もうすぐ立春ですが、今年は厳しい寒さが続いています。山国では「山眠る」冬が去って「山笑う」春を待ちわびていますが、まだしばし寒さに耐えながら雪を眺めて暮らさねばならないようです。長い冬の夜、ひもとくのは『北八ッ彷徨』山口耀久(やまぐちあきひさ)著のひたすらな八ヶ岳讃歌です。この本の冒頭にある「岳へのいざない」の初稿は、著者が1954年にマウンテンガイドブック『八ヶ岳』に書いたものですが、何度読み返しても良い文章だと感嘆するのです。お気に入りの部分を拾い出してみました。

1960年に出版された『北八ッ彷徨』の40年後に刊行された『八ヶ岳挽歌』。自然の沢山残っていた八ヶ岳の裾野と北八ッでは、開発の名の下に多くのものが失われていった。目に余る集団登山、百名山へ我も我もと押しかけ、旅行会社に踊らされる情けない中高年の自己喪失・・・そこここに悲傷のしらべを奏しているのが、挽歌の主題なのかもしれない。ぜひ一読を、お薦めします。

信州側の車山から見た八ヶ岳の全景 右奥に富士山も見えます。 クリックすると大きな画面で見ることが出来ます

ツクモグサが咲く稜線 主峰の赤岳が霞んで見える
八ヶ岳はいい山である。標高からいえば最高峰・赤岳は2899㍍、日本アルプスに次ぐ高い山だ。天につきあげる岩の頂稜には荒々しい情熱と迫力があり、高嶺の花はゆたかに咲く。それに、中腹を被う針葉樹林帯のみごとさと、裾野にひろがる高原の雄大さは、日本の山々でも屈指のものだ。山の姿がすっきりと美しく、取り付きやすいのもなによりだし、これだけすぐれた個性を持っている山は、ちょっとほかにはないようだ。・・・・・・・・

編笠山の中腹からは、南アルプスの山脈や山麓の様子を手に取るように眺められる。
山頂の展望のすばらしさを何と言おう。場所は日本本州のまんなか、西も東も南も北も見渡すかぎり山また山だ。遠い地平の果てに波濤のどよもしをあげる北アルプス、御嶽も見える。木曽の山なみも見える、南アルプスと奥秩父は八ヶ岳とは隣合わせのまぢかな距離だ。甲府盆地のむこうに御坂山塊を踏まえて立つ絵のような富士。荒船・妙義の老朽した山地の上に日光や赤城が遠くかすみ、噴煙をのせた浅間の左右に、上越、北信の山山が雲のように浮かぶ。だが、それにも増してすばらしいのは、眼の下に見おろす裾野の斜面の雄大なひろがりだ。それはひとを黙らせるほど大きく広い。・・・・・・・・・

右奥に北八ッの縞枯山が見えています。
南八ヶ岳を動的な山だとすれば、北八ヶ岳は静的な山である。前者を情熱的な山だといえば、後者は瞑想的な山だといえよう。北八ヶ岳には鋭角の頂稜を行く、あの荒々しい興奮と緊張はない。原始の匂いのする樹海のひろがり、森にかこまれた自然の庭のような小さな草原、針葉樹に被われたつつましい頂や、そこだけ岩塊を露出しているあかるい頂、山の斜面にできた天然の水溜まりのような湖、そうして、そのなかにねむっているいくつかの伝説――それが北八ヶ岳だ。・・・・
八ヶ岳のよさについて――ぼくのいざないが、諸君の心にあこがれの火を点じてくれることを。諸君のあこがれが実際に諸君の山での喜びと苦しみで充たされることを。

雨池峠分岐 この辺までなら直ぐ近くに縞枯山荘もあり、厳寒期でも安心してスノーシューでの散策が出来ます。


美し森からの八ヶ岳 左に権現岳、中央の黒い牛首山の右後ろに赤岳、横岳が連なる

八ヶ岳連峰の東側を、野辺山高原から見たもの。

北八ッで双耳峰をもつ天狗岳 左に東天狗岳、右にゆったりとした西天狗岳

北八ッはシラビソ、コメツガ、トウヒなどの針葉樹林帯に被われ岩や木々の幹も一面、ビロードのような苔に被われている。

八千穂高原の白樺群生地

高見石から見下ろした白駒池
『北八ッ彷徨』に書かれた1960年頃は、麦草峠を越え茅野に至る道路(国道299号線・メルヘン街道)などはなかったので、訪れる人も少なく静かな山旅が出来たのでしょう。夏には白駒池などサンダル履きで来る人もいて、『八ヶ岳挽歌』で山口さん嘆いていることが現実のものとなっています。