

所沢街道を東へ進むも、、、、
潤いに出会えず


西武線沿線 住人なら、知っていると思う。
西武線には、「田んぼ」が無い事を。
所沢より、西、北よりは、「入間川」の「水」があるのだが、、、
それよりも「東側」と「南側」は、「田無」と言う都市名に、名指しさせられるほど、「田んぼ」が無い。
その根本的理由は、「川」が無い事。
所沢から、飯能、入間方面は、「入間川」
所沢から、東久留米、清瀬方面は、「柳瀬川」
大泉学園から、北方向に「白子川」
そして、石神井公園から湧いた「石神井川」
しか無い、、、、(*'▽')
多摩川や、荒川と言う大規模河川は、通っておらず、、、
武蔵野台地と言う「台の上」であるがために、、、
「水害」が無いモノの、、、
かつての「水道」(この辺りのメイン水道は、「玉川上水」の支流)の無い「関東ローム層」の水が地中に消えって行ってしまう地には、、、
「田無」。
所沢街道を歩いて見て、これほど、「田無」を思ってしまうとは、、、
思わなかった。
江戸時代の通貨単位は、「石」であり、それは、当然、「米の収穫高」であった。
その中で、「畑」でしか生きられない、、、、
「多摩」
武蔵野台地の人々が、どれだけ、難儀したか、、、(*'▽')。。。
その難儀は、この一帯の「名物」に良く表れているように思う。
「狭山茶」
「保谷梨」
「清瀬トマト」
「練馬大根」
まぁ、川が無い割には、広大な「台地」が広がっていることが、、、
近代史に大きな影響を与えたようです。
ちなみに、「三鷹」は、ニンジンだそうです。
今でこそ、「武蔵野台地」は、地震に強く、水害に強い
とされて、「高級な地」と言うイメージで見られがちですが、、、
かつては、井戸を掘っても、かなりの深みまで掘らないと、水が出てこないほどの、、、
「不毛の地」でありました。
そのために、「所沢」や「立川」「拝島」に、広大な高台の地が、残っており、、、
明治維新後の「陸軍」の地になった「背景」があるようだと感じてしまいました。
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