17:30

皆さん方は姿形ですか、大生命そのものですか? 形が生きてるのか、大生命が生きてるのか。

だから何十億という人間がいたら何十億という命があるというのは全くの迷いです。形は何十億あっても、生命は何十億あった試しはない。唯一の生命が様々な形を造って、唯一の生命が様々な形に生きてる。

この木の葉はいくつあるか分かりませんが、生命はいくつもありますか? 形はいくつもあるけど 一つの生命に基づいて、この木の葉もこの木の葉も生きてます。

18:15

あなたも私も何十億という人間は、あるいは鉱物・植物・動物も、たった一つの大生命に基づいて生きてます。

だから、鉱物・植物・動物・人間も無限生命の中におり、そして無限生命は鉱物・植物・動物・人間の中にもとどまっている。だから神 我が中にましますという意味です。


神を外に求めるなかれ。生命そのものが神そのものです。じゃ生命は外にあるのか皆さんの中にあるのか?

19:00

その生命は万物の親・万物の造り主でしょ。存在の本源なんでしょ。生命あるがゆえに皆さんは存在してるので、生命なくして皆さんは存在しない。だから神は全存在の本源本質となります。


世の中はあまりにも神を知らなさすぎます。神が何であるか分からぬゆえに、イエスやお釈迦様が神だという教団が何と多いことか。

神は有限者ですか、無限者ですか?

イエス様が神だと言うなら神は有限になります。個人になります。神は普遍にして無限と言うなら、どうして個人的神を指摘するのか。これは分離観を持った人間が勝手に作ったドグマ的な神です。真実の神ではない。神を知らぬ者が説いた神だからです。

20:05

まあ神は至る所に遍在したもう、無限者ですから神の存在しない所はない。神には生命には時間・空間・距離はありません。その生命は空の世界にも形ある物の中にも全宇宙に満ち満ちています。神は全宇宙に遍満しています。だから遍満の神、宇宙神・無限神という意味です。


その無限生命・大宇宙そのものが神であることを忘れてなりません。皆さんは今神の中におります。神は今皆さんの中におります。神の外というのはありません。生命の外側というのはないんです。

だから神の世界に帰るんだとか、神の中に入るんだとか、今おるのにどうして入りますか?と言いたい。

21:00

皆さんは今、無限生命という無限者の中におり、無限者とは無限生命を意味してます。皆さんは無限者の中におり、無限者は皆さんの中におります。

皆さんそのものが無限なんです。大宇宙なんです。これを「全我」と言ってます。あるいは大我です。高我・神我です。

22:00

全我・大我・高我・神我は同じです。それを普遍我・宇宙我とも言います。まあ言葉はどうでもいいですけど、本来はあなた方は宇宙大です。宇宙即自分、自分即宇宙です。その姿形があなたじゃない。

今日ここで一番あなた方が執着してるのは、この姿形に執着してます。この姿形の自分のことを偽我と言います。偽我とは偽物の自分という意味です。偽物の自分に生きて本物の自分に死んでいます。これを死せる魂です。

23:00

迷ってる人間はこの姿形を自分だと思っています。悟った人は姿形を自分だと思いません。自分を何だと思ってるかと言うと大生命です。宇宙生命・大霊そのものだと言います。

だからあなた方は自分で自分が見えないし、自分で自分が分からない。自分に迷ってるとは自分を知らないことです。

この肉体を自分だと思ってる人は悟った人?迷った人?迷った人です。だから肉に生きるは死である。大概の人は肉体を自分と思っています。大生命そのものが自分だと思ってる人はほとんどいない。

24:00

もし大生命そのものが自分であり神であると知ってる指導者がいたら宗教は作らない。これが神だ、あれが神だと神まがいの神は作らない。なぜかと、全てが神であるから、これが神と言えない。神は全ての全てありてあるものですから、イエス様が神だと言わないと思う。イエス様は私だけが神だと聖書に書いてますか?なのになぜイエス様が神だと言うんだろう。お釈迦様も宇宙即我と言ったのにも関わらず、なぜお釈迦が仏だと言うんだろう。今の仏教は仏教ではない。キリスト教はキリスト教ではありません。

