私達はまさに生き地獄という地上界に釘付けされてる。
この世的な意識がいかに宗教遍歴しようが、何十年宗教に付随しようが、その人は昇天しない。
昇天とは一歩一歩この地上界の意識から自分の本性である神意識に進歩して、私達の振る舞いが正しくなった時、神の御心のごとく思い行いが正しくなった。
誰も謗らない 妬まない 怒らない。エコ贔屓もない、好き嫌いもない。不動の精心。
怒ることは自分を怒ることであり、人を冒涜することは神を冒涜することになることを知った時、何も冒涜しない。
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そして全ての存在を一つとみなし、一つの生命・一つの意識というものを理解ができた時、神という意識界の天界に住むことができる。肉を持ちながら天界の住者となる。意識そのものが天界です、神意識がね。高度の物の考え方。
低い物の考え方は低次元です。低い次元の妬み謗り怒り…は地獄界です。だから悩み苦しみ、病気もするんです。
私達の意識が徐々に向上してきて、その意識が理解できるようになると昇天します。
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昇天は誰が決めるか。誰が昇天させてくれるか、あるいは神様が昇天させるのか。自分自身ですね。
私達の思い行いが本当に正しくなった時のみに皆さん方は昇天を築くわけです。
人間は物質界・霊界・天上界3つの意識を理解できるようになった時、この肉界にいながら霊を表現できます。
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神の愛が表現できるようになります。
だから天界とは今皆さんが考えてるような空想・妄想の中にあるんじゃない。
天界も現実的・実際的であります。その天界は我らの中にあります。私達の心の中に天界があります。その心の奥底に神我という領域があるんです。
神我とは嘘のつけない全我なる心という意味です。人を謗らない 怒らない 妬まない 争わない 不安と恐怖、嫉妬も存在しない。その御心に到達した時に天界の扉は開かれます。
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低い次元の思い行いの中に生きてながら天上界に帰りたい。どの宗教をやれば帰る、お経を何万回あげれば帰る、そんなものじゃない。
お経は何の手助けもしません。あなた方を天上界に上げてくれるのは、あなたの思いを正すこと以外にない。低次元の思いをしてる者は低次元の意識界に釘付けにされる。
お経を上げながら人の悪口は言うや妬み裁きはするや、意識は自我だらけ間違い罪だらけで天上界に帰れますか?
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また、見た目も誰も信じてくれない。
お経を何万回上げてるけど、あの人はよく人の悪口は言うんだよ 貶すんだよ 裁くんだよ。 そういう者は魂的に一向に進歩してない。
進歩した魂とは人の悪口を言わない。謗らない怒らない嫉妬もしない。不安も恐怖もない。
今自分がどの段階にあるか自己診断できますよ。ちょっとやそっとで人の言葉に迷わされて動揺して一緒にケンカするか。それともどんなに悪口を言われても冷静で物を見ることができるか。ということでその人の魂が高い低いが言える。
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おい、この野郎バカやろうと言われても平気でおれる人です。これは意識の高い人です。そして相手を憎まない。相手は自我で底辺の物の考え方で人を貶してるんだな、悪口言ってるんだな、かわいそうに。
汝の敵をも愛することができる。汝の敵のことも祈ることができるようなあなたなのか?ということが言えます。
それくらいできていたら皆さんは天界にやや近いでしょう。
旦那さんに「おいバカやろう」すぐ道具を蹴っ飛ばして怒られても冷静でいれる奥さんなのか。もしその旦那さんを見てお互いにケンカし合ってる奥さんであれば、奥さんもまだ低次元です。
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低次元でいつもそういうことを繰り返してる者は、底辺である地上界の物質界に釘付けになる。そういう者が天上界に帰りたいと思っても帰れるものじゃない。
霊的修行とは何か。ほとんどの人が肉が自分だと思ってるんです。肉というのは肉だけで生きられるものじゃない。
肉は一つの魂・霊の乗り舟にすぎない。表現体にすぎない。
で、肉のみの意識で生きますから私達の思いが非常に低い。意識が低い。妬み 謗り 怒り合う 非難し合う。対立・分離そういう中に生きてる間は、まだまだ魂は理解してない。
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自分というのを理解してない。自分の本性を見失った迷える魂です。迷った魂とは本性を失った私達のことなんです。
本性・人間の本質とは何か?
