そのようなことはあり得ないと普通考えますけど、全ての中に自分がある 自分の中に全てがあると。人間は外念でしか考えませんので、その意味は解らない。
どういう意味かと言うと、皆さんは姿形が皆さんじゃなくて生命が皆さんですから、その生命は無限生命・普遍生命ですから、全ては無限生命の中におり そして無限生命は全ての中におるという意味です。
1:08
宇宙にはたった一つの無限大の生命があり…吾生命なりと。この無限生命が皆さんで、姿形が皆さんじゃありません。
吾生命なり・命なりと言うのは、命は無限大です。それを宇宙即吾・吾即宇宙と言います。皆さんの命は無限ですから、全ては自分の中におり そして自分は全ての中におると。
2:00
あなたは大生命そのものであるなら、全て皆さんの中におります。そして全ては自分の中におる。
現に万象万物は宇宙生命という無限生命の中におります。そして無限生命は全ての万象万物の中に生きている。
この無限生命は神です。全ては神の中におり、神は全ての中におる。そのことを全一体観と言います。この見方を、お釈迦様は「正しく見る」と言ったんです。
皆さんは外側で物を見るので分離観を持っています。
3:00
全てが一つということが分からない。なぜかと言うと形の世界で物を見て、生命の世界で物を見ないからです。
生命の世界には、あなた・わたしがない。唯一の生命ですから唯一の自分しかない。
ここにたくさんの木の葉がありますが、生命はいくつありますか?一つしかない。おる場所も大きさも環境も違いますけど生命は一つしかない。
だから全ては一つの生命の中におり、一つの生命は全ての中におるとなります。皆さんは生命であって姿形じゃない。
だからはっきり「吾は血や肉に属するものにあらず吾は生命なり」という生命の自覚ができたら、全ては自分の中におり自分は全ての中におるという意味が解ると思います。
4:00
この木の葉の生命は、この木の葉の生命の中におります。この木の葉の生命は、この木の葉の生命の中におります。
だから自分はあなたの中におり、あなたは私の中におるとなります。
そうするとあなたは即私、私は即あなたとなります。その意味をよくよく理解してる人は真に悟った人です。それが理解できないと外念で分離観を持ってるので人間は争います。
外を見て外に生きてる人間は常に争わねばなりません。苦しいとか悲しいとは外に生きるからです。本当に皆さんが真我という生命に生きたなら、苦しみ悲しみ不安恐怖は存在しない。皆さん方はほとんどの人が自分を肉だと思っています。肉はあなたじゃない。
5:00
生命がなければ肉は存在しない。その肉体は何が造ったかとい言うと、生命が造って生命が生きている。この木の葉が生きてるのか、生命が生きてるのか?
じゃ人間が生きてるのか、生命が生きてるのか?生命が生きてます。生命の他に生きてる存在はない。
その生命が神ですから、神の他に生きてる存在はない。神のみが生き、神のみが働くという意味です。即ち生命のみが生き、生命のみが働いているんです。
この知花を通して働いてる生命と皆さんを通して働いてる生命とは同じ生命です。この木の葉を通して働いてる生命と この木の葉を通して働いてる生命は同じ生命です。だから生命がいくつもあるのじゃなくて 一つの生命しかありませんから、無限生命・宇宙生命・大生命という一つの生命しかありませんから、
6:00
だから全ての万象万物は唯一の生命の中におり、唯一の生命は全ての中におるという意味を表します。
そうなると私も生命であり 皆さんも生命であり、外から見れば人間ですけど 内側を見れば私も生命であり皆さんも生命だと思います。
どんな形をとっていても男性・女性だろうが生命であることに変わりません。あるいは植物・石・ミカンという形をとっていてもみんな生命です。
このミカンも生命の住み家です。生命がミカンという姿形を現してる。石も生命が石という姿を現してるだけ。石の本質、ミカンの本質、植物の本質、人間の本質も生命です。海も山もみんな生命です。
生命が様々な形をとって、生命が様々な形の中におるという意味です。即ち神が全ての万象万物を造って、そして万象万物の中に神が宿ってるということです。
7:10
その生命が万物の親・造り主です。だから神 我が中にまします。
神を外に求めるなかれという意味です。そうすると生命を外に求めてるということになります。生命の他に造り主はいません。
人間一人一人は生ける神の宮なり・仏の宮なり。しかし人間は神棚に神がおるんだ、天の彼方に神がおるんだという外念でしか捉えませんので、そういうドグマ宗教がいっぱい出てる。
8:00
観念・ドグマ宗教と言って、神を知らない人間が神を説くからであると。彼らは神が何であるか知りません。勝手に自分で神を作り上げてるんです。これを空想の神と言う。実在する神じゃなくて、その本人の迷妄です。
神は絶対実在です。造られた物が造り主を造ることはできません。今の世の中の人間は 造られた物が造り主を作ろうとしてる。人間は造られた物です、生命は造り主です。
人間は生命が造った。このミカンは生命が造った。生命がミカンを造って生命がミカンの中に宿っている。
神は自分の住み家は自分で造って、自分を留めている。これを宇宙創造神と言います。
9:05
あなた方に悩み苦しみがあるということは生命に生きてるから?外で生きるから? 外を見て外に生きてる者には悩み苦しみは絶えないもの。しかし生命に生きた人間であれば悩み苦しみはありません。
なぜ生命に悩み苦しみがないかと言うと、他人と争わないから。生命が争うことは絶対にありません。肉に生きた人間が争うんであって…
例えばです。生命の次元になぜ争いがないか、生命がなぜ愛か?
