40:00

命そのものが真理でしょ。だから命知らずで生きてる。命とは何か?と問われた時、何だろうねとしか言いません。自分でありながら。

命を知らないということは自分を知らない。だから己に迷ってるということです。本質を知らない、神を知らない。

あなたそのものは肉そのものですか、命そのものですか?


だから我は命なりと常に言うたら良かろう。常に思ったら良かろう。

その命は唯一の命しかありませんから、全ては自分の中におり 自分は全ての中におるとなります。全ては自分になりますから全我となります。

41:00

その命は大きい大生命ですから大我となります。命はバイブレーションが高いですから高我となります。その命は神ですから神我となります。



今なら少しは理解できましたか。それを徹底して学び自分の物としなければならない。それを神を掴む、生命の木を把握しなさいと言った意味です。生命を掴んだ人は真理を掴んだことになります。己を掴んだことになります。


だから自己を見つめると言って、皆さん方は自分を見つめると言ったら鏡を持ってきて見るんですか?

42:00

自分を見なさいと言ったら、一所懸命に鏡を持ってきて見ようとします。これは偽我です。影ですよ。

本当のあなたは、自分を見つめると言ったら 大宇宙を見つめねばなりません。宇宙即我ですから。遍満する宇宙生命そのものに一心集注せねばなりません。これが瞑想・内観なんです。


軽く五感の目を閉ざして頂いて 天上天下に遍満する生命を見つめねばなりません。これを自己を見つめるという意味です。真の自己は天上天下に遍満する大生命が自分ですから…

自分を知ってる人は、この大生命が自分だと言います。自分に迷ってる人はこの肉体が自分だと言います。

43:00

どっちが本当でしょうか?この肉体を自分だと言う人と、生命を自分だと言う人と。

私は人間だと言う人がいたら、その人は嘘ついてるんですか 本当のこと言ってるんですか? 嘘つき人間よね。人間は即生命ですよ。人間と生命と何が違います?人間もあって 生命もあるんですか。

43:55

命一元だと思いますよ。命があるのみ。命が形を取ってるだけです。その形の本質は命です、どんな形を取っていても。その形ある物が命である事実は絶対に変わらない。この石もみかんも植物も人間も、命である事実は絶対に変わらない。


だから私達は 形で見てしまうから命を見失うわけです。自分自身が命であることを忘れてしまう。

我は大生命なりですから、あなたが大生命・宇宙生命そのものであるならば、全てはあなたの中におり あなたは全ての中におるはずです。

これが視野の拡大・意識の拡大された人の物の見方です。視野の狭い人は三次元という形の世界しか見ません。大宇宙を見ません。

45:00

無限宇宙を見ることが視野の拡大・意識の拡大なんです。意識の低い者、視野の狭い者が神を見ることは絶対にない。

部分的な物の見方で神を見ることはできない。なぜかと 神は無限者であり普遍者であり大宇宙そのものであるからです。あなた方は部分的神を見るんですか、全体の神を見たいんですか?


無限者である神を見るためには、無限を見なくちゃならない。自己を見つめるとは無限を見つめねばなりません。

皆さんは有限ですか、無限ですか?

無限宇宙を見つめることです。

46:00

全宇宙に遍満する生命を見つめることです。その遍満する生命があなたであるから、自分であるからです。

毎日の日常生活で徹底して追求して、徹底してそう見える 思える自分自身を確立せねばなりません。


自己確立とは、肉の自分を確立することではなく 神我の確立です。自我で生きた人間に自己確立できた人はいません。

あなたは大生命である事実は絶対に変わらない。

47:00

無限なる自己を見つめてください。それが真のあなたです。肉なる我は偽我です。偽物に皆さん 目が眩まされてる。本当のあなたは姿形じゃない。生命です、無限なんです。何回言ったら解ってくれるか?

