえも皆さん方が気づかさないように、あなたの肉の親からあなたを生ますようになったんです。

もし肉の親から自分が生まれることなく、どこからポッコリ生まれて来たならば、自分の親はどこにいるんだろうとすぐ探し当ててしまいます。それを探し当てないためにわざわざ肉体を通して子がお腹から生まれるようになる。そして自分の肉の親を 親と思い込むようになる。

23:05

しかしそれから生まれていながらも私達の本質は体験を通して、本物の親を探し当てるようになるわけです。本物の親は肉の親ではないんだ。

今ここで私が常に、あなた方の実の親は肉の親ではないんだよと言った時、最初はだいぶ反発を食いました。しかしよくよく考えてみますと、なるほど肉の親は私の親ではないんだ。

そしたら肉の親はどこから出てきたんだろう、その親の親はどこから出てきたんだろうと追求しますと、この親はなるほど神から出てきたものである。上から出てきたものであると。それが解るようになりますと自分が出てきた所が解る。

24:00

そこにはどなたがいらっしゃるんだろうとまた考える。そこには神以外にない。創造主である神様、全ての物をお造りになった神様。その神が私達の実の親であった、造り主であったと直面します。

そして私達は真の我は神の御子であった。神の実子であった。肉の親は私達の肉体の成長を手助けしてる親にすぎなかったということまで皆さん方の魂は成長して学び知るようになる。

世の中の困難は、なるほどこういう具合に私達の魂の成長のためにあるんだなと思うようになります。

24:52

今世の中は非常に混乱しつつあります。あちこちで天変地異が起こり、国と国との争いが絶えない。宗教と宗教のぶつかり合いは絶えない。憎しみ合いは絶えない。で、本当は闇なんです。

宗教も色々と自分自身を見失ってますので、何のために宗教があるかも分からない。無知のままに、自分がどこから来たかも分からない。何のために地上界があるかも分からない。

だから私達は聖書の中にこう書いてます。「私を見た者は神を見た者である。何者も神を見たことはないけども私を知った者は神を知った者である」今解りますか、その私という意味が。神我が本来のあなたなんです。

そして皆さん方が本物の神に委ねて生きられるようになった時、「お父さん」と気安く三つ子が親に委ねるように、その神によって委ねて導かれることになった時に目明きになるんです。

26:00

本来の私というものは目明きなんです。だから偽りの偽我で人を指導してる者は神じゃない、真理でもない。真理を説いてるんじゃない。真理は真の我からしか出て来ない。内からしか出て来ない。真理は外にあるんじゃない。真の自分を知った者は真理を語ることができます。その真の我は神のご意志である神の御言葉であるからです。

あなた方は私の話を理解できるのも真のあなたでしか私の話は理解できません。偽りのあなたは私の話を理解することはできません。なぜかと、真実ではないからです。

だからよく表面意識で真理を話してる人がいます。それは偽りです。その話してる方も知らないからです。何が本当か、何が偽物かと識別心もできてない。

27:03

私という私を知った時に皆さん方は本物を見抜くことができる。地上界はなんで混乱の中に私達は生きてるんだろうということさえも分からない。私達はよく真理を学ぶことによって、真の我を知ることによって、この地上界の実体が分かる。

なるほど、この世に悩み苦しみがあるということは神の愛であったのか。私達の魂の成長のためにあったのかといった時、神を愛するようになる。本来の父という神を身近に今感じるように動かされてる。そしていつかは必ず神我は、この世の闇を全て克服してお帰りにならなくちゃならない。

28:00

この世の無知を全て克服した時にどういうことになると思いますか?神我は光ですので、世の光となる。だからイエス様は 私は世の光なりと言われた。そして私はこの世の全ての地獄を克服したと言えます。

この世の実体が分からなければ、まだまだ地獄を克服したことにならない。皆さん方はこの世の闇は体験を通して、闇にぶつかって初めて克服することができる。

自分の実体を知り、自分を知り、そして地上界の実体を知り、なるほど神様は愛深き方であった。私の魂の成長のためにわざわざ私に遠い旅をさせて 困難の世界に私を降ろして下さったんだな。お造りになったんだなと解った時、

29:00

今から今後あなたの目の前に現れてくるいかなる困難も、これは私の魂の成長のために神ご自身が与えられたものである。それを知った時、即あなたの前からいかなる困難も姿を消します。

なぜかというと悟りは光ですので、光は闇を消すのは当たり前です。一つ一つのあなたがこの世の自分を知ることにより、困難が何のためにあるのか知ることにより、簡単に困難を撲滅することができる。克服できる。

それが原因追求です。その原因が、なぜこんな物が起こるか?これは私にまだまだ修行として残されていたんだ。これを克服することによって、一歩私の魂は成長するものであると分かって 簡単に喜んで乗り切ることができます。

30:00

いかなる困難も喜んで この闇はこの困難は私に克服されるべきにして私の目の前にあるんだなと分かる。そうした時、簡単に取って捨てるんです。分かりますか?

