今日は全国的に快晴、東京などは絶好のお花見日和のようです。こちら八ケ岳山麓の今朝の気温は、アメダスによると大泉町で0.9℃と平年並みの陽気。2日から始まった信州諏訪の御柱祭、昨日も良い天気に恵まれました。3月20日、偶然にも富士見町で御柱の綱撚り現場に出会い、今年は何とか観たいとの思いが強くなりました。初日の原村からのスタートは悪天候で見合わせ、「山出し」の最大の見せ場、木落とし、川越しを観に行ってきました。場所は茅野駅近くということもあって、小淵沢駅6:46分発の下り始発に乗りました、約20分の小さな旅。帰りはホームが人で溢れ改札規制もあったとか、草臥れましたが15時には駅に戻り、早く帰って正解でした。

御柱祭とは、諏訪大社で7年に一度の寅と申の年に宝殿を新築、社殿の四隅に建ててある御柱と称すモミの大木を建て替える祭り、正式名称は諏訪大社式年造営御柱大祭。上社の御柱は、本宮、前宮の8本が原村から12㌔、氏子らの人力で曳行されてきました。下社の御柱には無いV字型の「めどでこ」に乗るのは、若手氏子の憧れとか、御柱のバランスをとる目的もあるようです。この日は4本が木落とし、川越しをして御柱屋敷へ、後の4本は今日(4日)に残されています。

写真の本宮一之御柱は、直径1㍍、長さ17㍍で重さは10tと最大級、本宮一を曳きたいという地区の人たちの思いは、諏訪で生まれていない私らには到底理解が出来ないものです。今年2月の抽選会で本宮一を射止めたのは、諏訪大社地元の湖南、中洲地区、「100年来の思いここに咲かさん」の垂れ幕の言葉に喜びの思いがこもっています。ラッパ隊、木遣の声も勇ましく届いてきます。木落とし前の心を一つにする大切なセレモニー、メッセージが観ている私達にも伝わって心が熱くなりました。この後の本宮一の木落としは、バランスのとれた素晴らしいランディングを見せてくれました。

木落としを見学したのは、茅野駅から15分ほどの線路際。有料の観覧席がぐるりとこの木落とし公園をとり囲み、近くで観るにはヘンス越しが良いのをネットで調べてきました。本宮一之御柱が10時、前宮一之御柱が11時に落とされるまでの3時間、頑張っての立見でした。鉄ちゃんならこんな写真撮るかな・・・本一が落ちる直前、乗務員の粋な計らいなのでしょうか、上り特急がゆっくりと通って行きました。左奥に霞んでいる山は左が蓼科山、右に北横岳です。

前宮一之御柱、この日二本目に落とされました。途中で落ちる柱が傾いて、めどでこが地に着いてしまうハプニングもありましたが、幸いけが人も無かったようです。木落としでは、死者が出ることもあるようですが、下社の木落としに比べると、こちら上社の木落としは比較的に安全なようです。

落ち出した前宮一之御柱、これに平然と乗るのが男だという、諏訪の氏子衆の代々受け継がれてきた心意気、すごいと思います。御柱祭はこの後、5月2日~4日に里曳き、6月15日に宝殿遷座祭と続き、秋には地区ごとの小宮の御柱祭と、信州諏訪は燃えるのです。

午後2時からは川越し、八ヶ岳などから流れ出した雪解け水を集めた宮川、中央道の後ろには雪を頂いた八ケ岳が、この日の川越しを祝うかのように顔を見せてくれました。私は八ケ岳を望む土手に、木落としを二本見て駆けつけましたが、二時間前でも座って観られません。午後の部も立見、御柱を曳く氏子の皆さんと同じょうに体力が必要でした。おそろいの腹がけと山吹色のトレーナー、ニッカボッカ姿のこの地区のラッパ隊には女性が半分ほど頑張っていました、ドラムも入っての進軍メロディー?元気に曳き手を励まし続けました。

本宮一之御柱が川に入り、冷たい水で洗い清められました。御柱が落ちる川底だけは、先がつかえないように深くなっているとのことでした。救護のために、ウエットスーツを着たレスキュー隊も川に入っています。川から上げるのも大変です、すぐそばに御柱屋敷と呼ばれる広場があり、ここで5月の里曳きを待ちます。御柱の後ろの「めどでこ」には、安全のためなのでしょう人は乗っていません。

地区の旗が先導して川に入りました。

本綱を渡す先綱は若者の役割、右にいる先輩が気合を入れているように見えました。

御柱スタート地点は原村、八ケ岳の登山口・美濃戸近くの実践農業大学下が綱置き場。ここで山から切り出したモミの木を、めどでこが入るように加工していました。本一などはシートが掛けられており、写真のは本宮三之御柱です。30日に撮ったもの、この日も交通規制がありました。2日の出発はどこで撮るかと下見を兼ねて立ち寄りでした。曳行初日の2日、強風雨のなかを御柱は予定通り7:30分に出発しました、合羽を着ての曳行は大変だったと。意気地無しの小生は、自宅待機でしたから申し訳ない気持ちです。

写真を追加
本宮一之御柱が雪解け水を集めた宮川に沈んでいます、山吹色のユニホーム姿が懸命に川向うへと御柱を曳きます。この写真に写った対岸は一般のものは立ち入り禁止、声援を送る人たちは川に入っている山吹隊と同じ、この御柱を曳いてきた町内の一般氏子らのようです。