加害者の卑怯さとそれを守る社会
前記事の続きです。やっと夫から開示された日本の銀行口座履歴を見て、私は泣きました。二人の関係が、もうずっとまえから、想像をはるかに超えるぐらい深かったからです。更に私を傷つけたのは、私が激昂するだろうことをあらかじめ見越して、弁護士を使って、「開示するけど、もし仕返ししようとしたらハラスメントで訴えるからな!」と脅してくる卑怯さです。自分たちのしたことの、罪の咎めは受けたくない。その虫の良さ、卑怯さに、大きく傷つきました。例えば人を殺めた殺人犯が、巧妙に証拠を隠蔽し、しらを切り通して、まんまと時効を迎えた途端、「本当はオレが殺ったんだよね 。でももう時効だから、法的には問題ないよ。もしオレに何かしようとしたら、こっちがハラスメントで訴えてやるからな!」と被害者家族に告げたらどうでしょう?法に問えない状況になってから自白してくる、卑怯極まりない犯人を前に、被害者家族は通報するどころか、詳しい事情を聞くことさえも許されないのです。その悔しさ。被害者家族がこの悔しさを昇華できるときは、来るのでしょうか?ずっと開示をお願いしてきた日本の銀行の口座履歴。「もう開示しただろ!」と何度逆ギレされても、我慢して根気よくお願いしてきました。やっぱり、こんなに酷い使い込みの痕跡がたくさん残されていたのですね。でも、私には愛人に経緯や理由を問うことも許されません。彼女はこれで大丈夫と安心して、私たちが苦しんでいる今この瞬間も、そしてこれからも、明るく、あざとく、ずる賢く、生きていくのです。法に守られるというのは諸刃の剣で、法に傷つけられるということなのですね。正義が押さえ込まれる社会に住んでいるということが、私たちの一番の不幸なのかもしれません。***今日のディナー「蕎麦と天ぷら」***暑かったので簡単にお蕎麦にしました。トレジョーのエビを急いで解凍して、さつまいも、紫蘇と一緒に天ぷらに。アップには耐えられない仕上がりですが・・・。手前は最近はまっているナスの味噌田楽です。子供はナスがあまり好きではないので私用に。更新のはげみになりますのでポチッとおしていただけると嬉しいです↓ p>