このブログの読者は、色々なオカルトに興味を持っていると思いますが
 
あなたは幽霊を見たことがありますか?
 
 
写真やビデオで写されたものは紛れもない証拠がある
写ったものは本物だ!
これこそ幽霊がいる証拠だ!
 
と、恐怖動画や心霊写真などが投稿されたり、それらを取り扱う番組がいくつかある
だが、写ったものは本当に、すべて本物と言えるのだろうか?
少し前では、心霊写真を取り上げる番組が多かったのに対して、最近では心霊動画、投稿型のオムニバス形式の番組やDVDなどが増えてきている
 
なぜだろうか?
 
それは、近年、カメラやパソコンなどのテクノロジーの発達により、写真の編集、いわゆる加工が随分と簡単になってきており、無い物を付け加えたり、そこにあるものを無くしたりすることが容易であるから、写真に信憑性がなくなってきたからに他ならない
しかし、実はこれは動画でも同じことが言える
 
現状、多くの人は、
「画像は加工できるけど、動画は加工できないでしょ?」
若しくは、
「加工しても粗が目立ってバレるでしょ?」
と思うかもしれないが、それは素人目には、加工か否か、全く判別がつかないぐらいの技術になってきているからだ
 
 
実際に、最近では
『あっと驚かす動画を作ります』
『奇妙な動画でセンセーショナルな宣伝をしてみませんか』
というキャッチコピーで、動画制作を請け負う会社が増えてきているのは、ご存じだろうか
今、世間を賑わせている奇妙な動画や心霊動画のほとんどは、そういった会社で作られたものが出回っている

 

 

 

 
 
そんな幽霊、日本では怖さだけが強調されがちだが、幽霊は果たしていつから、怖いと思われるようになったのだろうか
イギリスにおいては、恐怖というより、『もっと身近に感じたい』として『Ghost walk-tour』なるイベントが行われることもしばしばある
(リバプールのゴーストウォーキングツアーの模様)
 
 
幽霊の歴史は、人の生き死にや事件の歴史としても残っているといえよう
見える姿として残ったのは、11世紀の宗教画とされている
当時の幽霊は、生前のままの姿で、家族や親しき隣人のそばにしか現れず、恐ろしい存在として受け止められていなかったという
 
それは、死後の世界の概念にあったのだろう
カトリックの教えにある煉獄の存在
天国にも地獄にも行けない中間的なところであり、苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされているが、同じキリスト教でも、カトリック以外では認めていないことが多い
ミサを多く挙げれば、その煉獄から早く逃れられると訴えるために、親しい人のそばにだけ現れると信じられ、この頃の幽霊は、人にとって恐怖の対象ではなく、救うべきものの対象とされていた
 
しかし、15世紀ごろ、姿は骸骨などに変わり、恐怖の対象へと変わっていくこととなる
それは、多くの死者を出した『百年戦争』、さらには2000万人以上の被害者を出したとされる『ペスト』が原因だ
その状況は、埋葬もままならず、町のいたるとこに死体が放り出されていた
 
そんな死への恐怖が、骸骨の姿へと変わっていき、それに伴って、『死骸趣味』という文化も流行り始める
 
中世の人々に、これまで目に見えず、閉ざされてきたものだった人間の「死」の過程を白日のもとにさらけ出す、ある種の開放の意識が芽吹いていった
死骸趣味とは、死への恐怖も、あの世への恐怖をも意味せず、むしろ、生への熱烈なる愛と、生の脆さに対する苦汁にみちた意識のしるしであった
それは、恐怖や悲惨さの表現というよりも、これを見る人々にとって、現実を直視するという潜在的な「喜び」にすら変わっていった思想なのだ
 
死の恐怖を前に、人々が半狂乱になって踊り続けるというフランス詩が起源とされる、この絶望的享楽を「死の舞踏(La Danse Macabre)」と言い、ヨーロッパ各地で歌や絵の題材として採り上げられることになる
こういった概念は、生前は王族・貴族などの身分に属し、人生を生きていても、ある日訪れる死によって、身分や貧富の差もなく、無に統合されてしまう、という死生観である
 
 
そういった恐怖から、死生観の変化を経て、享楽へと変化していき、恐怖を見たい「怖いもの見たさ」へとつづいていく
そして、18世紀ころ、「出るはずがないと、どこかでわかっていながら見たくてたまらない」
そうした人々の思いにこたえるために、人間は「幽霊を製造する機械」を発明した
 
これは、幻灯機(マジック・ランタン)と呼ばれる機械を使用した幽霊のショー「ファンタスマゴリア」で、ベルギー出身の物理学者エティエンヌ・ロベールソンがパリで行い有名となり、ヨーロッパ各地、とくにイギリスで流行した
ファンタスマゴリア(Phantasmagoriaファンタスマゴリーとも)―――走馬灯のように次々と移り変わる幻影の意味

はじめて幻灯機が作られたのは、アタナシウス・キルヒャーによって17世紀半ばで、鏡とろうそくが設置されており、ガラスに描かれた絵が、これによって投影できる仕組みになっていた

それが、18世紀頃、視覚効果を狙って幽霊やお化けを登場させ、ショービジネスにまで発展させていった
幽霊は、恐怖を楽しむ娯楽へと変わっていった
ヨーロッパで大流行する幽霊ショーとしては、18世紀後半にドイツでヨハン・ゲオルク・シュレープファーという男が、カフェの客を喜ばせるために幻灯機を使用していたことがわかっている
しかし、10年以上も続いたこのショーは、ヨハン・ゲオルクが1774年に自殺したことで途絶えた