25:00

みんな新興宗教です。ドグマ・観念宗教です。ドグマとは独断的という意味です。勝手に神まがいの神を作って人間に押しつけてるのが宗教だと思います。

だから神を知った者は宗教を作らない。神を知らない迷った人間が宗教を作るので、悟った人は宗教を作らない。全てが神ですから作る必要はない。

これが神だとは言えない、全てが神だとしか言えないから宗教は成り立たない。

26:00

これが神だとは言えないから全てが 全体が神ですから、これが神だと言う宗教は成り立たない。宗教を作るのはみんな迷い人です。だからイエスも釈迦も宗教は作らなかった。聖者は宗教を作りません。

神が分からない人間が神棚の中に神がおる 天の彼方に神がおると戯言を言うのであって、神は至る所に存在してる。空の世界にも色の世界にも全宇宙に満ち満ちてなければならない。そうでなければ神は無限者になり得ない。


神は無限神・宇宙神・根源の神と言いながら、イエス様が神様だ 何が神様だと言うのです。私は特別にこの地上界の宗教を非難し貶しに来たんじゃない。その間違った指導を指摘してるだけなんです。決して非難や批判ではありません。

27:10

もし指摘しなかったら誰が分かりましょうか、誰が悟りましょうかと言いたい。間違ってる所は間違ってると言わねばならない。

子供の教育でもそうだと思う。間違った状態を親がそのまま、みすみす見過ごすわけじゃない。あなた間違ってませんかと言うことと、間違っていても何も言わないことと、どちらが愛ですか?

ちょっとあなたのやり過ぎじゃない、ちょっと間違っていませんか?と言うことと、間違っていても放ったらかしてることと、どちらが愛ですか?言うことですね。

28:00

この知花はよく宗教を非難批判するという声も聞こえるようですが、それは外念で捉えた人間の考え方です。自我の捉え方です。そういうことじゃない。はっきり知ってもらいたいんです。


全ては自分の中におり 自分は全ての中におるという意味が解ってるなら、皆さんはもう悟り人です。なぜそう言うかという答えを自ら出さねばなりません。

あなたはこの小さな姿形ではなくて大生命そのものであるならば、全てはあなたの中におると思います。そしてあなたが大生命であるならば、その大生命は全ての中におります。意味解りますか?

あなたは大生命そのものであって何者でもないんです。

29:00

あなたが いや私は大生命ではないんだと突っ張ったところで、あなたが今大生命である事実は変わりません。

いやそうではない、私は人間だ肉体だと思ったところで、あなたが大生命の中におり大生命は皆さんの中におる事実は変わらない。

その真理は人間の無知で変えることはできない。この世の中の法律は変わっても真理は絶対に変わりません。だから真理は不変にして不動と言われてます。あなた方の理屈で真理を曲げることは絶対にできない。また変更されることもない。

30:03

ゆっくり自分というものを見つめてください。姿形が自分なのか、生命が自分なのか?あなたに生命がなかったら姿形は何がなし得ます?

イエス様は 私自らは無であると言った。その意味は、生命がなくても肉体は存在するんですか?という意味です。

何あるがゆえに肉体はあります?命あるがゆえです。肉体は命の結果として存在するんです。命が原因で姿形は結果です。

31:00

皆さんの肉の目で見てる物は結果です。ここは結果次元です。あなた方は原因を見ないで結果だけを見て生きてる。

何の結果かと、生命の結果です。あなたも私も植物もミカンも生命の結果です。何が原因かと、生命が原因です。原因のないところに結果があった試しはない。

これを因果の法則と言います。生命という原因があって人間という結果が存在してる。

32:00

あなたは原因である生命と結果である肉が離れて存在できますか?造られた物が造り主から離れて存在することできる?

