「鮮魚」が食いたきゃ~ 汐留・東神奈川へ、行け!(いいね返信上限) | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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沼津から、伊豆方面に流れる「狩野川」に架かる 東海道・「御成橋」から「富士山」を眺めてみたら、

 愛鷹山 に遮られておりました。


この御成橋は、私のような東京都民には、隅田川「永代橋」とそっくりで、私ですらも、他の方が「永代橋」を撮りました~と言われると、間違えるだろうと思ってしまいました。

三島から、清水町を抜けて、御成橋を越えて、沼津に入りました~






橋を渡って、沼津港に到着するも、、、

朝8時前だったような気がするので、誰も居ないし、店もやっておらず、、、

通り過ぎるだけのはめに陥りました。





かつて、この沼津港から、東京・汐留に向けて、「鮮魚列車」も走っており、沼津港~沼津駅までには、廃線跡も残っておりました!


ちなみに、この鮮魚列車は、こちらにも、走っていたそうですよ〜









JR高島線 支線「横浜市場線」

「高島線」=根岸線「桜木町駅」で、海側に分かれていく

現在は、ほぼ、石油貨物列車しか、走っていない「根岸線」「高島線」を、かつての自動車輸送が無かった時代、、、
(横浜港に入る「海上コンテナ輸送列車」も一部あり)


沼津や、石巻などから、毎朝、貨物列車が到着し、、、
高島港駅で枝分かれした「横浜市場線」で、






横浜市場へ 魚が届いていたそうです。

まぁ、トラック輸送がメインになって、市場線は、廃止になってしまいましたが、、、

日本全国の都市にある「旧市場」などには、必ずと言っていいほど、「貨物支線」がはしっておりました。

それは、東京の中心地「汐留」にも、、、それは、会社帰りに、後ほど、、、


自動車・トラックが「輸送」の中心になっていくのは、高速道路の整備が進む「昭和50年代」ごろからで、それまでは、日本全国から速達で荷物を届ける存在は、「貨物列車」でした。

そして、現在のように「コンテナ」と言う「トラック」に乗せ替えて運ぶと言う事も、「自動車免許取得者が少なかった事」や、「高速道路の整備」が進んでいなかった時代には、地方の鮮魚を「東京」「横浜」「大阪」などの「魚市場」に新鮮に送る手段は、「貨物列車」しか、無かったようです。

トラックが発達し、高速道路の整備が進み、「冷凍・冷蔵技術」が進み、「鮮魚列車」の役割は消えて、日本全国にあった「市場線」が、消えていくと言う時代になって行ったそうです。
(以前行った「鉄道博物館」の案内によれば、、、)

横浜市場線の案内については、私よりも、こちらの方のホームページの方が、分かりやすいので、気になった方は、ご確認ください。


三井倉庫線/横浜市場線/貨物支線
(DEPUTURE)

https://tks-departure.sakura.ne.jp/h-takashima.html



本日、多くの「常連」のみなさんに「いいね」の返信にお伺いいたしましたが、まだまだな気もするので、後ほど、今日、「いいね」返信が出来なかった方々に、返信に伺います。
(先週初めに、「いいね」を入れて頂いた方々には、お送りできませんでした)



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