神なくして何も存在しない。一切のものは神によって存在を保っている。


神生きてるがゆえに私は生きている。

神は一切の造り主、一切の管理者、一切の生命、一切の智恵・力です。


私がここに存在するのは神あるがゆえなんです。我々の父、一切の親です。


1:50

神から自分を分離して考えればその本源からの分離です。そうすると自分の存在の目的を忘れてしまいます。


皆さん方の存在してる目的、誰によって造られ何のために生きているか?

自分とは何ものであるか、知らなければ無知である。


2:40

神なくしては何も始まらないし何も存在しない。本源は生命です。

皆さん方は生命であって、生命あるがゆえにみんな存在してるんです。

神の生命・宇宙生命という大いなる生命があるだけです。


皆さん方は同根です。

宇宙生命の中に一切の生きとし生けるものが生かされてる。その原因は神です。


3:50

だから神は第一原因者と言われてる。

我々が父と呼ばねばならない方であり、自分自身でもあります。


この世で何ものも父と呼んではならぬと言うのは、一切の造り主・一切の親は神ご自身です。

この肉の身の親があなたの造り主なのか、天にまします父が私達の造り主・親なのか?


4:40

自分の肉の親を粗末にしなさいという意味とは違います。

確かに肉の親を通して神ご自身が働きたもうて私達の親にもなっています。

だから父母を敬えという言葉も出てきます。


5:00

全ての本源は神であることを忘れてはなりません。それは大生命です。


その生命には区切りがないんです。自分というものに生命が区切られてあると思ったら大きな間違い。


見えるものにも見えないものの中にも、宇宙に遍満している大生命です。

その生命に基づいて全ての生きとし生けるものが生きてるんであります。


同一の神によって生きている。

だから神一元になります。

神のみが生きている。


6:20

神であるなら、なぜこの世に不完全や不調和があるんだろうか?


自分が神であるという自覚ができている者には不調和はありません。

神ではないと思ってる者のみの起こす状態であって、あなたが我神なり、我が中に神のみが生きて働きたもうと悟りを得た者は不完全を現しません。


7:20

全ての本源が一つで全てのものに神が生きており住みたもうと分かれば、一切の不調和・不完全が消える。


自分で自分から 無知から解放されたいならば本源を知らなければならない。

本源とは神です。


神生きるがゆえに私は生きるのである。

神語るがゆえに私は語るのである。


自分の生命は、同根である神の生命。

肉体を持たないもの持ってるもの、全て同一の生命。


イエスの生命と仏陀の生命と皆さんの生命は違いません。天使方、地球、惑星、星々、全ての本源です。


犬の生命、鉱物も植物の生命も、みんな同根です。みんな兄弟姉妹です。

ただ表現の過程が違うだけ。動物は本能としての表現。鉱物は親和力として。


9:15

神は存在してるものを通して、ご自身を表現したもう。

人間・鉱物・植物・動物を通して表現しています。これが一切の本源である神の現れです。


存在の目的は、内なる神をあるがままに肉体を通して顕現するための目的に魂と肉体があるのです。


10:20

一切の存在は神であると知ってしまえば、そこには大調和・大愛があるのみ。

その事を悟ってない者のみの引き起こした状態が不調和・不完全・不純なるものです。


現れであって、あなた方が悲しもうが不純なる現れ方をしてようが、あなたの本源本質には何の変わりもありません。


神の生命と私の生命と同一ではないと思っていても、神の生命から分離して生きられない。


11:30

あなたの生命があなたのものと言うなら、あなたの生命はどこから来たか?と私は聞きたい。


彼らは無知であるがゆえに見える物だけ判断しますので、ある人はお母さんが作ったと言います。


人間が人間を作るなら、今は男の子・女の子、またいつ頃作ろうと計画をたてて作ったんだろうか。

あるいは簡単に部品の入れ替えとか…

お母さんは血一滴・爪一切れも作れません。


お母さんの中にある神働きたもうがゆえにそれは出来るのです。

だから全ての人間は神の子です。

神によって造られ生命を与えられているとわかります。


13:10

一番大事なことは個人的な生命があるのじゃなくて、全一体としての全一の生命があるだけであると。


あなた方を通して働いているのは大生命であります。そのことを受け入れて初めて宇宙生命が皆さんを通して流れるようになります。


全体からの分離感を起こすなら、小さな生命として無知として全体を閉ざしてることになります。そうなると知恵も力も愛もありません。


14:10

全体からの分離は不純・不完全・迷い・闇・苦悩であります。

全体との区切りがなくなって無我となります。まだ我があると自我ですから地獄です。


全体との障壁が心の中にある限り、不自由・束縛・制約・限定であります。

しかし勝手に自分が自分を限定してるだけで、現実には限定も壁もありません。


15:00

これを無我の境地と言います。

全一体の生命、全ては神の生命であると悟って自我が消滅します。


私の中に宿ってる生命も皆さんの中に宿ってる生命も 同じ神の生命、同じ目的を持って生まれて来てるとわかって憎しみ怒りや差別がなくなります。