あなた方が完全に無限生命が自分である自覚が出来るまでは言い続けます。

話を聞いてる時はなるほどと思うけど、離れるとすぐ忘れてしまう。すぐまた肉を自分だと思い込んでしまう。それではどうにもならない。


どうすれば大生命そのものが自分だと思えるようになるかと、四六時中これを見つめることです。即ち瞑想し、憶念することです。これ以外に方法はない。

外を見つめて、内を思うことはありません。外を意識しながら内を意識する人間は一人もいない。外を意識してる時は外念、内側を意識してる時は憶念です。

ほとんどの人は外を意識して生きて、内なる原因世界を見ようともしないし、意識しようともしないのが今の人間の状態です。

ぜひ内側を見つめて意識するように 時間あるごとにです。一週間に1回や2回やったって何の意味もありません。

49:00

四六時中 神を思うとは、四六時中自分が大霊・大生命であることを思わねばならない。あなた方は四六時中、この肉を自分だと思ってるんじゃなかろうか。 


皆さんと知花の違いは、私は時間あるごとにこれを自分だと思ってる。あなた方は時間あるごとに外側の自分を自分だと思ってる。即ち外を意識しすぎてる。それだけの違いです。


あなた方が無限そのものにならない限り、無限の知恵と力が現れます?

自分を有限だと思っていながら、無限の知恵と力が働きますか?出ますか。

あなたが無限の自覚ができて初めて、無限の知恵と力は働きます。自覚ができるまでは絶対に現れません。

50:00

なぜ神の知恵や力が現れないんだろうということは、神の 無限の自覚できてないからです。自覚に応じて現れます。

どうしたら神の知恵と力が現れるか?これを絶対に疑わないことです。そのものであるということです。それができた暁は、無限の知恵と力が皆さんを通して顕現されるだろう。即ち"神我顕現"です。


瞑想しなくてもできますか?

だから瞑想・内観・憶念は欠かせないもの。非常な重要なものである。これを潜在能力と言ってます。

51:00

それを顕現するには普遍的知恵と力を意識せねばなりません。

キリスト神我は全知全能の神です。あなたが生命を受け入れた時、全知全能の神を受け入れた。これが本当の意味においての入神状態です。神が皆さんの中におることである。

自分が大生命であると思ってる時は入神状態です。即ちトランス状態です。そうすると神が皆さんを通して現れるようになる。

52:00

今皆さんに復習として「全ては自分の中におり、自分は全ての中におる」ということを今晩の瞑想で答えを見出して下さい。それを実感してみて下さい。



実感するとは「全ては自分の中におり そして自分は全ての中におる」ということを実感する。その実感ができて初めて、あーなるほどと納得がいくんです。


今晩ぜひ実感して頂ければ、そこから愛が込み上げてきます。そうなれば愛一元だと思います。実感できなければ愛は出てきません。全てが自分だと思えなかったら愛は出てこない。

53:00

だからイエス様は自分を愛するように隣人愛をしなさい。この木の葉が、この木の葉を愛することは誰を愛することになります?自分を愛することになります。

あなたが隣人を愛することは誰を愛すること?自分を愛することです。隣の人を憎むことは自分を憎むことになります。逆も真なりです。


隣人愛は自分を愛してください。己を愛するには 自分で自分を愛することは絶対にできない。あなた方は自分を愛するためには隣人を愛さねばならない。

どうして、あなたはあなたを愛することができますか?あなたは人を通してのみ自分を愛することができない。多く愛する者は多く愛されるというのはその意味です。

54:00

誰もいなかったとすると、あなたはどうしてあなたを愛することができますか?自分を愛するとは人を通してしかできない。誰かを通さずにできますか?媒体が必要ですね。


多く愛する者になれば、多く愛される者になれます。皆さん方は愛の出し惜しみをしてます。愛はいくら出しても減るもんじゃない。無限の愛ですから愛の出し惜しみをしないように、幅広く周囲の人々を愛したらどうか。そうすると幅広く多くの人から皆さんが愛されるという意味です。


愛しない人間が誰かから愛されることは絶対にない。愛の欲求不満です。一向に誰も愛しないのに誰か私を愛してくれないかなとキョロキョロ見つめてる人もおります。自分は誰も愛してないから、誰がもあなたを愛することはないだろう。

みんなから愛されたいなら、みんなを愛しなさい。全ての人から愛おしく思われるためには、皆さんは全ての人を愛おしく思わねばならない。


今の物の見方を変えて頂ければ、どなたでも幸せになるということです。自分の不幸せは全部身から出たサビです。誰がも皆さんを苦しめていません。

だから最大の敵は自分であることを知らねばなりません。敵は外部にいるのじゃありません。自分を棚に上げて、人のせいにしないでください。全部身から出たサビだと分かれば人を責めることもないだろう。そういう日常生活をやっていきたいと思います。