25:53
世の中に、この日本に何名が自分を知ってる人がいると思いますか?
神我キリストに目覚めている人が何名いますか?
大生命そのものが真理そのものです。
それは我が内にありです。
27:02
自分を知らない人間を「無知」と言います。あなたは自分自身を何者だと思ってますか?人間でしょ。
人間という形体の中身を見れば、何であるか分かります。
自分自身が真理であることが解りますね。
28:18
皆さん方は自分で自分を知ってる指導者に会ったことがありますか?今まで。
私も会っていません。
29:05
真理を教えてる人はいるけれども、真理を教えてる人はいない。教えてるふりをしてる人はいます。
真理を学んでる人はいますけど、真理は学んでない。
30:26
そうでしょ‼︎
たまには厳しく、たまには優しくね。
30:40
現に今あるんですから、焦る必要はありません。探す手間もかからない。
認める・受け入れる・容認するだけじゃないですか。
一番厄介なのは、ここで話を聞きましても「ああ、そうか。」とは思ったけど、なかなか受け入れてないもんね。
すぐここを離れると、あなた方はまたすぐ肉で生きてるもんね。
31:06
長い古い習慣性で 私達は肉で生きてきましたので、自分に対しての先入観を捨てなければならない。
それを自己放棄・自我の放棄です。
誰か一人でも憎いものがいたら、真理に生きてますか?
己を知らぬ者に憎しみ・怒り・謗りがあるのであって、自分自身を知るものは愛・調和そのものですから、絶対に憎しみ・怒り・嫉妬はありません。
あなた方の憎しみ・怒りは肉から出ます。
32:18
神の愛は 始めがない終わりがない永遠に愛。変化しない、不変不動の自己。
皆さん方は見本とならねばならない。
イエス様は人間の模範を示された。自分を通して人間というのはこういう可能性を秘めてますよ、という模範として。
私達はイエス様やお釈迦を理想とすべきです。模範とすべきです。
イエス様やお釈迦様のような生き方をしてるなら、キリスト教徒であり仏教徒です。
33:56
肉我でいくら宗教をやってもあなたに救いが来ますか?自我があなたを救います?
自我人間の溜まり場は悪のグループです。
罪人の溜まり場です。
34:30
肉が罪を犯すのであって、神我は罪・病・死を知らず。肉は罪・病・死です。
35:00
まだまだ肉を愛してますね。本物の自分を認めないで、また肉・悪を認める。
一度に二人の主人は持てない。
自我にも生きて 神我にも生きたいという欲望がある。善悪の木の実を食べている。
36:00
神我に生きてるなる主を愛してる。
私は肉体と言うなら毎日嘘をついている。
盗みの罪を犯してる。
37:00
神が働いておりながら私が働いていると言うのは、盗みの罪・嘘の罪です。
私が一生懸命働いた、私が作ったとか、私がやったと思いがある限りは嘘の罪・盗みの罪です。
私を通して御業をなすのは父なる神であると。
そうなれば誰から褒められようとか、良く思われたいという思いはなくなるはず。
私がこんなにやったのに誰もお礼も言ってくれない、褒めてもくれないというのは、自我そのもの。
38:00
我々を通して働いてるのは私達じゃなくて神ご自身なんです。この肉に一点の力もありますか?
あなたの為したものは何もありません。全ては神の御業。
あなたから命という神が抜けたら、何が働けます?自らは無でしょ。これを徹底して知ること。
38:36
この肉を通して生きて働いてるのは神なんだと、毎日 言い聞かす。
そうすると自惚れ・傲慢・自己顕示欲はなくなります。
神我は謙虚。神我に目覚めたら、私がやった こうしたと言わない。
それを右手がやったことを左手に知らしめてはならない。神我がやったことを 左手は消極ですから、それに知らしめてはならない。
39:15
あなたはこの世から祝福されたいのか、神から祝福されたいのか。
あなたが人に良いことをしたとして、それを誰にも言わず黙っていると、あなたは神から返礼は頂きます。
誰かに私があの人を助けたんだよと言ったら、もう言った人から返礼受けたことになりますから 神から返礼は受けません。何も言わなかったら神からの祝福がありますよ。