枝切・小坂街道(18) | としのブログ

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十三街道との出会い





N01    小坂神社の脇の街道からスタートします


N02   この交差点を左折して少し東進します




N03   「竜馬がゆく」や「街道をゆく」などの作家である司馬遼太郎さんの晩年のご自宅を改装し作られた司馬遼太郎記念館があります、その前にある歴史の道の案内

N04   司馬遼太郎記念館の建物です、今回は入場はパスしました、司馬遼太郎さんが大阪出身は知っていましたが、東大阪市の小坂にお住まいだったのは知りませんでした、お母様の実家が奈良県と言うのも親近感が沸きました


N05   何やら北参道とあります、ここは彌榮神社です



N06   神社の横にも西向きに鳥居がありますが、やはり一の鳥居から入ります


N07  左手の神社の玉垣(石柵)が途切れたところを左折して振り返ると


一の鳥居では無く注連縄柱ですが、ここから参拝します


綺麗に掃除された参道の石畳を歩きます


コロナが蔓延していた頃は閉鎖されていたところが多かった手水舎でしたが、こちらはきちんと水が流れていました


N08    この神社は彌榮神社(いやさかじんじゃ)といいます、地元では(やえじんじゃ)と呼んでいる


同じ境内には弥栄稲荷神社がある、神狐が可愛いですね

小坂神社から本殿で僅か150mしか離れていません、やはり歴史街道には神社仏閣が多いですね




ところで街道も含めてこの付近の道は、北西から南東へ続いているので調べてみると面白い事がわかりました


この地図は、大正時代末期の地図で、真ん中が真っ白です、これは川の跡です、実は旧大和川の久宝寺川のこの付近の川幅が非常に広く、この彌榮神社付近はその久宝寺川の東岸にあたり、その東岸に枝切・小坂街道が作られましたと言う訳です、だからこの付近の道は同じ方向を向いてた訳です


では、街道探索に戻ります



N09   曲がりくねった旧大和川の岸を歩く


N10   道幅は益々狭く成ります


N11    旧久宝寺川の東岸に沿って南下します



N12     同じような道幅の街道が続きます


N13   府道24号を横切ります



N14    この狭い道を南下します


N15   ここを右折


N16   今度は左折


N17   またまた右折


N18    お地蔵さんのある所に出ます



お地蔵さんには「大師堂」の提灯が掛かっています、弘法大師の事ですかね


N19    まもなく歴史街道同士が出会います


N20    この交差点の向かって右手から来る街道が十三街道で通称(俊徳道)、真っ直ぐ続く道は、平野道、そして枝切・小坂街道は手前から左折し少しの間、十三街道と合流し近畿大学の北側で、枝切・小坂街道は南下し、十三街道はそのまま東進します


西方、十三街道(俊徳道)を見ます、家並、道幅や雰囲気は歴史街道そのものですね


東方も雰囲気プンプンです、それにしてもこのお宅、最高です



この蔵も最高ですね


交差点の南西側に建つ道標、平野 御本山道とあります、これは平野道が、平野にある融通念仏宗の総本山 大念仏寺へ続く道です


さあ、東大阪から八尾に続く後半に入ります


つづく