やっぱりそこは、あの樹の街でした、、、 | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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やぱり、そこは、あの樹の街ですね~

まぁ、この街が、あの樹を全国に知らしめたと言っても、過言では無いのだろうが、、、

でも、駅前に、こんな物を自慢的に飾ってある駅は、私も日本全国を旅する中で、ほぼ、初めてに近い、、、






ガスタービンのプロペラが、駅前にどうどうと、我が町の誇り! と、飾られておりました。









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もともと、山の上に在った銅山が有ったのだが、明治初期まで、鉱毒等の発生により、開発が出来ない状況であったのだ、、、

明治後半に「井上馨」さんの援助の元、「久原房之助」(日立創業者)が、電力化や重機械の導入によって、「日立銅山」の開発に成功し、精製、銅の活用、機械開発や製造により、現在の「日立製作所」や、電機の「HITACHI」が、生まれたそうです。

当然、日立鉱山は、どんどんと、掘り尽くされてしまい、、、

1981年(昭和56年)9月30日、日立鉱山は閉山となった。
そうです。


しかしながら、あまりにも、海と鉱山の間が近く、「日立製作所」の存在が大きく、他の「足尾銅山」などに比べて、閉山によって、人口が愕然と減り、過疎化すると言う事態は無く、現在も




ドトールがあったり、、、



呑み屋街があったり、、、



日立市のホールや、科学館があったりと、、、





やはり、「HITACHI」の存在の巨大さを、大いに気付かされました。

今回は、日立駅周辺だけを回って来ただけだったので、いつか、日立鉱山の方も行ってみようかと、考えてしまいました。

そして、日立駅からの海側の崖を眺めてみて








そして、日立駅の展望台から海を眺めてみて、「HITACHI」の街が、高台にあったことも、日立の発展理由なのかもしれないって、感じてしまいました。




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