49:20
あなたの意識が多く学び、真理をよく理解して学べば学ぶほど、高くなればなるほど もう低い者があなたを導けなくなると今度は入れ替わるんです、高級霊が。それが2〜3回入れ替わる場合もあります。全然変わらない人とは意識がそのままの状態である人は変わる必要がありませんから そのままなんです。
これは普通の霊能者が言ってる背後霊というものです。
49:55
あまり毎日高いお話だけしておりますので、今日はちょっと低めにこういう霊の次元もお話必要ですから、お話しをさせて頂いてるわけです。
50:08
あのね、一番厄介なのはユタなんです。
ユタがよく間違うのはその人を指導してる霊を 災いの霊と見なすんです。
愛してる者が 守護してる背後霊が一人だけでなく5〜6名である場合もあるんです。愛する者が多ければ多いほどその人を守護するんです。
例えばこの世で多く人を愛した者があの世に帰ったとすると、まだまだ彼は完全ではないけども我々よりは霊のこと分かってますから、ここを見聞きできますから 先見の目がありますから、どういうことが起こる いい事,悪い事みんな分かりますから、助けた人・愛する人が その人を愛するために保護する場合があるんです。
だから この世で人から惜しまれてあの世に帰った方々は、よくそういうことが起こります。そしてこの世に残ってる人から惜しまれてる、人々に多く奉仕をした 愛を尽くした人はね、帰った人がその人を保護するんです。
それをユタの霊視で見てあなたに霊が何体ついてますと言いふらすんです。
本当は守ってるんです。災いしてるんじゃなくて愛して守ってるんだけど、ユタは見ることしかできないから どういう働きしてるか分かりませんから、すぐ災いしてる あなたの後ろに霊が何体付いてると言うんです。
51:48
これは私の体験です。ユタヌヤーに行きましたら…8体の霊が私の後ろに…これは私を守ってる霊の方々なんです。私を愛してる方々なんです。ユタから見ると災いの霊だと言うんです。ほとんどが外人であると笑。見てますから彼らは、霊眼がありますから。しかしみんな私を守護し守ってる方々なんですよ。私はそれが解りますし 見えますし 話すこともできますから、いいんですけどね。
しかしそれが災いの霊となって「うがむさげらんねならん」ということをユタが誤ってやるわけです。
53:00
ある奥さんがこう言いました。北谷だったと思います。大きなレストランをやってる奥さんだったけども、ユタヌヤーに行きましたら あなたの後ろに6才位の男の子とお父さんがついてあなたを災いしてると言ったんです。
その事を聞いてビックリして「先生そういうこともあるんですか?」と言って、ここにご相談に見えたんです。案の定、私も霊視して見ると6才位の男の子と45〜50才位の男の方がいるわけです。
「あぁ、これはあなたのお兄さんとお父さんですね。」と私が言ったんですね。「えー?」と言うんですね。
ちょうどそのお兄さんというのは、この奥さんは南洋帰りで南洋で長男とお父さんが亡くなったんです。戦争のためにね。ちょうど船から引き上げの時にはもうその娘さんとお母さんだけが残ったんです。
で、遺骨を持って南洋から引き上げの時に船が沈んでしまいまして、その遺骨は海の中に落としてきてるわけです。その事をユタヌヤーに行きましたら、あなた方は遺骨を向こうに落として 供養しなくちゃならないという風に出たそうです。
54:30
そうしたらね、この霊が怒ったんですよ。「私がこの娘をいかに愛してるかが分かるのか!」「私と親子がこの娘を愛して、商売も繁盛させ 客を寄せてるのも私達だ。」なぜならこの娘がお母さんの面倒見てるわけです。
もうこれが感謝して絶えない。娘にお願いするよ、お母さんを最後まで見てくれよという愛の念でね、商売の繁盛から健康までお父さんと6才である長男が見守ってるわけです。
それをユタヌヤーは供養しなくちゃならないと。そのお父さんがプンプン怒ったんです。「いやなーなむじゃーユタぐわー」
55:35
レストランも大繁盛して、もう一つ長男に継がしてお店も作ったんです。
我々が災いしてるなら繁盛するはずがないと。見守ってあげてるからお母さんをお願いするよということで大繁盛させてるのは自分自身、私達であって災いしてるものではないんだ。ということで言ったんです。
56:04
お父さんはそう言ってますよと。私はそば屋をやってること全然分かりませんでしたから、あなた方にレストランをさして新しい店を持たそうとしてるのは私達だとお父さんが言って…「えー?」…
もう分かってるわけですよ霊は、この方がやってますから。
56:25
これが皆さんの背後霊、即ち守護霊でございます。これが現にあるわけです。
それをユタは取り違えて災いしてると。
遺骨や一切そんなものと関係ないと言うんです。海で捨てようが何しようが。現に私達はこうして生きてるんじゃないのと。あれはね空であって私じゃないんだと、はっきり言ったんです、その方が。あんなものと一切関係ない。生命とそんなものと関係ないんだということ悟ってらっしゃるわけです。