その後、フランスで物理学者で発明家であったエティエンヌ・ガスパール・ロベールが、パリにおいて大ブームを巻き起こした
これは、フランスが啓蒙主義からロマン主義に移行しつつあり、大衆は幻想的なものに惹かれやすい傾向にあったからという背景と、さらに通常今までの幽霊は、一人で見ることが多かったのに対し、このファンタスマゴリアは多人数で見るという今までの常識を逸したところもヒットした要因だろう
ロベールは、荒廃した地下聖堂で効果的に幻灯機を使って、より壮大な幽霊ショーを行い、効果音まで導入した
そのショーは、恐怖のあまり、「ギロチンにかけられたルイ十六世がよみがえった」という噂まで広まり、のちに警察が介入する事態となり、ロベールは、登場した幽霊が幻灯機で作られた偽物ということを、公衆の面前で説明する羽目になったという



ファンタスマゴリアの流行は、19世紀に入るとアメリカやイギリスにも飛び火する
19世紀のイギリスでは、フランスとは違い、はっきりとファンタスマゴリアが「エンターテイメント」であることをうたっていた
産業革命のイギリスで、新たな技術を用いた「産業」として幽霊がテーマとなり、この頃、観客はもはや、幽霊の登場は技術としか見ていない
それでも、幽霊を登場させて驚かせてほしいと求めたことが、20世紀に入ってからのホラー映画の原点であったことはまちがいないだろう
 
 
一方、アメリカでは心霊写真の存在が出始める
1871年暗殺されたリンカーンの心霊写真
 
これは、心霊写真として有名な最初の一枚目だ
撮影したのは、心霊写真家と言われたウィリアム・H・マムラー
通常の心霊写真と大きく異なるのは、マムラーが発明した霊視機能のあるカメラで撮影された、そして霊との2ショットの写真だという点
彼の写真館を訪れる人は、興味本位でなく、本当に亡き家族との写真を撮りたいと訪れた人ばかりで、通常の撮影料の5倍である10ドル(当時の月給の3分の1)という高価格でありながら大盛況だった
しかし、1869年に彼は詐欺罪で告訴される
いわゆる、現在でいう二重露光というトリックを使って、あたかも心霊と写っている写真を作り上げたと
しかし、被害者であるはずの顧客たちがみな、彼をかばった証言をしたため無罪となったのだ
決定的な証拠もないのに、犯人にしようと検察が躍起になったことも仇となったかもしれない
 
この頃のアメリカは南北戦争時代
当然、死者も多く出ている
家族にとっては、親愛なる人が突然いなくなるということは、受け入れがたいものだ
そういう悲しみにふけっているときに、マムラーに写真を撮ってもらうと、死んだ家族に再び会うことができる
自分のそばに写っている故人、まだ自分のそばに家族がいてくれるという事実は、彼らにとっては大きな癒しとなったことだろう
愛する家族は死んだ後も存在している
そこに顧客たちは、心の安らぎを求めていた
もし、心霊写真が偽物ならば、彼らの癒しも嘘になる
それだけは認めたくなかったことからの証言だったのかもしれない

 
 
 
 
では、日本ではどうだったのだろう
 
平安時代の今昔物語には
「死出の山越えぬる人の侘しきは恋しき人に会わぬなりけり」
という句がある
 
これは、死しても尚、恋焦がれ泣き続ける妻のもとに、笛を吹きながら生前の姿で現れた夫
その夫が独り言のように漏らした一句なのだが、その夫の躰からは不思議な煙が立ちのぼっていて、どことなく奇妙な雰囲気を醸し出していたので、その異様な有様に、妻は恐ろしさでぶるぶると震え出し、返事をすることもできなかったという一説だ
姿もそうだが、夫が心配になって出てきたあたり、あまり怖いといえる場面ではなさそうだ
 
しかし、江戸時代になると一変する
呪いや祟りの話が流行し始め、それとともに幽霊も恐怖の対象となっていく
(歌川国芳 「相馬の古内裏」)
 
親しい存在であった幽霊は生前のままの姿であったが、恨みを持ったり、死へと導く幽霊は恐ろしい姿で現れることとなっていった
 
幽霊に対する姿は、和洋東西を問わず同じものなのかもしれない
 
 

今、我々は幽霊とは恐怖の対象でしかみないことが多いが、しかし実際は、幽霊とは癒しや救いの対象ともなるなど、時代ごとの死生観を表しながら、人々のそばにいたということではないだろうか
 
 
 

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参考―――
Discovery Japan「幽霊を作ってしまえ!17世紀から始まった「幽霊製造」の歴史」
SHIKIBUさんのブログ 別館「霊界からの発明」
Goticomania「Fantasmagoria: la macchina per produrre i fantasmi」
MAGO LEO「Robertson, creatore di fantasmi e padre del genere “horror”」
Necroturismo「TRA TOMBE E RELIQUIE, LA FANTASMAGORIA: L’ARTE DI FAR PARLARE I FANTASMI」

北海道大学・著河口明人「予防概念の史的展開 : 中世・ルネサンス期のヨーロッパ社会と黒死病」
Wikipedia
 
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