20:00

今までいかに神を幽想し、空想していたか。そうでなければ神は無限者でも全智全能でも、あるいは至る所に遍満する神でもなくなる。


神がここにいる あそこにいるという状態ではなくて、至る所に在しますものである。空気の中に神は現れ、水の中にも山の中にも神は現れ、岩の中・木の中・人間・動物の中にも神はおられる。

神によって全ては造られた、一切の造り主・創造主であられる。

21:00

見える私達は神の創造物。神によって造られたもの、神によって生かされてるもの。だから皆さん方の神は手よりも足よりも身近におられる。神の国は汝の内にあり。あなたの生命こそが我が神であり我が父であることを今日ここで認知していただきたい。


その生命は別人の生命と別離・区切りもなく差別がなく平等であります。皆さんの前で語ってる知花の生命と、皆さんの生命は同一の生命・同一の御霊・同一の神・智慧・力・愛であります。

ただ表現の過程・器が違うだけで、中において内なるものにおいては同一。

22:00

イエス様は「私を死より上げたもうた御霊が皆さんの中にもあるのである」「私を通して語りたもう神が皆さんの中にもおるのである」と聖書に書いてます。

神をもって語らしめよ。皆さん方が内なるものの自覚をして初めて、私達の肉体・媒体を通して神は内より語りたもうのです。声天より来たれり、生命天より来たれり。


だから天とは生命であり、霊的存在である。見える物は地であり、内なる霊的生命が天です。天と地は一者です。天とは表現してる神です。地とは表現そのものです。現れの世界を表現・子です。

23:00

私達の肉体は地であると同時に 内に天があります。イエス様は「私は天より来たれるものである、上より来たものである。」「私の12の弟子も天より来たるものである。」天使・天の使いである。


皆さん一人一人が天使です。畏れ多くもと言うのでしょうか。皆さん誰の使いですか?だからイエス様は「私は神によって使わされたるものである」と言われた。皆さん誰によって悪魔によって使わされたんですか?

24:00

私はよくこの沖縄に100万という人口がおれば100万という天使が生まれてますよと言います。私は一切合切の人間が天の御使であることを知ってるからです。天なくしてここに何も存在しない。

皆さん一人一人は神の御使、天使です。我は天使なりであって、誰の使いですか?しかし世の人々は肉に使われてます。肉我という肉欲・物欲に使われて、天を断ち切ってしまった。自分が天使であることを忘れてしまった。

25:05

皆さんは天から来たものか、塵(ちり)にて来たものか、どこから来ました?

上から来たものは上に帰ります。どこから来たものか解らなければ帰るべき所が解らぬ。これをさまよえる霊。あなた方は天に昇るためには出てきた所を解らなければならない。


聖書にこう書いてます。パリサイ人は、イエス様あなたはどこにお帰りになるんですか?「あなた方は私が出てきた所が解らなければ、帰るべき所は解らないだろう」とお答えになった。

あなた方も出てきた所が解らなければ帰るべき所が解らないのであります。皆さん方はどこから出てきたのか、上から来たのか塵にて出来たものか。

26:00

天の父より出来たものです。天によって神によって使わされたるもの。

誰があなたをこの世にお造りになって、誰があなた通して働いているのか?天がなんです。これを神我と言います。 

あなた方の生命は神我です。我神なりであります。あなたの生命は何でしょう。神なくしてあなたは存在しないでしょう。あなたの中で生きて御業をなしてるのは神です。

27:00

そうなると、あなたの手よりも足よりも身近に神はおられる。生命として。

私と父とは一体であるとイエスが常に言われたのはその意味です。あなた方も私と父とは一体とはっきり言えるのじゃないですか。それをなぜ拒むのか?


今の教会では畏れ多くもイエス様だけが神の一人子で私達は罪人だと教える。じゃあイエスは嘘をついたのか?あなた方一人一人が生ける神の宮なりと教えたんじゃないですか。

どこから罪人を持ってきたのか。あなた方は罪人だからイエスを礼拝して拝まないと天上界に入れないとか教えた。

28:00

人間は罪人で私だけが神の一人子であるとイエスは言われたのか。聖書に書いてますか。残りの人は悪魔の子だと言われたのか?

