2日

いとこ達にあってきました。

お年賀状を交換したり、年に数回お電話するだけで

何年もあっておりません。

戦死した父方のいとこ達。


秋田に行く前にお電話しました。

三人共快く会うことを快諾してくれました。


父の長兄のMちゃん(私より3つ年下ですが昔からMちゃん)

一番下の弟のおじさんのKくんとTちゃん



一番下のおじさんのお宅

Kくんがお家を継いで一人で佛様を守っております。

Kくんが小さいときに亡くなったお母さんやおばあちゃん

双子のお兄さん、お父さん、、私が恭子ちゃんと呼んでいた

Kくんのお姉さんの遺影に合掌してきました。


知らない方がお部屋に・・・

Tちゃんが「敏子姉さん、恭子姉さんのご主人です」と紹介してくれました。

私が来ること知らせたら会いたいと言って来てくれたそうです。

初めてお目にかかりました。

あらためて恭子ちゃんのお悔やみを申し上げました。

お一人で暮らしておいでですが近くにご長男ご夫婦がくらして

行き来しているそうです。

「お嫁さんが良くしてくれてるの」とTちゃん。


それは幸せなこと、いいなあ~と思いました。


ずっと、気がかりにしていたことに自分なりにけじめを付けた思いでした。

息子も一緒してくれてました。

私のいとこ達を紹介できたことは良かったと思いました。

繋がっていくかどうかはわかりませんが、私のルーツでもありますので。


それにしても

育ててくれた父に感謝をする思いも沸々と。

父がこんな関係を残してくれたのだと・・・

父はよく「皆と仲良く暮らしなさい」という人でした。


ほとんど不義理に近い関係でいるのに、皆さんがこうして

会ってくれたことに感謝でいっぱいでした。




この後友人に会ってきました。

中学時代からの友人二人と高校時代の友人一人。

60年以上の友人です。

会うと昔に帰りますね〜

私は元来化粧をしないので、シワがたくさんですが

三人は昔と変わらない感じがしました。

もうシワはどうにもならないのでしかたないですね。







そうそう友人たちの待ってるところにはMちゃんが送ってくれたのですが

車の中で

「敏子姉さん僕、(敏子のものづくりあれこれ)のブログ読んでいるよ」と。


ええええ!どうして????


 「なにか検索してたら「敏子・・・」に目が止まって

 もしかしたら、と読んでみたらやっぱり敏子姉さんだった」とのこと。


ええええ!そんなことあるの?とびっくりしました。


とんでもないことが起きてしまったという感じとMちゃんとやっぱり

繋がっていたかと言う思いがして感無量!でした。


今回の墓参は本当に意義深いものでした。

「一緒に行くよ」と言ってくれた息子に感謝。

息子が「会いたい方に会うといいよ」と言ってくれたことにも感謝。


快く会ってくれた母方のいとこ達、父方のいとこ達にも感謝でした。


しみじみ思ったことは

お墓があって、守ってくださっている方がいて、手を合わせられる

事ができたことに感謝でした。

墓地に行けばお墓があって、そこには親戚のお墓もあって

合掌できたことも。


実家のお墓参りした時も

「姉さんYさん知っているよね、直ぐ側にお墓があるよ」と弟が。

本当に直ぐ側のお墓でしたので、お参りさせて頂きました。

違う学校でしたが中学・高校時代は近くでしたので親しくしてました。

Yさん早くに亡くなられたとのこと。

お父さん、お母さん、Yさんそして奥さんのお墓に合掌。



なにかにつけてお墓じまい、ご仏壇じまいと取り沙汰されている

今ですが、そこにお墓があるので手を合わせることが出来たのだなあ

と、しみじみ思いました。


新青森駅





忘備録でした。


それではまた。












  


2日目の前に

昨夜の

私の初めての「居酒屋さん」探検記?


