

京成電車で、江戸時代の「利根川」であった、「江戸川」を渡りて、すぐに、、、


「こうのだい」
到着。
漢字だと「国府台」
駅自体は、川上にホームが架かるほどの低地領域なのですが、、、

駅を出て、北側に進む道路は、見事なまでに、登り坂で、途中に、


「国府神社」発見。
ただまぁ、見ても分かる通り、かなり、小さな神社で、これが国府の「大社」的なモノでは無く、戦後のなどに建てられた、新たな神社であろうと感じてしまいました。


国分寺跡を目指して、坂道を上っていくと、、、

突如、どでかい建物に遭遇。
「和洋女子大」
で、この一帯の地図を見返してみると、、、

和洋女子大以外にも、「国府台高校」や「千葉商業大学」、そして、「国府台病院」がありました。
それだけ、広い土地が「余っていた」ことを、大いに物語っているように思います。
でも、、、、国府台病院の方向に行ってみたら、、、

病院が、、、、、
廃墟になっていた、、、(*_*;
夜に来なくて良かった、、、
これは、心霊スポットになっていそうな雰囲気でした、、、
そして、坂道を上った先で、


江戸川で構成された「下町」の見渡せる高台となっておりました。
大昔から、この江戸川、隅田川、荒川放水路の流れる「総武線」「京成線」一帯の「下町」と言われる地域は、水害被害が多く発生していて、
私のイメージとして、こんな「市川」などと言う江戸川の目の前なんぞに、
「下野国」の「国府」を設けたのか、、、不思議に思っておりましたが、、、
行ってみて、確かに、周りからすれば高台で、そして、国府から「下町」を見下ろせる地であったことが分かりました。
下総国と言うのは、千葉県の北部一帯と、現在の埼玉県東部(日光街道沿い)一帯を指すようなのだが、、、
この一帯と言うのは、「利根川東遷」が行われる以前は、「水害」の発生が多く発生しており、都の安全と言う意味で、この市川の「高台」に決められた雰囲気を感じてしまいました。

「SANALOG:Weblog雑記」
【地域呼称】南房総(南総・房州)、外房を図解化( ゚д゚ ) [房総半島(千葉県全域)](2015-03-10)
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2015-03-10
に語られていた「千葉県の国境」のお話の図を、使わせて頂きました。
利根川東遷以前の「下総国」は、現在の「埼玉県 春日部市」などの江戸川流域が、「下総国」だったそうです。
どっちにしても、現在の利根川の水が、全て、「江戸川」に流れていたのが「江戸時代以前」の「河川状況」であった中で、かなり、水害が起きやすい国であり、そのために、これだけの高台に国府が設けられた可能性を大いに感じてしまいました。
今回は、下総国領域の中で、現在も「千葉県」であるこの「市川」から「流山」「野田」と、「流山街道」を歩いてきました。
今週は、下総国の実情を書いていきます。
15時の時点で、「いいね」が上限に達しました。
本当に先週は、多くの方に見に来て頂き、ありがとうございました。
今週も、下総国旅に、お付き合いください。
そして、今まで、「いいね」回数が、「50回以上」の常連の皆さんには、明日以降、返信に上がります。
今まで撮ってきた写真を「PhotoLibrary」にも掲載しています。良かったら、見に来てください!!
(サイズの大きい写真も掲載しています。必要であれば、PhotoLibraryにてダウンロードしてください。)
https://www.photolibrary.jp/profile/artist_13428_1.html
私が最近、「国府」詣でにハマってみて、大いに気付かされているのは、「地歴」をしっかりと、学者たちがもっともっと、その地の「民」に教えないといけないんじゃないかと、感じ始めてきました。
地歴と言っても、「地理・歴史」では無く、「その地の歴史」を。
その地の歴史を教えてこなかったから、「その地」で起きた「災害」を今の民が知らずに、「近代技術」や堤防などの「災害軽減措置」によって、「災害は再発しない」と、常に、学者たち(特に土木系)は、最新の技術で「災害」が軽減されていると、胸を張って、言っているが、、、
「災害」の根本である「その地」の山や川、丘、湖、海などの避けて通れない「その地の特徴」で、災害が「いつでも」起きることを、もっともっと、歴史的観点から、見直してみるべきだろうと、感じてしまいました。
戦後から今まで、「災害」は、「堤防」や「コンクリート壁」で、防げると信じられてきましたが、、、
「温暖化」の進行や、未曽有の「大地震災害」は、発生によって、「人」が作った物では、「防ぎきれない時代」に達しつつあるように思います。
そうなれば、逆に言うと、昔々、そのまた、昔の「災害」や「海水位」の情報をしっかりと、研究し、再度、「海水面上昇」などが起きた時に、どのような地が、どのように被害が出て、そして、どうすれば、被害が防げるのかを、もっと、もっと、我々、民衆に、分かりやすく伝えて欲しいと、昨日の流山街道散歩で、大いに感じてしまいました。
これから、ますます、温暖化によって、「水位上昇」や「豪雨災害」が起きやすい時代になります。
皆さんも、お住いの地域や、仕事場の「歴史」を探って、命、財産の安全を、どう守るか、しっかりと、検討してみてください。
そして、「新しい街」(今回は、「流山おおたかの森」など)は、なぜ、昔に、「開発」されなかったか? も、探ってみると、例えば、その地は、水害の多かった地だから、開発されなかったなどの今後の「大規模災害」の際の「被害状況」を、把握しておけば、発生した際に「自分の身を自分で守れる」ようになるかと思います。
様々な地を旅してみて、その地の「造成史」「災害史」と、温暖化した現在の災害発生時の状況が、重なってくる可能性を、大いに感じてしまいました。