枝切・小坂街道(17) | としのブログ

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近鉄を挟んで北と南で違う小坂




M85   前編の最後のところからスタートします、ここから南に700mの近鉄奈良線までは、街道らしい雰囲気はまったく無いので簡単に行きます


M86   この付近は北向きの狭い一方通行路です


M87   突然、二車線の広い道になります


M88   立派な大阪商業大学(大商大)があります、狭かった前の道を広げたのはこの大学の力ですかね、この大学を出て活躍している方も多いと思うので失礼ですが、私の大商大のイメージはクラブが盛んしか無いです


M89   大商大が過ぎるまた狭い北向きの一方通行路になります、元々は大商大が来るまでは、狭い北向き一方通行路が続いていました


M90   近鉄奈良線の高架に出ます、昔の街道はここを真っ直ぐでは無く、少し左斜めに進んでいたと思われます



M91   近鉄奈良線の河内小坂駅です


近鉄奈良線を走る阪神電車1000系、近鉄と阪神が2009年に相互乗り入れをして15年、私にはまだまだ違和感があります、大手の電鉄会社の相互乗り入れは関西では少ないので考えが古いですかね、しかし昔から近鉄と京阪とかありましたね


正にこの付近が小坂街道の小坂です、この近鉄奈良線を境目に南側は、狭い歴史街道が顔を見せます


M92   現在は宅地化されて区画がされていますが、斜めに通っていたと思われます


M93   ほらね車一台の狭さに成ります


M94    ここを右折します


M95  小坂神社の参道の入り口にある注連縄柱


その脇にある立江地蔵尊、四国八十八ヶ所巡りの第十九番札所の立江寺の礼拝所として全国に拡がっている、大阪にも多くの立江地蔵尊が存在する


M96   枝切・小坂街道を進みます、東大阪歴史の道の案内、谷岡記念館の谷岡は大商大の創立者ですね、司馬遼太郎の記念館もあるようです



M97   もうなにも言えません、これぞ歴史街道ですね


M98  小坂神社に到着です


朱色の柱、薄いグリーンの屋根、コンパクトにまとまった拝殿、この神社は1592年(天正二十年)秀吉の許しを得て、西堤村から十八世帯が移り住み、その鎮守として奈良は吉野の子守勝手明神を勧請したのが小坂神社である


枝切・小坂街道は神社の右手を進みます


拝殿の裏にある本殿

ところでこの小坂神社に手を合わせいたら、少しお足が悪い老人が、なにやら地図を片手に「近鉄河内小坂駅は、どう行きますか」と尋ねられたので、いっしょにわかりやすい所まで案内しました、歩くテンポに気を遣いながら案内すると、何度も何度も頭を下げられて居ました、「河内小坂駅に辿り付けたかなあ」と一人呟き、また小坂神社に戻りました


この小坂村は近鉄を南北に挟んで南側は道が狭くていかにも歴史街道らしい雰囲気を見せてくれた


さあどんどん進みます


つづく