57:00
いかに今ユタが人間を迷わしてるか。彼らはチラッと覗き見をしてるだけなんです。で、見るとすぐ迷える霊でしょ。「御願(うがん)」を下げればすぐ3万円儲けるから何でもかんでも うがんに持ってくるわけです。うがんを下げないと儲けがないから3万円取れないから早くうがんを下げて儲けた方がいいから、何でもかんでも見たら御願ですね。その様なことに引っかからないようにしなくちゃなりません。
甚だしいものになると、屋敷にいい霊がいて守ってる霊があるんです。それを見てもすぐそう言うんです。もうみんな恐怖を植え付けるしか分からないんです。だからそういうまやかしの言葉に迷わされないように。
我々は死んだ者と生きた者との仕切りがないことは知っておきたいと思います。
一つの生命に基づいてみんな生きてるからです。
58:00
いかなる天使であろうが人間であろうが金魚であろうが動物であろうが生命には変わりはない。同一の生命が金魚の中にも鉱物の中にも植物の中にも天使方の中にも、いと低きものから高きもの、ただ現れ方が違うのであって一つの生命に基づいてみんな表現をしてるだけなんです。だから死というものがないんです。
今、私は生命の中から語らして頂いてますね。私には区切りも仕切りもありませんから、その生命の中に私はおりますので私は無窮自在なんです。上の方に行こうが下の方に行こうが自由自在です。
あなた方も生命に対しての認識・理解・悟りができるようになりますと、どこにも仕切りも区切りのないことが分かります。
その仕切りや区切りは心が勝手に作ってます。自分と死者との区切りを作って、見えない 話せないものであるという思いはあなたの心にのみあります。
その障壁はあなたが作ってるのであって誰が作ってるのでもない。だから肉体を持ちながらにして私達は無窮自在です。そのことを知ってもらいたい。
59:30
しかしこれはキリストという生命のパンをいただくのみ可能です。自分自身が生命そのものである。一切、宇宙生命には区切り・仕切りがない。即ち自由だという宇宙生命を受け入れる。我を食するものは永遠に死なないであろう、真の自由を得るであろうと言ったのはその意味です。
まだまだ話を聞きながら、受け入れる準備・気持ちが少ないようですね。
60:05
私の言う真理を受け入れたなら、皆さんも自由です。自分は始めもない終わりもない、久遠なる生命のパンを食することになるんです。
そうすると永遠に死なないことが解りますから、あなたから全ての恐怖感が取り除かれます。
これは皆さんの想像を超える法悦感でございます。悟りでございます。
皆さんの迷いとは心で勝手に作ってるものであって、真実なる実在する迷いはございません。だから真理を多く学び、それを理解することで全ての悩み苦しみが取り除かれます。
61:00
イエス様はそのことを「私のもとに来なさい。あなたのお荷物を全部私が背負いましょう。」と言ったのはその意味です。
あなたがキリスト・即ち生命に入れば、お荷物はないんです。あなたが勝手に作ってお荷物を担いでいただけなんです。無知・迷いにのみお荷物はあるんです。
この知花は一切、お荷物がないんです。自分という本性本源を悟りましたので、本源の中におりますので、心で勝手に作った盲信狂信的なお荷物を持ってないんです。
皆さん方も本源・キリストを受け入れて食するなら決してお荷物はありません。自分が悩み苦しみは勝手に作っていたんですね。
三途の川は生きてる時にあるんです。生きてる時に悟らなければ死んで悟るものではない。心のお荷物を持ってます、彼らは。そのお荷物を全部下ろされた時、三途の川をぽっと上の次元に入るんです。
お荷物を持ってる間は三途の川で溺れてしまい、途中下車してしまいます。幽界で途中下車して昇天することはないんです。
だから迷ってるお荷物をここで一皮一皮悟りを得ることで囚われ・執念・執着を多く取り除かれた者は、お荷物を下ろされた者です。それは溺れることはありません。さっさと三途の川を渡ります。
62:32
生きてる時に三途の川はあります。あの世に帰ってから三途の川があるんじゃない。
あなた方の観念で作った三次元的な物質的な思考はみんなお荷物です。それは勝手に作ったものであり真実・実在するものではない。
実在するものは完全無欠のあなた、悩みのないあなた、平安のあなた。これこそが真のあなた、即ち真我です。
偽我に属するものがこの世の不完全、即ち囚われ・執着です。
63:19
皆さん方が一歩一歩と神の次元、神の意識・キリスト意識を受け入れて、そこに近づくことを常に私は望んでやまない者です。
皆さん方のお荷物はこの研究所に置いて帰りなさいと。迷いを置いて悟りを持ち帰ってください。
その自覚が皆さん一人一人にあらんことをお祈りしながら今日のお話しに代えさせていただきます。