見えるものの背後に原因がある。
原因は神。原因結果の法則とも言う。
外を見れば人間、内を見れば神。
どのような人間の中にも神は住んで生きて働いておられる。
私達は内に神を秘めてることを忘れて、結果人間として形だけに物を捉えて生きるようになった。
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人間とは一体全体 何かと正体を突き詰めて行くと神に到達する。人間と言ってるのは結果。人間があるには何かがあるはず。皆さんの内に神という原因がある。
神は一切の原因者・第一原因者。
この花は結果です。その花の内に何があるか?神がある。即ち生命という神。
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なぜなら神が生きている。皆さんと神は一体。身近に神を感じなくてはならない。神から離れた人間はいない。
神のみが生きてる、神のみが働く。
見えるもの・外は人間と言ってる結果。我々の中に神・生命が生きておられる。
イエス様は、人は生ける神の宮なりと言われた。お釈迦様も自分自身の中に仏が生きておられる、内観・内省しなさい。
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外を見れば人間だから結果だけで終わってしまう。結果人間。自分の正体を知らずに去る人、迷妄・迷い。自分を知らぬまま去る人は迷える霊。
人間の正体と花の正体はどう違うか?
一緒。犬という結果の中に何が住んでるか。神は一切の造り主であると同時に、一切の生命と言える。
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鉱物・植物・動物・人間にしろそうである。神は一切の造り主であり親である。我々の父。父なる神であり、我々自身でもある。
皆さん方は決して神から遠く離れて生きてるものではなく、皆さん自身は神の中におり 神は皆さんの中におられる。
神・仏はあなたの手よりも足よりも身近におられる。あなたの全存在は神である。
私達は全我・大我なる神の中におり、小我という私達 造られたものは大我の中におり 大我は我が中におる。
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しかし独自で独立して存在すると 全体からの分離感を起こして無知と無力と不毛を現してる。
外を見れば結果、内を見れば神。だから憶念・内観・沈黙を守れと言われた。
五感の感化の沈黙を守らすことで、内なる神を知ることも見ることもできる。
これを見神。
外は表現、現れ、現象。神とは現象の背後にあるもの、内にあるもの。
原因は見えない、結果は見える。原因結果の法則からは免れない。しかし原因を見失って結果だけで生きてしまった。
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私は私自身で独在するんだと思い込む、見えるものだけで生きてしまった。その背後にある肝心要を忘れてしまった。
見えるものがあるなら、見えるものの中に何があるか?考えたことあるか。
それが原因。神は第一原因者・神無くして何も存在しない。
皆さんの中に生きて働いてるのは神。
そうなると「我神なり」「我生命なり」「我は霊なり」と言えるのじゃないか。我は肉なりと生きるのか?
イエス様は「私自らは無である」。結果自らは無である、ゼロ0である。無である。
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私達の肉体も内に神・生命がなければ、私達自らは無である。
毎日自分と神は一体となって存在を保ってるけど、神様は遠い彼方におられるとか、いやヒヌカンだ、いや神棚・教会・お寺だと外に神を求めるようになった。皆さん自身の中に神は生きて働いておられる。汝自身の主なる神。これを神我と言ってる。
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神我🟰我れ神。汝の主なる神を愛せよ。自分自身の中に神がおられることを悟って理解して全託した時、素晴らしい この世でもう躓くことはない。
皆さん方の苦悩・苦しみ悩みというのは内から出てきたものか、外の結果だけから作ったものか?
不調和・不完全もどこから出てきたか?外を現実的・実際的と見るがゆえ。
多くの人の過ちは真我を見失ったから。真我とは真の自分。
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真の自分とは外か内か?
外なるものは偽我、自我。結果・無常・表現だから内なるものなくして外なるものは存在しない。外界は内界の現れ。
物質界は霊界の映し、影幻。皆さんの肉体は幻。
皆さんの中に神・霊・生命が宿ってなければ皆さんの存在はない。身内の者が死んでるの見てください。
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霊や生命・神が遠ざかったもの自らは何もなし得ず。肉体はあるけど動かない 息しない、働かない 考えない。
皆さんの中で語ってるのは原因であって結果が語るのじゃない。霊より語る、御言葉。肉に言葉があるのか、霊に言葉があるのか?
