31:48
あなた方のカルマの刈り取りをしなくちゃならないということは、これに興味を持ってる者で この世に生まれ変わらない人は一人もおりません。カルマを持ってるから必ず生まれ変わります。
これを完全に断ち切って これのみになった時、もう皆さん方はこの世に生まれ変わりません。
影なるものに興味を持ってる間は生まれ変わらなくちゃならない。これが本物だ、現実的だ、実際的だと思ってる意識がある間は です。
ある間はカルマを持っています。
32:50
しかし私は最終的に この世の肉の世界を去る時に全部放って帰りますよ。一切の執着を脱ぎ捨てて帰りますよ。
今はそうはいかないんです、おる間は。
執着・囚われは抜いてますけど無視することはできないんです。ここに私が表現としておる間は完全無視することはできない。
一切の見えるものから、執着・囚われからは解放されているんです。
執着・囚われ・興味がありませんから、ここは影なる幻であることを知ってますから、私を引きつける吸引力・引力というのがないんです。
33:37
あなた方がこの世になぜ自縛されてるか?
興味を持ってるからです。
興味を持てば持つほどそこに力を与えて、あなたを引きつける自縛される力を持ってるわけです。
目に見えるものに興味を持ってるわけです。
人の着けてる洋服を見て「あー綺麗な洋服だよ。あんなの私も買わないといかん、どこにあったのかね?」
町の中のレストランの前を見ると鏡に映っている「あーあれ美味しそうだ、これ美味しそうだ。」というような興味を持ってる人がいます。
あの靴はどこにあったのかなとか、メーカーはどこなんだろうとか。そういう物に興味を持ってるということは引力が強いということです。
後は興味がなくなります。
34:40
例えば、この世で地位や名や財を持ちたいという人も強烈にここに自縛されます。彼らはこの世が何であるかわからないんです。
どういう次元であるかわからないから、そういうこと持つんです。
いくら持とうが あっという間に消え去るものでしょ。彼が事故でなくなってごらん、一夜にして終わるでしょ。
35:08
無常であることを知らないんです。
影ですから影を映してる私がいなくなれば、いなくなるの当たり前ですよ。
例えばここに立っておる時、影があったとします。この本人が遠のけば もう影は消えるでしょ。
無常なるものを常在だと思い込んでいるのを迷いと言います。あなた方が見てるのは本物にあらず。
映しの世界を本物だと錯覚してる間はこっちまた戻ってきます。興味を持ってますから、カルマを持ってますから。克服してませんから。
36:00
あなた方がはっきり この世とあの世との識別を完全にできた時。自分という存在がどういうものである、ここに見える自分がどういうものであるという識別が完全にできてこそ、皆さん方は克服者キリストとなるわけです。
まだ克服してませんね。興味ありますね 色々の物に。そこをよく気をつけてください。
あなたがいくら何を持とうが これは本物じゃないんです。消え行くものです。
学問があればあるほど本質から離れて行くんです。天狗になるからです。増上満になるからです。もう自分は偉いんだと思い込んでます。思い込めば込むほど無知にいたるんです。闇なるものとなっていくんです。だから恐ろしいことです。
37:20
皆さん方が、この3次元的なものと天上界的なものとの完全識別をなさねばならない。これとの識別心を養うのに皆さんの意思・意識が必要です。
皆さん方、何のために瞑想しますか?
できるだけ現象我から離れて、実在・神我の意識の世界に 神の意識の世界に入ろうとするのが瞑想ですよ。
そこの次元に入ってこそ実在界が認知できて、はっはーなるほどと。そこに意識を向ければ向けるほど、そこが理解できるんです。
そうなりますと本物が理解できたら、偽物に興味を持つはずがありません。
あなた方は、まだまだ意識の向け方が足りません。
38:33
例えばこういう集まりの中に こういうお話を聞くことと、あなたの用事を済ますことと、どちらが大切ですか?
用事を済ますことが大切だと思ってる者は、この神の道に至ることはありません。
もう彼は霊的なものより物質的なものを選んだからです。ここよりも向こうが大事だったんです。
しかし皆さん方はここに来る事は遅れて来るけれども、東京に行く時は飛行機は絶対遅れませんよ 7万円損するから。
この物質的な金には計算が入っているんです。しかしここに来るのは損しないから遅れてもいいと言って来ないんです。
しかし遅れたら その7万円でも買えない損をしてること、金で計算できないことを聞き逃してることを忘れてます。
こういうお話が7万、10万で買えますか?
金で計算できるなら価値のないものです。
40:00
あなた方は絶対に 朝どこかに行くと言ったら、寝ることさえも早く起きて準備します。
ここに来る時は どうせ遅れようが何しようがかまわない。
そこに本心から霊的なものの大事さを知っているか、知ってないかがはっきり決まります。
遊ぶことには、その晩から眠らない。どこかピクニックだと、時間が遅れたら大変だと。
もちろんはっきりこの世に興味を持ってると分かるわけです。
しかしこういうお話だと、なかなか集まってもくれませんし 話を聞いてもくれませんし…
本当に真剣味のある者のみが これを達成することができます。心の底から、今度こそやらなくちゃならないという意味です。
41:10
あなた方の意識に よく心の中に念頭におきまして、日々の生活で検討してください。
自分の意識の針がどこに向いてるか?物質的なものか、霊的なものか。
三つ子のように常に自分の心に 神が臨在してなければならない。三つ子は常に頭には お母さんのことしかない。
同じように あなたが常に霊的な自分を心に留め置くこと。
あなたは常に霊的な神我を意識して留めていますか?我は霊なりという意識を持って生きているのか。それとも忘れてるのか。
42:03
持ってるならば その意識は常に働きますから、それが成就されてくるんです。忘れてるなら成就しません。外なるものが成就されるんです。
だから意識の向け方が強烈か、生半可か?
遊び半分か。
ぜひ学ばねばならない、通らねばならない道なんです。ここを通らずにあの世に帰った人はいません。
だから心を尽くし 精心を尽くし 魂を尽くし、真剣さが大切であるとイエスは言われたんです。
42:50
神よりも見える物を愛してるんじゃないですか?
あなた方は心を尽くし 精心を尽くし 魂を尽くして金儲けを愛してます。全力投球です。もう夜も眠らずに勉強します、がむしゃらに。
職業試験だとか就職試験のために。金を得るためには全力のエネルギーを投球しますけど、こういう学びをするためには生半可。
本当にあなた方が精神を尽くし魂を尽くして ここに学ぶならば、あっという間にあなた方のものとなるであろう。
43:42
真剣味が足りないというのは事実です。
この様な調子ではいつ悟るか私も保証しません。
家に帰りましても もっともっと大切なことは、この意識というものをもう少し自分でも考えて 考えて、自分がどのような意識状態であるのか?
高いところに理想を置いて、そこに意識を向けてるのか 下なのか?
ということを選択してもらいたいと思います。