東海村の村上村長が7月5日、テレビのインタビューで「脱原発」の意志を明らかにしました、勇気ある発言だと思います。茨城県・東海村は日本初の商業原発「東海第一号炉臨界(65年5月)」でも知られています。ここから10㌔ほどに私の実家があり、トイレなきマンションと皮肉られる原発があるのです。79年3月、米スリーマイル島での炉心溶融が発生、86年4月にはチェルノブイリ原発での事故、放射能は国境を越えて地球を覆った。そして3.11の福島第一原発での水素爆発、炉心溶融、格納容器の破損、放射能の大量放出、高濃度汚染水の発生です。この期になっても、国策として推進した政・官・財界のお偉ら方たちは、通り一遍の反省だけで「安全神話」をいまも唱え、地域独占体制、総括原価方式(いくら費用がかかっても電気代を上げること)を手放そうとはしません。電力不足、節電が日本中を席巻しているようですが、本当に「電力は不足」なのでしょうか!

大江健三郎さん 朝日のコラム『定義集』で「責任の取り方を見定める」ことなどについて書いています。
「原子力の平和利用」を政治家として先導した中曽根康弘氏の朝日のインタヴューを引用し≪大変な被害を受けたけれども、今度の事故にかんがみて、よくそれを点検し、これを教訓として、原発政策は持続し、推進しなければならない。(中略)それが今日の民族の生命力だ。世界の大勢は、原子力の平和利用、エネルギー利用を否定していない。≫ 沖縄県民の大集会、辺野古での抵抗の持続・・・いまは本土の私らがそれに学ぶ。
このコラム冒頭で大江さんは、健康の不調をいわれていながら、ニューヨークで圧倒的な復活をとげた小澤征爾さんに偶然会って、力強く 裁判、おめでとう!と言われたこと、立ったまま小澤さんが話し始めたのは、「3.11以後この国のテレビCMを満たしている社会的な気分の表現に、方向付けを感じないか」と言うことです。
「おれたち戦中の子供がよく聞いた、ヨクサンということばがあっただろう?」 (大政翼賛会のこと、自発的な協力態勢のようでいて、仕掛け人がいる) そう、「ガンバレニッポン」「日本は大丈夫」。
『原発溶融』は知人が作った自家製本。朝日・日経新聞の原発関連の記事をスキャン、長期に資料として保存したいと編集・冊子(180㌻)にしたものを戴いた。彼の立場は、脱原発だ。

「高木仁三郎が生きていたら」なんと言っただろうか!『朝日新聞』6/22、(懐かしい名前が出てきました)
倉本 聰さん (「原発 私はこう思う」・7/1 テレ朝・報道ステーション)
「僕は第二次世界大戦の敗戦の、あの厳しい状況から、ずっと66年間見てますから。こんな平和になっちゃって、こんなに贅沢になっちゃって、物があふれて、平気で捨ててということが、こんな、おかしく恵まれた世の中が続いてるってことが、あり得ないって気分が常に不安感としてあったんですね、だからこういうこと(原発事故)が起きた時に「あっ来た」とおもいました。
今まで通りの経済を発達させ、豊かな暮らしを享受することを取るなら、原発はどうしても維持でしょう。その時には、また今度みたいな事故が起きる可能性があるわけだから、それを覚悟しなくちゃいけないわけでしょ。
それを覚悟することがみんなに出来るか、それとも、その覚悟じゃなくて、少し使う側(エネルギー)を減らす、我々の足元を見直すということで、減らしていく覚悟があるか、どっちかの選択だと思うんです。
・・・そうすると経済が落ちると言う人がいて、僕みたいな意見を暴論だと言うが、僕はそっちの方が暴論だと思う。日本を滅ぼすのはどっちなんだって言いたい。
GNPが高い、世界有数の経済大国だっていう位置を捨てたっていいじゃないですか。僕はもっと日本って、小国になっていいと思う。小国になってもいいけど、世界から尊敬される国になりたいと思う、哲学をきちんと持ったね。
「原発に頼らない安心できる社会へ」という宣言を発表したのは城南信用金庫理事長 吉原 毅さん。(「原発 私はこう思う」7/5 テレ朝・報道ステーション)
「適正に計算し直すと、原発のコストは高い。地域への交付金や放射性廃棄物処理、事故対策などの費用に加え、事故があったときの補償費も、私たち金融機関からみると『経常費用』として計算に入れなければなりません。純民間ベースなら原発事業に融資する銀行は一つもないはずです」
「原発廃止の費用を除いて代替エネルギー導入のコストを計算すれば、電気料金はそれほど上がらずに済むかもしれない。70年代の石油ショックを受けて、省エネ技術の開発が進みました。努力もしないで、原発はなくせないと言い張るのはおかしな話です。これほど致命的な事故の可能性があるものに、なぜ依存しなければならないのでしょう?」
「適正に計算し直すと、原発のコストは高い。地域への交付金や放射性廃棄物処理、事故対策などの費用に加え、事故があったときの補償費も、私たち金融機関からみると『経常費用』として計算に入れなければなりません。純民間ベースなら原発事業に融資する銀行は一つもないはずです」
「原発廃止の費用を除いて代替エネルギー導入のコストを計算すれば、電気料金はそれほど上がらずに済むかもしれない。70年代の石油ショックを受けて、省エネ技術の開発が進みました。努力もしないで、原発はなくせないと言い張るのはおかしな話です。これほど致命的な事故の可能性があるものに、なぜ依存しなければならないのでしょう?」

