23:40
形の話しかできない人間を先生と呼んではならん。この世の何者も先生と呼んではならん。
迷ってる人を先生と呼んだら迷わされますね。
そこからは何も得るものはありません。
勉強になりました…何の勉強になったの?
偽物からは勉強という言葉はないはずです。
外側に生きてる人間からは、あなたは何も学ぶものはない。形の話は幻の話です。
25:00
神以外には絶対はない。
「私が言ってるのは絶対なものだよ」と。
これは大変なことだよと言うことでさえも束縛です。
これはいい事よと言っても悪い事です。
外側の世界でいい事というのはありません。
それは一つの制約です。
25:30
自己開放とは人間という偽物から本物への解放です。
形を見ていて本質を得ることはできない。多く内観するしかない。内観が瞑想じゃないですか。
27:30
自分が神であることを知らなければ、別の者も神だと知ることできますか?
自分が神であることを知ってるものは、全てが神であることを知ることができますね。
じゃ人の悪口を言ったり、過去の話をしたりすることは、それは真理を知ってるから?
過去の真理ってあるの?新しい神理ってあるの?
真理には新しいも古いもない、永遠があるだけです。私が言ってるのは新しい真理だ、あそこの神理は古いんだと言えますか。
古い本質も、新しい本質もあるんですか?
本質は新しくもならないし、古くもならないし完全しかないです。
一番大切なものは真理です。
30:45
献身しなさいと。それを生贄と言います。
死んでから捧げるんじゃなくて、生きてる時に捧げるべきです。
生贄と言ったら羊を殺して、あるいは人間を殺して捧げる人がいます。恐ろしい事じゃないですか。
死んでから捧げるんじゃなくて、生きたまま捧げることですよ。
33:50
偽物の先生と本物の先生はいとも簡単に識別できるんじゃないですか。
個人的話って真理なの、仮相の話なの?
本質は個人的なの、普遍的なの?
本質は普遍的でしょ。
個人は偽我で仮相で幻に過ぎない。
そんな話を聞いて、真理を聞いたと満足させられてはならない。
普遍真理であって、個人真理はないわけです。
だから、人の悪口言ったり非難・批判する。
外側の形の話は、嘘の話ですね。
散々仮相という形の世界の話をしておって、
「私が言ってるのは本当だよ」と。みんな嘘ではないですか。