なんて、話がありますが、、、
それは、日本全国、、、いや、全世界 共通と言って良かろう。
秩父の山奥も、「お金」になる「石」がそこいらじゅうに転がっているから、、、、
団地は有るわ、デパート有るわ、高級車が走っているわ、、、、(*'▽')
これは、例えば、北海道の夕張や、福岡県の筑豊などのエリアも、かつて、こうだったんだなぁ~
気付かされますね。
「地方衰退」と言われて、数十年。
「衰退」していない「地方」は、どうなっているか。
端的に申しましょう。
「金が有る」「仕事が有る」
地方衰退の主要因を、政治家や報道は、「福祉」がなっていないとか、「交通が不便」だとか、言い張っている。
「秩父」と言う「高速道路も無い 辺鄙な山の中」、、、、
常識的に考えても、地方衰退の先方の街だと、思う方が居るだろう。。。
でも、この街には、「地元資本のデパート」もあるし、「神社」は、「金銀で飾られている」し、「市役所」は、令和に新築!
東京の「電気屋チェーン」が、しっかりと、お店を出している。
でも、帰りに、東京に近い「飯能」「所沢」で途中下車してみたが、、、
こちらは、典型的に「人口縮小 ベットタウン」となってしまっていた。




「石灰石鉱山」 秩父・武甲山



武甲山の石灰石の山を見て、秩父の街を歩くと、石炭炭坑の街が、昭和時代、どう思われていたか。。。。
鉱山の周りの得てして、山の中の地で、農家もそんなに実りが得られなかったであろう。
その中で、鉱山があって、毎月、しっかりと、給料が支払われて、買いたいものが買えて、
そして、何よりも、鉱山の近くには、「食堂」や「呑み屋」「映画館」などの娯楽施設も充実していた。
昭和の時代。
「夕張」や「筑豊」などの「石炭鉱山」を、映画やマスコミは、「悲惨な労働」「悲惨な炭坑街」と、書きまくったが、、、、
いつも、秩父を歩いていると、、、、
「鉱山」と言うのが、実は、辺鄙な地の「農家」の「若者たち」にとって、
素晴しく「かっこいい 街」だったのだろう、、、、
戦後の「社会科教育」において、
私は、「教師」たちの「平和主義」や「左翼化」によって、その「鉱山本質の社会発展」を、「 ” 全面否定的 ” に学習させられた」と言う印象を、ちらっと、感じてしまいました。
ははは、、、、20世紀の名歌を思い出してしまったよ、、、(*'▽')
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