甥っ子が個室を取ってくれてました。

初めに運ばれてきたのが



蕨・比内鶏・ウニのジュレ

蕨の器の前には後でガーリックおにぎり。



勝手がわからない





男鹿で取れたお魚ばっかり。
これを炉端で焼いてくれるのだそうです。

 おおお、いいお値段!主婦感覚

私はアルコール類はいただきません。
多分
飲んでごらんと言われると
飲めないわけではないと思うのですが
飲みたいという感覚がない。

弟夫婦は
ノンアルコールを飲んでいましたが
それも飲みたいと思わない。

お茶をいただきました。
居酒屋さんでお茶を所望する人っていないのかも

ぬるいお茶でした。


「アラ」というお魚。
お塩加減もよく、おいしかった。
半分いただきました。
アカテリもおいしかった。



蓮根・青南蛮・しいたけを焼いて頂きました。

個室だったので全体的な雰囲気はあまり良くわからなかった。
居酒屋さんというのは全体的な雰囲気なんでしょうね。
もう二度と行くことはないような気がします。


2日目は
実家に参りました。
私を育ててくれた父は58歳で、母は68歳で亡くなりました。
親孝行したいときには親はなし・・・

父の後輩に当たる方が自転車で40分かけて来てくれました。
93歳です。
私のことを今でも「敏子ちゃん」と呼んでくれるおじさんです。
弟のことも「ひろちゃん」と呼びます。
 「敏子ちゃんに会えるなんて夢みたいだ」と何度も何度も
 言ってくれて・・・嬉しかったです。
おじさんは祖母のことも祖父のこともよく知っていて、
「本当に優しいおばあさんとおじいさんだったよ」と
 何度も言ってくれてました。
父の職場の後輩の方でした。
我が家にはこのおじさんの他に沢山の方たちが遊びに来てくれました。
私が名前を知ってる方たちは鬼籍に入られたと…
父のことも母のことも
 「皆で遊びに行って、酒を飲んだり、麻雀したりしてたよなあ」
 「母さんもいい人でさ、よく面倒見てくれたよ」と
母のことを話してくれたり、
本当に本当に私の方も夢を見てるようでした。

それからおじさんも一緒にお墓参りをしました。

お墓参りは手を合わせて心の中でこちらから話しかける・・・
返事は・・・ないのだけど

この度は祖父母のこと、父母のこと、叔母たちのことも
よく知っているおじさんのお陰で、思い出話を語り合えてよかったです。

その後おじさんも一緒に
史跡秋田城跡・護国神社・秋田市土崎歴史伝承館。


秋田城跡は私や弟が通った小学校、中学校のあったところです。
もともとその秋田城址跡に建てられた学校だったので、増築も改築も
ままならん!とのことで移転。
その小中学校、グランド・・・広大な土地が「秋田城址跡」
最北の古代城柵官衙(かんが)遺跡
官衙とは役所の意味だそうです。

古代水洗トイレ・・・奈良時代後半、類例のない。
和同開珎銀銭・・・和銅元年(708)鋳造開始。完形品としては
最北の出土例。

  この和同開珎銀銭、私の友人が見つけたものです。
  ここの遺跡発掘調査に従事していて、土の中から発見!
  その当時、話を聞いた私達友人の間では
  話題沸騰でした。


もっともっと時間をかけて、見学したいなあと思いました。


護国神社



秋田市土崎みなと歴史伝承館
ここにはユネスコ無形文化遺産に登録された
「土崎神明社祭の曳山行事」10㍍級の曳山実物展示がありました。







土崎空襲は秋田県で唯一の大規模空襲で日本で最後の空襲だそうです。
翌日の終戦。

一緒に行ったおじさんはその時15歳
その時の様子、空襲のあった間近なところにいたそうで
事細かく語ってくれました。
おじさんのお話はリアルで、もう空襲のことを知っている数少ない
体験者の話として深く、受け止めました。

その後弟夫婦が「稲庭うどん」のお店に連れて行ってくれて

私は稲庭素麺を頂きました。

帰りにまた実家によって、
弟のお嫁さんのおもてなしを頂きました。

秋田の郷土料理「あさづけ」
お米を使った夏の酢の物
何十年ぶりに頂きました。
母がよく作ってくれたものでした。
お嫁さんは山形の方ですが、母に習って覚えたそうです。
母の味と同じ、もしかしたら彼女のほうが美味しいかも。

