

「 石 」
日本と言う国は、基本的に、「木」の文化であり、「木」の家であり、「木」の神であるのだが、、、、
西洋は、考えてみると、「石」の文化であり、そして、そこから派生した「鉄」と言う新型な素材を生み出して、「木」の社会である「東洋」を打ち負かした。。。


東洋においては、木であったがために、動かすにも「川」やまたは、数十人で山から木を伐り出してくることで、そんなに人手も無く、社会は成り立っていた。
でも、石の文化であった、西洋は、石を切り出して、野に石の家を作るために、人が多く必要になってしまった。
そのために、戦争において、「奴隷」と言う制度を作り出したのであろう。
今回、宇都宮に来たかったのは、本当は、「大谷石」の「石切り場跡地」を見に行きたかったからなのですが、、、、
月曜日にお書きしたように、土曜日の電車運行は、どこもかしこも乱れていて、、、
予定では、宇都宮から「大谷石切り場」までのバスに乗るつもりだったのに、「一日5本」しか走っていないバスは、朝一本を乗り過ごすと「夕方」まで無いと言う有り得ないレベルの過疎で、電車が遅れたことで、その朝一のバスに乗ることが出来なくなって、そして、「大谷石」の石切り場にも行けなくなってしまいました。
でも、宇都宮市内には、ここ「松ケ谷教会」などの「石造建築」が意外とあって、やっぱり、石の街だったんだろうなぁ〜って思ってしまいました。
でも、当然、石なので、運ぶのも、割るのも、積み上げるのも「木」に比べて大変であるために、、、、
いくら、宇都宮市街でも、今でも残る「大谷石」の建造物は、この「松ケ谷教会」と駅近くの公衆トイレと、個人宅の「石倉」しか、残っていませんでした。。。(*'▽')
今では、石も「石灰石」と言うものを小粒サイズの「砂」にして、それを、セメントと言う「石油系凝固剤」で止めると言う「荒業」によって、
「コンクリート」と言う
「西洋」の「石文化」が違う形となって、今に続いていることを、考えさせられてしまいました。
今回の「大谷石」の町 宇都宮に来てみて、今はまだ、「コンクリート」と言う「石」の時代だが、そのうち、どこかしらでまた「木」の時代が世界を作り出す時代がやってくるんじゃないかと、大いに感じてしまいました。
それは、「宇都宮」の街風景のように。


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