はっきり申し上げて、神のみが生きて神のみが実存する。しかし人間だ 人間だと騒いできたわけです。
人間の正体は神であります。動物・植物の正体も神です。神が造って 神が中に生きています。
私達の生命と鉱物・植物・動物の生命と何も違わない。同一の生命・唯一不二の生命、神我がご自身を顕現しています。
31:30
動・鉱・植物には限られた表現があります。しかし人間には無限の表現・可能性があります。これを自由意思と言います。
彼らは良くなることも悪くなることもありません。彼らは自由意思がありませんから現されてるままのものにしかなれない。それ以上にも以下のものにもなれない。
しかし人間は、これ以下にもこれ以上のものにもなれます。
32:20
皆さん方は無限の可能性を自らの無知で低下して、低い表現を現してきた。不調和・不完全という悪魔のような現れ方。
だから人間は悪魔にもなれるし 神にもなれる。不調和にもなれる、調和にもなれる。あなたの意思次第です。
自由選択で、良き人間にも悪い人間にもなれる。神のような人間にも悪魔のような人間にもなれる。虫ケラのようなものにも動物以下にもなれる。あなたの想念いかんによって決められてくるわけです。
33:00
あなたが選べば何にでもなれる。それを本来持ってる力で為しています。だから無限の可能性である神を現すべきです。
何のために肉と魂は造られたのか?神の愛の表現のために私達は造られています。
個人的 欲望達成のために造られたのか?皆さんのここの存在目的を見失っています。盲目の人生。無知のままで死にいく者のあまりにも多いこと。
34:00
目的も何も知らないままで、ただ肉欲・物欲・情欲に動物以下のような表現をして この世を去る者のいかに多いことか。肉体と魂の目的を見失っています。
あなたが地位名財を得ても神の目的ではありません。神の目的は神ご自身を顕現すべきです。神の愛と調和を智恵と力を現すために、大生命の表現のために造られたものです。
その目的を失って個人的欲望のために造られたと錯覚を起こしています。
35:16
悩み苦しみ恐怖や不安を体験するために造られたんでしょうか?
神の無限の可能性を現すために肉と魂は造られています。その目的を見失ってる人間を盲目の人生、迷える子羊、迷える霊。
私達は生かされてる目的、造られた目的を知るべきです。
36:00
存在の目的は何ですか?たくさんご馳走を食べるためか。金を儲けていい洋服、いい家に住むために生まれてきたのか。
ほとんどの人は多く勉強して高給取りになって、贅沢に裕福に暮らすためにこの世に生まれてきたんだと。価値観が全く物質的な価値観になっています。
これを物的思考、陰なる思考。陰的思想、闇なる思想です。これは無常です。
陰なる自分に生きて、永遠なる光の自分を見失いがちです。皆さん方は闇なるものをかき集めに来たのか?目的を見失ってる魂がいかに多いか。
37:05
いくらこの世で物を集めても皆さん方の魂は お喜びになりません。混乱するだけです。いくら物を持っても魂は満足いたしません。欲望が満ち足りることはないからです。一億持たせば十億欲しいし、十億持たせば百億欲しいし、限りなき欲望に支配されてます。
この地上界を俗界・欲界と言ってます。その欲望は苦悩を作り出すだけです。一切の欲望を捨てて、霊的真の欲望があります。物的欲望と霊的欲望があります。
38:00
皆さんは霊的存在であって物質の存在ではない。皆さん方は物質そのもので力があり 生命があり、独在してますか?
見える物は現された影にしかすぎない。あなたの肉体も生命という霊が宿ってるからこそ存在があるので、肉体そのもので生命・霊を宿してるのではありません。
あくまでも見える物は内なる霊的・生命的な表現にしかすぎない。その現れに目が眩んでしまった。
皆さんは霊人であり、肉体人間ではありません。肉体自らは生命も智恵も力も持ちません。言葉も息も持ちません。
39:00
息してるのは生命であり 肉ではありません。生命が生きて働き、言葉があり智恵があるのです。あくまでも見える自分は見えない自分の表現です。
表現の自分に生きて、表現してる自分に死んでいます。見えない自分が本物なのに、生きてる久遠の自分に死んでしまって無常の陰なる自分に生きています。
死から蘇るとは、死に行く自分から死なない自分に 久遠なるものに生まれ変わる。これが復活です。
40:00
これは悟りによって成されるもので、悟らないままで死から蘇ることはないのです。
生命は死ぬことも朽ち果てることもありません。死んでも死なない。死ぬと思っても死なない。
皆さん方はまだ死があると思ってますけど終わりはないのです。表現には終わりはあっても 表現してる自分には終わりはありません。
どうか五感の目で見るものを現実的・実在するものと見なすことをやめていただきたい。その背後にあるものが実在の実相の自分・生命の自分です。これは真理です。外なるものは陰です。
41:20
だから外から五感の感化で真理を理解しようとしてもできません。理屈としかなりません。神は現実的なものです。
生命において自他一体、全一体である。同一の生命・御霊・神で全てが存在してる。そうなりますとみんな兄弟姉妹、それはもう愛せずにはおりません。
真理を知ることで皆さん方は神が愛であることを知るのです。
神は愛だと どの教会でも口先で言ってますが、しかしなぜ愛なのかを知りません。今ならなぜ神が愛かお分かりでしょう。
42:30
神の中において憎しみがありますか?愛一元の世界でしょ。対立するものがありませんから、愛であるはずです。
だからイエス様は自分を愛する如く人を愛しなさい。人を愛することは自分を愛することであると言われた。
同一の生命・御霊、一つの存在しかありませんから 誰を憎みますか?
私達の迷妄・無知が人を憎むのです。
43:03
あなた方がもし誰か一人でも憎いものがいたら 許せないものがいたら、あなたは神の中にはおりません。神の外、迷いの中におります。
神が一人でも憎いものがいますか?全ては愛でしょ。大生命・大霊しかありませんから誰を憎むんですか。一つしかありませんから。相対するものがありませんでしょ、一なるものしかありませんから。だから神は愛なりなんです。お分かりですね。
我々が五感の感化でとらえてる愛は不純な愛です。利害関係。すでにあの人を愛することで何かを得ようとする不純の愛です。嘘ですよ、本物の愛じゃない。無所得の愛じゃない。
44:02
無所得の愛は真理の中にのみあります。自我の中に神の純粋なる愛があるはずがない。だから我を知らぬ者の中に愛はありません。神我にのみ愛はある。あなたは自我で愛したけど、何かを得たいと思ってベチャベチャやってきたでしょ。
みんな全一体である、一つであることを知って初めて無所得の愛。純粋なる愛。
当たり前のことでしょ、人を愛することは。返礼を受けるために愛するんじゃない。
人を愛するのは特別なことか当たり前のことか?なぜならあなたも神、彼も神、彼女も神ですから…
45:00
神が神を愛すとはその意味なんです。神の他に何もないからです。対立するものが何もないからです。それは一元論になる。神一元・光一元・完全一元・愛一元。
その二元論、相対するものは観念・外念 そこに神に対立するものを人間の無知が勝手に作り出したものです。
愛があれば憎しみもありますか?
憎しみとは我を知らぬことの間違った現れです。愛一元の世界しかないはずです。