上田から千曲川を越えて、間の宿へ
その地は、本道と西往還が合流する
今でも、交通の要衝と言って過言ではないだろう。
ただ、江戸時代当時は、あくまでも、「合流する宿場町」と言う「間(ま)の宿」として、正式に「本陣」が置かれた宿場町では無かったそうだ。
篠ノ井
「北国街道:篠ノ井追分宿
https://www.nagareki.com/kaidou2/zenkouji/sinoi.html
「篠ノ井追分宿は幕府から認められた宿場町ではなく丹波島宿と屋代宿との間宿でした。その為、正式な意味での本陣や脇本陣、旅籠といった施設は設けられませんでしたが北国街道と善光寺西街道の分岐点となった為、多くの旅人や善光寺詣での参拝客で大きく発展しました。」
鉄道マニアなら、名古屋への「篠ノ井線」と「信越線」の合流駅として、あまりに有名なのだが、、、
信越線が、「しなの鉄道」になり、東京から長野は新幹線になってしまったことで、かなり、分かりにくくなってしまったかなぁ〜
って、思ってしまいました。
間の宿とは言え、なかなかな風情が残っておりました!
そして、篠ノ井は、、、
「書道の街」だそうですよ〜
いいね!信州スゴヂカラ
「書道のまち!長野市篠ノ井の書在地」
https://www.abn-tv.co.jp/sugodikara/backnumber/2020-12-19/
「長野市のJR篠ノ井駅前に“書道の町篠ノ井”と書かれた標柱があるのをご存じでしょうか。そこに驥山(きざん)館へ730mとの情報が。
街並みを抜けるとその建物はありました。驥山館とは川村驥山という書家の美術館でした。
彼は戦後の書道界をけん引した、書道界初の日本芸術院賞を受賞した天才。」
が、いらっしゃったそうです。
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