色々と学んでおりますけど、せっかくいい知恵と力を与えようとするけど自分の宿題がまだ終わってない方は離れていくんです。まだまだ魂に克服してない部分が残ってる。そしてまた苦しみと戦ってる兄弟姉妹がいますね。

私はそれが解りますのでね、止めないんです。相手の宿題をさせなくちゃなりません。この世に克服できないものを残すと未完成で終わってしまいます。完成させるまで苦しみと戦わせて初めて成長します。可哀想にとは思いますけど 神のご計画ですので、これも私も止めないんです。

31:00

一応出て行って それがまた克服できた時、戻って来るんです。それはもう闇・自分にぶつかる体験を克服して、またここに学びに来て徐々にまた成長して行くわけです。だからこの研究所というのは皆さん方の魂の成長の場。それをどう克服するかという知恵を得る場としてあります。そして皆さん方の日常生活は闇と戦う場所。だから地球上は闇と光の戦いである。闇と光は常にあなた方の心の中に、日常生活の中で戦っています。

しかし必ず光は勝利するという神のご計画です。闇に負けさせないように私達には常に神がついておられる。いかなる悪も愛という武器には敵わない。

32:00

あなた方が本当に愛という武器を持つと、いかなるこの世の困難も悪も簡単に克服できる。だから、あなた方は隣人を愛せよということを何回も申し上げてる。愛に勝てる力はない。愛は神と共にあった力・エネルギーです。愛というのを口先だけで言いますけど、その偉大なる力を実感として掴んでる人は少ない。愛は物凄い力・吸引力を持ってる。これが神の現れです。

その意味をあなた方が把握できた時、生まれ変わるんです。思いが生まれ変わる。今まで落胆的・消極的だった自分から積極的に闇にぶつかって克服する真の勇者と生まれ変わる。いかなる環境が目の前に起ころうと闇の中にいながら闇を恐怖しない自分。喜んで受けて立つ自分というものを体験します。

33:20

私は本当に苦しい難行苦行の中に私自身で克服してきた。私は生まれながらに環境が悪く、8名兄弟の中に生まれましたけど、なぜ私だけ人に貰わされて貧乏のどん底、そしてありてあらゆる転々と親が健全でありながら 私は色々の体験を通して来たのはなぜなんだろう。それをこの世の闇を私に克服させんがためであった。

34:00

私はなぜなんだろうと思う心があったわけです。そして私の兄弟姉妹あと7名残ってますけど、安楽の中に暮らしたために私のような魂の成長を行うことができなかった。私は困難のお陰で魂が成長してしまった。神の愛なんですね。

過去を振り返ってみますと親を憎んだこともありました。育てないくらいなのになぜ私を産んでくれたと思ったこともありました。しかし今考えてみると神がいかほど私を愛していたかということを知るようになった。ああ、我が親よ 父よ。あなたが私をこんなにまでして愛して、私の魂に闇を克服させんがために私をこういう環境に置いて下さった。有難い。神よ、ありがとうございます。

35:00

本当に涙を流して私を導く神に祈らずにはおれません。あなた方も今の自分の苦境に、いつかは感謝のできる日が訪れます。その苦境は私達の魂の成長のために神ご自身が与えて下さる愛の賜物であると知るようになります。

なぜ苦しみが愛なんだろうか?それはあなた方の苦しみにぶつけて初めて、苦しみを克服する勇気と力を養うからです。

皆さん方も過去を振り返ってみて、色々の人生の中に困難のあることを知っておられます。この困難があなた方の魂の成長の糧であった。

36:00

家庭の環境が悪かった。それが分からない間は家庭人を同じように憎みます。あるいは友達のトラブルを相手を憎みます。相手はあなたを強くするために与えられた人材なんです。そうすると私を傷つけた人を感謝しなくちゃならない。私の成長のためにこういう事をして下さったのかと思うと、私も敵を愛しなくちゃならない。これが汝の敵を愛せよという意味です。私達の前に憚る敵というのは私達の魂の成長のために使われた犠牲者なんです。その犠牲者を愛しなくちゃならない。

あなた方に離婚歴がありましたら、自分を捨ててくれた旦那さんを愛しなくちゃなりません。相手も苦しいながらに離婚をして、そして離婚の体験を乗り越える勇気と知恵と力を与えんがために私達に離婚歴というものを体験させられます。

37:10

よく離婚をしますと旦那さんを恨む人もいます。しかし恨んではならない。これはあなたの強くするための糧なんです。こういう苦しみの体験を通して、闇を苦しみを克服する知恵と力を皆さん方に養われていく。その養われていく状態を魂の成長と言ったりね。

皆さん方も色々と過去を振り返ってみますと、たくさんの闇を悪を克服して参ったんです。そして今のあなたがあるわけです。まだまだ残ってるかもしれませんけども、今からの道はもう容易いものです。それを知ってしまったからです。そしてそれが分かるようになると、あなた方に愛が芽生えてくるからです。

38:00

愛はいかなる物も屈せる力があります。いかなる物も癒せる力がある。だから神は愛なりと言います。

私達はよく世の中で「神は愛なり」という言葉を口先だけで唱えてる真理家が多いですけど、その意味は分かってない。愛もしてない。ただ聖書に書いてるからオウム返しに記憶をして伝えてるだけです。だからそういう愛を伝えてる人の言葉には力がありません。なぜなら、その言葉は外なる言葉であるからです。私という自分を知った時に内なる声として、力・愛として皆さん方を見守りながら話すことができる。

今私が話してるのは、あなた方の五官で見ると肉体知花が話してると錯覚するでしょう。私の内なる私・真の我。私は私を知ってるんです。真我です。内在キリストです。キリストより私は語るんです。そのキリストとは何だろう?皆さん方にはまだまだご理解できません。

39:20

そのキリストこそが神の御心・神の御言葉なんです。このキリストを我を通さずにして私達は真実を語ることはできない。私達の偽我から語るものは偽りの言葉です。真実ではありません。なぜなら偽りの偽我は、偽りの次元で生きてるからです。表面しか理解ができない。内なる言葉ではありません。

あなた方にぜひ私を知っていただきたいのです。あなた方は私を知らない。私がどこから語っているかもまだ理解ができません。