





この石の谷間を眺めた時、私ですらも、これは、「石」で生きよう~
って、思っただろうなぁ〜
今でこそ、コンクリートの原料である「石灰石」と言うのは、「武甲山」などの「山」から削り出してくるものなのですが、
発明当初は、「河原の石」が使われておりました。
そのために、東京などの都市部の周辺には、「河原への貨物支線」が一杯走っておりました。
でも、その河原の石を持ち去ってしまうと言うことは、川の深さを変えてしまったり、川の流れを速めてしまったりと、「水害」への問題によって、河原石の建築資材の利用が、禁止されました。
そのためかどうかは、分からないものの、、、
河原石に変わる「コンクリート建築資材」としての「石」の存在が大きくなり、そこで、「秩父」の「武甲山」が「石灰石」の山であるとなり、「秩父セメント」が出来たと言う歴史があるのでは無いかと、
私は、「長瀞渓谷」に感じました。

先週分の「いいね」「ペタ」の返信が、20:00の段階で終わりました。
今週は、秩父の過去と現状と、会社帰りの写真、UPしてこうと思います。
よろしくお願いします。
今まで撮ってきた写真を「PhotoLibrary」にも掲載しています。良かったら、見に来てください!!
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