神の一人子というのは自我のことを意味するのじゃなくて、あなたの生命を現しています。この神我・生命はキリストです。あなた方はキリストの中におり、キリストは皆さんの中におる。だからキリストは一にして多なるもの。

キリストは羊飼いを意味します。神を意味します。その羊飼いが皆さんの中におられます。

29:00

一人の羊飼いと一つの群れと書いてます。いつか皆さん方は羊飼いの声を聞くだろうと言われたのは、神我の声を聞くだろうという意味です。

キリストの声に耳を傾けるのか、自我であるサタン…サタンとは肉我のことです。自我は罪と病と死を啓示します。神我は無実と無病と不死を啓示します。

真実において無実・無病・不死です。これが天国です。肉我の言うことを聞くのか神我の言うことを聞くのか。

30:00

皆さん方は神の言うことを聞くのか、サタンの言うことを聞くのか。どちらの言うことを聞いた方が有利なのか?今までほとんどの人は無知・不純なる者の言うことを聞いてきた。これが苦悩となって現れてきた。


私達は死・病・罪は免れないものというように、肉我で勝手に神からの分離を引き起こす無知よって引き起こした。

決して真実において一度も罪を犯したこともなければ、病むことも死ぬこともない存在ということを認識し容認すべきです。

どうです?天使たる者が罪を犯すのでしょうか。あなた方が罪を犯してきたのは自分が天使であることを知らなかったからじゃないですか。

31:00

どこから出てきたものであるか解らなかったからじゃないですか?自分が何者であるか知らなかったから罪を犯したのじゃないでしょうか。

それを知ってしまえば罪を犯すでしょうか。不調和なことをなさいますか?

これは造られたものが造り主を見失っていたからです。造り主・神がどこにおるか知らなかったからです。


神は皆さんの手よりも足よりも身近に生命として 肉体の中に造られた物の中におられる。造り主は自らの表現のために私達の表現体・肉体をお造りになった。

私達は造られたものであると同時に造り主である。それが父と子は一体。もう何も不安がる必要はありません。

32:00

それを受け入れて常に私と父とは一体であると言ってください。

四六時中 神を思いなさいとは、四六時中あなたの中に神がおることであります。神との一体であるという観念を持っていることです。

もしそれから分離してしまうと皆さん方はまたすぐ迷える者となる。肉我に生きているということです。

この知花は寝ても覚めても神との一体感があります。そうすると寝ても覚めても平安・安らぎであり、本当の法悦感の中に生かされているということです。


今私を通して皆さんの中で語られてるのは、造られたものが語っているのか 私の内なるものが語ってるのか、どちらが語ってると思いますか?内なるものです。肉体そのものは言葉も息も力も持たない。

33:10

なぜ自らは無である表現に生きようとするんだろうか。イエス様は「この世で何者も父と呼んではならぬ。私の他に他に神があってはならん。」と言われたはずです。


皆さんの父は誰ですか?宇宙の創造神でしょ。神は一切の父。我々の父。人間だけじゃなくて造られた物の一切の親。その事を見失っていたのじゃないか。

人間だけじゃない、鉱物の造り主・鉱物の生命、植物の造り主・植物の生命、動物の造り主・動物の生命。

34:00

一切の造り主・一切の生命が、神のみが一切を造りたもうて神のみが生きて表現している。だから私達一人一人は神の表現体・現れ。


それがはっきり理解できないと迷える者・無知となって不安と恐怖の中に慄かなくちゃならない。

皆さんの肉体の管理者は神です。これを知るまで認めるまでは完全とはなり得ません。ということは神への抵抗・反発・冒涜です。

神を受け入れることが冒涜ですか?

35:00

私の中に神がおると言ったら、今キリスト教でも仏教でも畏れ多くもと言うはずです。


ちょうど今から二千年前もパリサイ人・司祭者達・宗教家達が神を冒涜する者とイエスを罵った。私と父と一体であると言ったがゆえに彼は十字架にかかった。確かに十字架にかかる前の裁判の日にイエス様は裁かれています。

「あなたは本当に神の子なのか?」

「はい、そうです。」と言った、一言によって十字架にかかったのです。


いかなる無知なる この世の者の迫害・障害も恐怖せず、内なる神の信仰を持ち通せるんでしょうか。

例えあなたの手や足に釘を打たれようが、内なる神を否定せずにイエスのようにそれぐらいの信仰心を持ってるんだろうか。