この木の葉は造られた物です。生命は造り主です。造り主である生命から造られた木の葉が離れて存在することはできない。原因と結果は不可分。絶対に切り離すことはできない。

だから私と天の父とは一体であると言えます。私と神とは一体というのはその意味です。

あなた方は神に繋がらないでは不問であるというのはその意味です。即ち神は生命ですから、造られた植物が造り主である生命から絶対に離れることはできません。

33:00

あなたもそうです。神から離れて存在してる物は一つもありません。なのに 天の彼方に 神棚の中に神がおるとはなんたることか!と言いたい。

汝嘘つくなかれなんですけど、平気で嘘をつくんです。だから世の中は恐ろしい、嘘つき人間しかおりませんから。

34:00

今日一番大事なことは、全ては自分の中におり 自分は全ての中におるという答えをあなた方が出し切ったならばもう悟りです。

なるほどね 自分は大生命だから、大生命の中に全てはおり 大生命は全ての中におるということになります。


あなた方は人間そのものですか、生命そのものですか?人間が実在してるのか、生命が実在してるのか?

本当にあるのは人間なのか生命なのかと言いたい。生命ですね。生命こそ絶対実在となります。人間が実在ですか? 

植物があるんですか、生命があるんですか?

35:00

実際にあるのは生命ですね。生命がなければ植物という表現はないんです。だからここは現象界ですから、現れてる世界です。生命は現してる世界です。

植物の実相は生命です。あなたの実相は何になります?生命ですね。だから我生命なりで、人間なりじゃない。

あなたが自分は人間だと思ってるなら、あなたは迷ってます。自分を生命だと思ってるなら悟ってます。その意味が解らなかったら、そのまま迷ったまま この世を去りますよ。自分が出てきた所が解らなかったら帰るべき所を解らないだろう。

自分が生命から出てきた者であるものは生命に帰ります。自分は人間から出てきたんだと思ってる者は人間に帰ります。

36:00

神から生まれし者は神に帰ると書いてます。あなた方は、みんな神から生まれて神に帰るようになってるけれども それがまだ解らないで理解できない。ポカンとしたような状態では到底今生は無理だろう。諦めた方がいいだろうと思う場合があります。決して悟らずに神の国に帰ることはない。

天を知らずして天に帰った人はいない。天は汝の内にありとは、その生命が天です。その生命が神ですから、神の国は汝の内にあり。これを内界と言います。

36:50

だから神が何であるか分からない人がなんと多いことか。今の宗教家達は天国とか地獄とか、迷妄と空想に明け暮れている。彼らの思い描いてる天国は存在しない。空想が実在であるはずがない。

この宗教に入ったら極楽・天国に帰ると、みんな騙されてるだけ。そんな特定の天国も地獄もあった試しはない。あなた方の意識状態があるだけです。

神我意識は天国です、自我意識は地獄です。肉に生きた人間は地獄です。生命に生きた人間は天国です。だからイエスは生命に生きよと言った。

皆さんは今生命に生きてるのか、肉に生きてるのか一番誰が分かります?己を生命として生きてるのか、肉として生きてるのかと。

38:00

生命として生きてるならば全ては自分であるはずです。そしたら誰とも争わないはずです。誰も憎まないはずです。一切そこには不調和はないはずです。

肉に生きてる人間のみに争いはあるのであって、生命に生きてる人間には争いがない。そうすると自分が肉に生きてるのか生命に生きてるのか、誰が一番ご存知?

だから肉の次元で物を見るのか、生命の次元で物を見るのか。生命の次元で物を見るなら正しく物を見てます。肉の次元・現象の次元で物を見てるなら正しく物を見てません。

目明きの人は内側から物を見ます。なぜなら内側の自分が本物の自分であるから。内なる物なくして外なる物は存在しない。中身のない人間がおりますか?

39:00

この世の中に命を宿してない物が一物とてありますか? 命という中身があって外観という肉があるんです。命がなくても外側の物は存在しません。

この植物に命がなかったら外観である植物は存在しない。人間という外観は命がなかったら存在できない。あなた方が外観・外念で生きてしまって形の本源本質である命を見失っている。即ち神を、己自身を見失っている。これが真理です。命が真理です。

世の中には命が何であるか知りませんから、世の中の人間は命知らずです。命知らずということは真理を知らないという意味です。