枝切街道(最終編) | としのブログ

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多くの街道が集まる場所


今年の1月にスタートした、枝切街道は今編で最終編になります、枝切街道は淀川から北にかなりありますが、今回は淀川から南を探索し、この地の八尾市本町の八尾街道との合流地点を終点(諸説あり)とします

枝切街道は先に紹介した「御坊前通り」商店街をわずか200m程で抜けてしまいますので、河内街道を少しブラブラします、ところでこちらの商店街はファミリーロードと言いましたがそれはこの辺りの商店街の総称らしく、この河内街道がある商店街は本町通り商店街と言います





N67   アーケードの真ん中にある古ぼけた看板「常光寺」とあります行って見ます



これまた素晴らしい楼門で、建てられて約400年近く経っているため、2011年9月に修復された




山門に向かって右手に阿形が睨みをきかせている


左手には、これまた怖い顔の吽形が目を開いて立っています


常光寺の別名は「八尾地蔵尊」と呼ばれている


常光寺が有名なのは「河内音頭」発祥の地と言う事です


その説明書き


河内音頭は、元々 僧侶が念仏踊りを始めたのが由来とされているとか、室町時代にこの寺を再建する際、京から木材を運ぶ時、淀川、旧大和川と舟で運び、先頭の先導者の掛け声に合わせ、運搬者の掛け声が流し調の音頭になり、河内音頭の源流になったとも書かれています。



石垣の上にある鐘楼


常光寺は、私の尊敬する僧侶行基が奈良時代に開基しました、臨済宗南禅寺派の寺院で山号は初日山です、本堂に釣られた提灯には、三つ葉葵の紋があります、これは大阪夏の陣の時、徳川家康の家来の藤堂高虎が、必死に守り抜いた経緯があり、三つ葉葵の紋の提灯が釣られています


N69    アーケードの中程に、これはすごい「腹養丸」と有ります、薬局だったのでしょうか?


N70   これは懐かしいお肉屋さん(許可を頂き撮影しました)


コロッケ50円、串カツ60円、豚カツ150円 すごくない


思わず買ってしまいました、新聞紙が最高

やはり商店街は良いですね



N71   やはり空いていますね、今私がいるところが河内街道、鳥居の手前を横切るのが枝切街道です



N72   地元では、八尾の天神さんと呼ばれ祭神は、天穂日命とその子孫と言われている菅原道真です、また近年は、恵比寿神も祭っていて、学問と商売の神様のようです。


N73   明治に行われた廃藩置県により誕生した「河内縣」の縣廳の跡です


N74   そしてこの近代的な建物は、大信寺と言う真宗大谷派の寺院で、八尾御坊と呼ばれ商店街の名前の御坊前通りはここから来ています



N75   御坊前通りの南の出口です


N76    まもなく八尾街道にでます、淀川の仁和寺付近をスタートし、守口、門真、鶴見区、東大阪、そして八尾と巡って来た枝切街道は、この八尾街道と合流の交差点で終点です


八尾街道の大阪方面を見ます


同じく八尾街道の山手側を見ます、今も昔も八尾の中心部はどうやらこの辺りのようで、街道を通して人が集まったようです



長い間、お付き合い頂きまして、ありがとうございました


枝切街道は終わります