それは神意識なんです。それを神我・内在キリスト・宇宙意識と呼んでいます。
意識が高くなったということは、ここで真理を学び自分の本性を多く現そうとする努力が必要です。
人に何と言われても怒らない謗らない裁かなくなった、そういう一つ一つの古い習慣性・地上に釘付けにしてる原因を取り除くことです。
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それを持っていながら宗教遍歴しても何万回お経あげても天上界に帰りません。
あるいは今の仏教は悪人であった者でも坊主がお経をあげれば天上界に帰れると言って、多額なお賽銭を取ってお経を読んで聞かす坊さんもいます。その坊さん自体も地獄行きです。天界がどこであるか昇天が何か知らないからです。
肉そのものが帰るんじゃなくて、意識そのものが普遍・永遠であるということです。そこを知らないから騙して詐欺を働く坊さんがいかに多いことか。
いくら何万回多額の金を払ってお経あげても成仏しませんよ。
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そこに生きていた時にどういう表現・生き方をしたかが決まるわけです。
自己欲望・利己主義・個人主義で全部 自分勝手な自分本位で生きる者は、神から離れた 天界から離れた存在です。
神は分離ではありません。全ては一つということを悟らない限り、分離観念の中で妬み 謗り合いというのが起こってきます。そして自己中心的な物の考え方に変わります。
私達は人を傷つければ必ず自分も傷つくことを知らねばなりません。他人を貶せば必ず貶される。
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だから人を殺せば穴二つという言葉が出てきます。人を殺して自分が生きられるものではありません。
そこで人間の非常に厄介なのは目で見る 見聞きできる 感覚で感じる感覚人間として、この世の低い次元の物事を意識しようとするところに、この世に釘付けとなった。
私達は肉ではないのです。もちろん肉であると同時に霊そのものなんです。私達は肉という三次元を持ちながら霊という四次元の中に住んでることを忘れてる。
霊そのものが本性・本質そのものです。本性は現さないで表面の肉をみんな表現している。表面意識という肉界の思い行いで生きるようになった。
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まだまだ理解できない魂は何千回、何万回でも自分の本性に気づくまで生まれ変わりしなくちゃならない。これを転生輪廻と呼んでる。
そういう肉の思い・肉欲・物欲にこれが全てだと思い込むようになってる迷いという殻をぶち破らねばならない。
人間がどういう具合に神に生かされてるかも知らない。自分の中に霊が宿ってることさえも知らない。
私達肉体という物だけが孤立している存在じゃない。いくら肉体があってもその本人から霊的活動・実際的エネルギーが抜けてしまえば死殻・抜け殻なんです。
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私達を活動させてる霊力という力そのものが神です。活動が止んだ時はその人の肉体は抜け殻です。命がない、霊が抜けたからです。
霊は永遠不滅です。私達の肉体でさえも永遠不滅です。皆さん方は火葬場に持っていかれて肉体は消滅したと思ってますが、姿が変化しただけです。
エネルギーは目に見えない存在であり、あるいは固定化された液体・固形という形にまで現れてきます。
エネルギーはある時はガス状 ある時は液状 ある時は鉱物の姿を現し、植物あるいは肉という人間を現しています。
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私達の火葬場で焼かれた人間の肉体は大気中の中に変換されるだけです。ガス状となり、何一つ消滅するものはない。
そういう理解で肉体でさえも消滅することはない。
皆さんの今の思いで人間が死なないと悟れるようになると、それ相当の高い意識に到達してます。
皆さんは肉の思いだけに生きてるため生死に苦しむんです。生きてる苦しみ、年老いる苦しみ、病める苦しみ、死ぬ苦しみ、生老病死をみんな持って恐怖観念の中に生きてるのです。
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それは死なないということを悟ってないからです。私という知花は死なないことを知ってます。肉体でさえも変化はするけれどもエネルギーは消滅しない。
霊そのものが消滅であったら、この世は存在しない。
霊とは宇宙に遍満する活動的エネルギーのことです。あなたの中に霊がいるから目・口・手を動かすことができる。活動力である霊が抜けたら指一本だって動かせない。これが霊力、大宇宙に遍満する霊的エネルギーです。
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そのエネルギーは皆さん方の悪用によっては破壊的にも繋がるわけです。
悪想念という妬みや謗り、あるいは霊力でもって殺人を犯す者も出てきます。恐ろしいものです。
神から与えられたエネルギーを誤用して悪用して人殺し・喧嘩に使う人もいます。夫婦喧嘩・親子喧嘩をしたり、憎しみにエネルギーを転換したり、様々に大宇宙に遍満するエネルギーをいかに私達が悪用してるか知らねばならない。
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霊的エネルギーはそんな悪用に使うためにあるのでないということをまず悟ることです。
皆さん方は幽霊とか亡霊とか空想・妄想の中にあまり霊的観念が汚れています。
霊とは空想・妄想の中にあるのではなく、エネルギーそのものなんです。
悪霊とは破壊的な想念行為に使ってるエネルギーのことです。
私達が人と喧嘩してることは、その喧嘩してる状態の活動エネルギーは悪霊と呼びます。傷つけ合うこと。その力を悪霊と呼んでいます。
善霊とは私達が愛分かち合いの中に、助け合いの中にそのエネルギーを使ってるのを善霊と呼びます。