「富」の象徴 「家」 | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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「富の象徴 家」

港・宿場町・雪国

「家」が違う。

見えてくるのは、「富」が違うだけでなく、「配分」が違う印象も、感じた。












港町 伊東の「家」

間口が狭く、そして、本当に密集している感じがする。

これは、「港町」に行くと、どこもかしこも、こんな感じ。

漁師たちは、遠洋漁業であれば、何か月も帰らず、
帰っても、すぐに「漁」に出る。

そして、「漁」には、「死」がつきものであった時代、、、
「家」に「主」の部屋を設けても、去って行ってしまう時も、多かったようだ、、、

だが、魚は、昔も今も、「富」。
だから、「家」は持てる。

その代わり、漁に出た者が同じレベルで、皆が家を建てようとすると、、、
もともと、手狭な「港町」で、「小さな家」にならざる得ないのであろう、、、

そして、多くの家の脇に、「網干」(あみほし)が並んでいるのも象徴的!















宿場町 栃木の「家」

「間口」は、あまり、広くはない。

だが、、、「奥行」は、だだ広く。

裏に出ると、蔵までそびえている。

江戸時代まで、江戸幕府は、「商店」に「店の間口」で、「税金」を換算していたそうだ。

二間店、三間店のように。

なので、商人たちは、「店の入口(間口)」を出来るだけ、小さくして、節税し、その代わり、蔵、家や、部下の寮などを、裏に作った。

そのために、日本の「商人街」は、「表」が狭いが、「奥行」の広い「店」が多い。

小江戸・栃木でも、大いに感じてしまいました。

ちなみに、三越などの「間口」が広い「お店」は、基本的に、「江戸時代」に大成功したと言って、過言でない気もします。




栃木には、「花火屋」もかなりの、間口を持っておりました!









アーケードの街 高田

普通、「アーケード」と言えば、大都市の商店街などが、お客さんを「雨」に降られないようにすることを、目的としている。
東京も、高円寺や、中野などのアーケードの街は、象徴的だ。

だが、、、、「北陸」「豪雪地」の「高田」にも、街中は、全て、アーケードに覆われている。

通常、「防雨」が目的の「アーケード」。
でも、豪雪地に行くと、それが、「雪」へと、変わる。

越後湯沢も、高田も、アーケード街が街の至る所に繋がっている。
それも、「個人宅同士」で。

だから、東京や大阪などで、語られる「商店街」の「富の象徴・アーケード」が、、、
北陸では、無いと生活できないほどのモノになっていることを知りました。

雪で埋もれて、お隣に行くにも、スコップで雪かきしないと進めないほどの「冬」になるんだろうなぁ〜
って、痛感させられた。

ただ、豪雪地帯と言うのは、本当に、北陸の山間地帯だけなので、、、

直江津では、、、




まったく、「ひさし」が無くなりました!!!



やはり、街の姿と言うのは、その地の特徴を、よく物語っている気がしました。



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