内橋克人さん、NHKラジオ「あさいちばん」3月29日放送
福島第一原発事故はまさしく人災だと思う、それが追い打ちをかけている。「原発は安全でクリーンなエネルギーだ」と嘘を唱えてきた、その安全神話が崩れ、地震津波という自然災害に加えて人災が今、追い討ちをかけてしまった。「原発安全神話はいかに作られたか」、電力会社はもちろんのことだが、科学の名において「安全だ」と主張してきた夥しい数の学者、研究者、行政の責任は免れない、原発推進は今も各地で続いているのだから。
写真の『原発への警鐘』内橋克人著・講談社文庫1986年9月発行(同年4月にチェルノブイリ事故)。この本を引っ張り出し山に持参、再度じっくりと読み、内橋さんの警鐘が的を射たものに驚きます。
同書に高木敦賀市長・問わず語りの “たかりの構造”のくだり、若狭湾沿いに原発を林立させてきた原発先進地域の首長が、これから原発がやって来ようという町に出向いて行って語ったのは、「原発を持って来さえすれば、あとはタナボタ式にいくらでもカネは落ちてくる。早い者勝ち!」。
「困ることで嬉しいこと」では、放射能漏れだと。「大騒ぎしたのはマスコミだけで、地元ではシメタ!と叫んだ」という。売れなかった魚やワカメ・コンブなどの全てを補償や慰謝料として、日本原電相手と渡り合った手柄話さえ飛び出すのです。この講演会での発言が暴露されたあと、市長は「町のためにカネをとってきて何が悪い!」。

広瀬 隆さん 6/30 テレ朝・報道ステーション「原発 私はこう思う」で語る。
東京電力は先月末になって、3号機の非常用冷却装置の配管が損傷していた可能性を明らかにした。東電は、運転の際に破損した可能性が高いとして、地震の揺れによるものではないとしているが、広瀬隆さんは地震の一撃で配管が破損して始まったもので、津波によっての電源喪失というのは、そのあとのことだと。
・・・次の地震が迫ってるわけですよ、もう間違いなく来るので、いま太平洋プレートが動いているから。・・・原発をともかく止めてからじゃないと、僕の可愛い孫や友だちの子供たちがきちんと生きられる世界だけ、何とか残してから死にたいと思ってますけどね。
『東京に原発を!』広瀬 隆著・集英社文庫1986年8月刊、この本もチェルノブイリ事故後に発刊されて購入したもの。当時は読んだのだろうが、この本を買ったことさえ忘れていたのでした。今読んでも、内容は古くなっていません。