死人に口なし。死とは原因から離れた状態。皆さん方は死なない。
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霊には始めも終わりもない。久遠常在の自分は霊的自分。ここに現れてるのは結果・表現の自分。変化はあっても内なるものは変化しない。
外は変化、内は不変不動。不動の自分は霊的な自分。神我は絶対不動であり絶対不変。絶対神。
心が揺れ動くのは外なるものの影響であり、内なるものの影響を受けて心は揺れ動く試しはない。
外に生きる者はとうに死人。偽我。
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命が何であるか分からないで、この世を去るのを無知・迷妄。あなたがあなたを知らずには何も始まらない。人を愛することも調和することも一切できません。
自我が調和することできますか?
自我は不完全そのもの。真の自分を見失った無知そのもの。智慧はない。無知であるが故に罪を犯す 誤ったことをする。
それは偽物で考えるから、その人の考えることはみんな偽物。何一つ本物はない。
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本物・真理を語るには内より語るしかない。自分が霊・生命・神である。我生命なり。
神我即大霊、大生命である。神我は全智全能の神。そのことをイエスは「私には天上天下の一切の力が与えられている」
皆さんは与えられてるでしょう。
一切の智慧・力・愛である神ご自身が、全智全能の神が皆さんの中に現れて働いて住んでるのじゃないか。これが私と父とは一体であると昨日、説明した通り。
この私とは造られた子の私。そして子の中に父が住みたもう。だから父と子は一体。
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この知花自身、私は子であると同時に父である。表現は子、表現してるものは父。父は子を通して表現したまう。
皆さんの肉体は子。だから人間は神の子。
子は父の中に住み、父は子の中に住みたもう。今現実に皆さんは無限宇宙の神の中に住んでいる。で、父は皆さんの中に住んでいる。父と子は一体、我と神とは一体。
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我々を造ったのも神であり、そこに住みたもうのも神であるなら「我神なり、我生命なり、我は霊なり」ということです。
自分というもの正体・実体・実相を完全に把握してこそ正しくものを見ること・思うこと・語ることもできる。神我を受け入れないと正しく見ることも思うことも語ることもできない。無知そのもの。
本当に日本の中に あるいは世界中で神我の自覚をした方が何名おられるか疑問。教祖と言われた方も、この事を完全に見失った者だけ。
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牧師・坊主もこの事を知ろうともがいてるのは事実だけど、まだ理解してないし受け入れてない。皆さん方はその事を早くお気づきになり、神我なる我が内なる神を見出さなければならない。
神は遠い彼方にますのでなく、自分自身の中に神がおることを簡単に理解できるのじゃないか。
神の国は汝の内にありとイエスはいつも言われた。外に神を求めるなかれと言われた。釈迦の言った言葉とイエスの言った言葉は同一の教え。仏はあなた自身の中におられる。心の中に神はおられるとよく昔の沖縄でも言い伝えられてきた。その通り人間の中に神は住んでおられる。
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我々人間は内なる神の表現・現れ。その事をはっきり自覚すると無我になる。あなたのものはどこにあるか?全ては神のものとなる。
あなたを造ったのも神、住んで働いてるのも神、じゃあ今まで私と思ってた私はどこにあるか、自我は。吹っ飛んでしまうでしょう。自我・偽我は結果だけに生きた人間の姿。神我の中にはない。無我になる。神我あるのみ。個人的自分はなくて総合的全我、全体としての我。
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普遍的な我・無限なる我。天上天下を一切を支配してる大霊そのものが皆さんの中にある。
皆さんの生命は即一切の生命。生命においては区切られてなく分離してなく独立もしてない。ただ宇宙生命という大いなる生命体があるだけ。
皆さんはその中にとどまり その大生命は皆さんの中に浸透してとどまっている。皆さん方は生命において全て、全一体。同一の生命・同一の御霊・同一の神。皆さんは同一の神の現れ。神は一神にして多身。
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神は一様しかいない。一つの神が多に現れてる。一柱の神しかおられない。
そうなると神はいくつも三つもおられない。キリストの神、釈迦の神、何の神だとおるものじゃない。そこに唯一神という一柱の神があって、一切に神が現れたもう。人間の中にも鉱物・植物・動物の中にも。だから神は非人格的存在、人間だけに現れてるのじゃない。
あなたが自分は神であることを悟って、肉体に内なる神を顕現した時、人格神となる。