外側から見れば他人のように見えますから、この木の葉とこの木の葉と争ってもおかしくない。
しかし、この木の葉の生命とこの木の葉の生命とは同一の生命ですから、生命の次元から見ると誰になります? この木の葉がこの木の葉を傷つけたとすると、誰を傷つけることになります? 自分ですね。憎むことは自分を憎むことである。
10:10
人になしてることは全部自分になしてることである。今まで誰を憎んできたか?誰の悪口を言ってきたか?
この木の葉が この木の葉の悪口を言ったら、自分の悪口を言ってますね。じゃ誰を憎めますか?自分を憎んでます。誰かの悪口は自分の悪口を言ってます。
その意味が解らない人間、真理を知らない、生命の次元で物を見ない、外念・外観で影幻の次元で生きてる人間は争います。
しかし真理を知りますと争いはなくなります。この世の中になぜ争いがあるかと言うと、真理を知らぬがゆえである。
11:00
だから争い・殺し合いが絶えない。罵り合いが絶えない。なぜみんなと仲良くできないかと言うと真理を知らぬがゆえ。
だから罪とは何か?真理を知らぬことが最大の罪と言った。
真理を知らぬがゆえに罪を犯してるので、真理を知ったら罪を犯しません。真理を知ったら誰かの悪口を言いません。憎みません。そうだったら苦しみますか?
我々の苦しみの原因は何から来るか?一体観からか、分離観からか。分離観から引き起こしたもの。だから生命に生きよなんです。
あなた方が本当に生命に生きたとすれば、絶対に悩み苦しみは存在しない。
12:00
あなたが肉体を自分だと生きてる限りは、その人から悩み苦しみは絶対に消えない。なぜ消えないかと?争うからである。妬むから怒るから誹るからである。嫉妬をするからである。
こういう不調和な生き方をしていながら幸せになりたいという人がいっぱいいます。不調和から幸せは見出すことはできない。幸せとは争わない・憎まない・嫉妬しないこと。
だから生命の世界に争いはないから苦しみがない。これを極楽と言ってます。争いながら極楽に住みたい、幸せになりたいと思ってる人がなんと多いことか。
我々はなぜ不幸せかと言うと争うからであると考えてみてください。
13:00
誰とも争わなかったら皆さんは幸せだと思います。誰も憎まなかったら。
本当に全てが一つの生命に基づいて生き生かされてると解れば争う人はいない。真理を知らない人間は必ず争う。
真理を知ってしまえば 自分の生命もあの人の生命も同じ生命だから、私が誰かを傷つけることは自分を傷つけることだと解ります。
これは肉体細胞からも言えます。例えば我々の体には無数の細胞があります。この一なる細胞からすれば全体は誰になります? 自分にしかならない。
この細胞が隣の細胞を傷つけたら誰を傷つけたことになります?自分を傷つけてます。だから自分とか他人というのはないんです。
14:05
それが解らないから外の外念で見て、あの人だこの人だと見てますが、生命の世界にあの人だこの人だとかありますか?ないですね。
それを見ても分かるように皆さん方になぜ不安と恐怖があるかと言うと、真理を知らぬがゆえだと一言です。
真理を知ってしまえば不安や恐怖はありません。不幸せであるはずがありません。
この肉を自分として 自我で生きてる人間が、どんなに幸せになろうと思っても一人も幸せになった試しはない。自我そのものは不幸せです、災いです。
神我は幸いです。神我はなぜ幸いか?争わないからです。なぜ自我は災いか?争うからである。
15:00
誰が災いは作ってます?自分でしょ。自分で作った災いに自分を巻き込んでるようなもの。災いはあなたが作るもの、誰がもあなたを不幸にすることはない。あなたがあなたを不幸にしてる。
じゃあ、誰があなたを幸せにしますか?自分しかない。どうしたら幸せになるか、誰とも争わないこと。悪口も言わないこと。嫉妬もしない、怒らないこと。
なぜ人間は怒るか?外で外観で物を見て、内側で生命の次元で物を見ないからです。生命の次元にあなた・私はない。この木の葉とこの木の葉の生命は同じ生命ですから、この木の葉がこの木の葉を憎んだら自分を憎んだことになる。
16:00
今まであなた方は誰を憎んできたか、誰の悪口を言ってきたか?よく考えてください。その真理が解ったら悪口言う人はいなくなる。憎む 誹る人はいなくなる。そして初めて幸せです。
憎みながら、怒りながら、謗り嫉妬しながら幸せになろうと思ってもなれるもんじゃない。絶対になれない、断言します。
色々のこの世の外側から幸せを見い出そう思っても見出せない。あなた方が本当の真理を理解して、今ここに書いてるように「全ては自分の中におり 自分は全ての中におる」という、この大生命の自分という…あなたの生命は有限ですか、宇宙生命ですか? 無限生命です。
17:00
あなたが無限生命そのものなら、全てはあなたの中におりませんか?そして無限生命は全ての中におりませんか。おりますね。この無限生命が皆さんの言う「無限者」という神です。
神が無限であるという理由は無限生命のことを意味してます。宇宙神とは宇宙生命のことを意味してます。宇宙生命とは大宇宙そのものが生命体ですよということを示してます。