さて、以前から色々と暖めてきたネタを明かしていきたいと思います
 
9月14日は、『十字架称賛の日』でした
古いな(^_^;)
 
 
────元々、十字架は、死刑を執行するための道具の一つで、二千年前のローマ社会では、十字架刑は、国家反逆罪などの重罪に対して、死刑囚を十字架に釘付けにし、呼吸困難に陥れて殺すという残虐な刑で、また日本では、十字架は、はり付けられた後、槍で突いて殺したり、火あぶりの刑などに利用されてきた
 
このように十字架を死刑の道具と認識した上で、十字架を崇めようとするのは、キリスト教徒だけだ
 
では、なぜキリスト教徒は、十字架を崇めるのか?
それは、十字架を見ることによってイエスを思い出すことができるからだという
 
 
そんな十字架を崇めるキリスト教だが、そんなキリスト教に狂った男がいた
 
 

 
織田信長だ
 
彼は、本能寺で明智光秀の策略により殺害されたというのが定説だ
しかし、なぜ明智光秀は「本能寺の変」を起こしたのか?
謀反の動機は諸説あるが、今なお多くの謎に包まれる
 
信長は、キリストの神になろうとしていたという説が浮上してきている
歴史作家でもある考古学者の斎藤忠は語る
 
 
「信長はキリストになりたかったのではないか?」
 
 
信長は、憎き仏教の如き、比叡山延暦寺の焼き討ちに始まり、本願寺攻め、伊勢長島の一向一揆など、どれも完膚なきまでに皆殺しにしている
一方、キリスト教は擁護しており、カトリックの宣教師である伴天連らには寛容であり、安土城のふもとにセミナリオ(セミナリヨ)──イエズス会の宣教師が、日本人聖職者の養成を目的として開設した学校──を建てさせ、自ら足繁く通ってはオルガンの音色を楽しみ、キリスト教が拡まるのことをよしとしていたという
 
明らかにキリスト教贔屓な信長だが、実はそうではなかった
結論から言うと、信長にとって宗教はなんでもよかったのだ
その証拠に、その安土城の同じふもとには神社も寺院も建立している
 
本当のところは、キリスト教に対しては、それがもたらす科学力が欲しかったというのが本音だという
地球が丸いことを日本人で最初に知ったのは信長と言われる
それは宣教師ルイスフロイスによるもので、鉄砲に次いで、国を富ませるのはこの科学力だと思っていたのだろう
 
 
反対に、仏教に対しては、仏教そのものではなく、それに巣食う既得権の打破こそが目的だった
 
──坊主でありながら酒肉を喰らい、遊び、女を抱く放蕩三昧に仏罰が下らないのなら、仏像や経典はただの木切れ紙くずに過ぎぬ。天が見過ごすのなら我が仏罰を加える──
 
これは延暦寺焼き討ちの際の信長の言葉だ
このとき信長自身、やはり相当な覚悟を抱き、古い権威、即ち既得権を打破する誓いを立てたという
 
 
そんな信長だから、当然キリシタン大名にはならなかった
「神自身になろうとしていた」「天皇を見下していた」などと言われているが、実は全くそうではないのだ
 
信長は武田信玄の書状の返しで、自らを「第六天魔王信長」と署名したことがあるという
宣教師ルイス・フロイスが、日本布教長であったフランシス・ガブリエルに宛てた書簡にこうある
要約すると───
 
「信玄が遠江と三河に来襲する前に面白いことがありました。信玄が信長に書状をしたためた際に、調子に乗って自分の名を天台座主沙門信玄てんだいのざすしゃもんしんげんと署名したのです。これに対して信長は、第六天魔王信長だいろくてんのまおうのぶなが、つまり仏教に反対する悪魔の王と署名して返しました」
 
信玄が自称したという「天台座主」とは、当時一大勢力を誇った天台宗の総本山、比叡山延暦寺の住職(貫主)を指す言葉で、沙門は僧侶、修行僧と言うような意味だ
 
かたや、信長は第六天の魔王と示した
 
 
仏教には六道と呼ばれる世界があり、その最上とされている天上界に、欲界の最高位、且つ天上界でも最下位に属す、いまだ欲望に捉われる六欲天がある
その六欲天の欲界の天主大魔王である第六天魔王波旬はじゅんが住処としているところが、他化自在天たけじざいてんといわれる
 
 
つまり、欲を全て支配している魔王と同等だと信長は称していたのだ
 
つまり、信玄が天台座主、仏教界を制するような地位だと申すなら、我はその真逆の魔王だと名乗り、所謂ジョークで返したのではないだろうか
それが第六天魔王信長だと
信長が焼き討ちした寺などは、後に神社や教会に変えられているという
 
 
信長は「茶の心」「茶の湯」を凄く愛した
というのも茶の湯とキリスト教のミサと深く関わるところがあり、一説によると茶道はミサがルーツだとも言われている
 
茶道にお茶を点てたあと、頂く前に器を回すという儀式があるが、これは一説にはテーブルマナーのティーカップの扱いからきていると言われている
本来、ティーカップは取っ手は左側にあり、スプーンは右手で持つように置かれて出てくる
これは、砂糖などを混ぜるときに、取っ手を左手に添えて、右手でスプーンを持つためで、テーブルマナーとしては、この混ぜ終わったあとに右手で、左側にあるティーカップの取っ手を持ち、右側にクルっと回してきて飲むというのが作法だからである
 
 
それが日本の茶の湯では、取っ手のない茶器だから、取っ手をつまんでまわせないことから、茶器をまわすようになったと
 
 
信じるか信じないかはあなた次第です‼☝
 
 
 
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参考文献
サイト・LOGOS(みことば)
サイト・日本民謡幸真会
 
 
 
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