そして
ケーキやクッキーも。
随分前には生徒さんに教えていたくらいの腕前。
久しぶりに頂いてこちらも美味しかった。

今はケーキ教室はやめて「陶芸教室」似通っているそうです。

トトロが大好きで、たくさん作品がありました。

おねだりしていただいてきました〜

父が建てた家はリフォームされて、とてもモダンになっておりました。
庭の木々はもうないのかと思ったら、工事中は造園屋さんに
頼んで移植していただき、植え替えてもらったそうです。


父や母が植えた木々が健在でした。

ホテル9階の窓から



千秋公園の蓮

まだ咲いてませんでしたが反対側からも見られるよう歩道橋を

つけたそうです。


秋田市は来月「竿燈まつり」
竿燈の先が引っかからいようにするため、電柱を地下に埋め込んだそうです。
だからなんですね
道幅が広々でした。

「竿燈まつり」見たいなあ〜


2日目の秋田でした。
私の忘備録にお付き合いありがとうございました。
明日に続きます。。

ではまた。


30日から2日まで。

(私の防備録です)


新北斗駅から新青森まで新幹線

57分

新青森でレンターカーを借りて南下。

日本海側を通ってもらいました。


五所川原〜能代までは電車も走っていて乗ったことがあったので

この道を選びました。


不老不死温泉や世界遺産になった白神山地

十二湖や深浦など懐かしい地名。


最初の目的地は八峰町にある「松源院」というお寺。

祖父母、叔父叔母、そして私の戦死した父

(養子に入ってもらっていたので)、そして1歳半で亡くなった

私の姉に当たる方が奉られています。


いとこ達3人と(ご主人も)も集まってきてくれました。

6人で、

皆でお位牌堂にお参りしました。

昔と違って

立派なご仏壇がずらり〜と並んで、各々が入っておりました。

ご仏壇はガラス張りですのでお写真も見えて、

初めて行ってもわかっていいなあ〜と。

皆の懐かしいお顔に会えました。


曹洞宗のお寺です。

お寺の天井



寺内外

たくさんの仏像がありました。


小さい時お参りに来た時はその仏像も怖くて・・・

と、

いとこ達も「そうだっだね〜」


ご住職は所用があってお留守でしたので、

お供え物と御仏前をお願いしてまいりました。


お寺さんから志を頂きました。

それからお墓参り
雨がざあざあとふっているなかのお参りでした。

そんな雨の中、風もあったのに
灯した御灯明が消えません。
最後が燃え尽きてズズーと言う音がするまで。

 皆が「敏子姉さんが来てくれたからだよ」と。

私もそう思うことにしました。

ここの墓地も様変わりしておりました。
むかし、お祖父さんやおばあさんと一緒にお墓参りした時の
ことを思い出しながら、親類のお墓にも合掌いたしました。

 お墓の中では
 「今手を合わせているの誰だい?」と言っているような気がして
 「敏子だよ」と念じました。

次は母の妹、おばさんのお墓にお参りいたしました。
能代に嫁いだ叔母です。
たくさん苦労をしましたが、おじさんと一緒に永代供養塔に
奉られています。
  「今は穏やかですね。おばさん」と合掌しました。

お家を継いだいとこも私もいずれはいるのと
並んでいる自分の朱塗りの院号を見せてくれました。

永代供養塔のところにはいとこ(長女の)のお子たち二人
(お子と言っても社会人)も
来てくれて20数年ぶり出会いました。
ありがとう!

雨の中、能代のお寺さんを後にして一路秋田へ。

ホテルに入って、
弟夫婦が迎えに来てくれて、
妹の嫁ぎ先にお参りに行きました。
妹は50歳でなくなりました。
ご仏壇の横の梁に順番に妹・その夫・お姑さん・お舅さんの遺影。
一番若い妹が先でした。

甥が守ってくれています。

この夜は
その甥が予約してくれた居酒屋さん(とっぴんぱらりのぷ)

 私、息子に 
 「居酒屋さんって初めて!!」と言ったら
 「えええ~79歳になって初めてなの!?」と。


ではその顛末はまた明日。