土曜日は、茨城県=常陸国の国府であった「石岡」の街を歩いて見て、かなり、認識のミスをしている可能性を、感じてしまいました。
石岡駅を降りた段階では、
あ~やっぱりなぁ~
って、呟きながら、綺麗に成った駅舎を撮っておりました。
でも、町に出てみて、、、、
うん、なんか 概念の違和感を感じてしまいました。
茨城県石岡市 中心市街地を歩いて見て、
私の偏見は、実の所、他の方も感じているかも、、、
って、思ってしまいました。
それは、、、、
2011年3月11日
茨城県、福島県、宮城県、岩手県は、壊滅してしまったと言うイメージで、私は、行ってしまいました、、、(*'▽')
当然、「福島県」の「会津地方」などは、何も被害が無かった事は、十分承知していましたが、、、
関東地方の一番の被災地「茨城県」は、街並みや史跡の「タイムリミット」が一度、起きたと思い込んでおりました。
そう、石岡も、街並みには、「昭和時代」どころか、「江戸時代」を思い起こさせる建物が、個人商店や個人住宅として、使われ続けておりました。
ただ、、、私のイメージ先行は、若干、私個人の間違えだけでは無い可能性も、街並みの中で感じ取ってしまいましたが、、、
シャッターが閉じてしまっているお店には、閉店の張り紙
そして、看板が外されたお店も、、、
実は、私もこの「常陸国 国府」であった「石岡市」も「東日本大震災」で、
昭和すら、残されていないであろう、、、
と言う「認識」で、出掛けてしまいまして、、、
茨城県=どこもかしこも、新しい地へと、変わらざる得なかったであろうと言う認識でした。
そして、東日本大震災によって、それまで、地に埋まっていた「国府跡」を発掘することが出来たんだろう と言う前提で、茨城県の石岡市に行ってしまいました。
ただ、町の中心は、ご覧のように「江戸」「明治」の建設様式の建物が、たっくさん、完全な形で、建っており、、、
「茨城県」=「東日本大震災」で「古い建物」が一切合切、壊されてしまっていると言う「誤認識」を、石岡市街地を歩いて見て、大いに、反省させられました。
14時の段階で、「いいね」が上限に達してしまいました。
今後、時間が出来た際に、再度、「常連」の皆さんにも、「いいね」の返信にお伺いいたします。
ただし、今日も、これからも、私の生き方に関係のない「セラピスト系」の方には、「いいね」をお入れしません。
ご理解ください。
このコメントを書いても、まだ、「アクセス数」「いいね数」の確保のために、
順位の高くなりやすい 私のブログに、セラピスト系の方が「いいね」を入れてきますが、
返信も、閲覧もしませんので、ご理解ください。
今まで撮ってきた写真を「PhotoLibrary」にも掲載しています。良かったら、見に来てください!!
(サイズの大きい写真も掲載しています。必要であれば、PhotoLibraryにてダウンロードしてください。)
https://www.photolibrary.jp/profile/artist_13428_1.html