城は廃すも、権威は廃せず! | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

いつも見に来ていただいき、いいね!、ありがとうございます。
お返しは「日曜日」に集中して行っています。
よろしくお願いします!!

カメラで日々、撮っている日常風景を載せています。写真の著作権は放棄していません。無断使用はご遠慮ください。




御三家 「駿河城」

廃藩置県によって、御三家「駿府藩」も、「廃藩」し、「静岡県」となった。

そして、城は、廃した。

かの「安政東海地震」で、壊滅した「駿府城」を、江戸幕府は、名誉を賭けて、復元したと言うのに、、、
その「名城」は、「静岡県」になった「明治維新」の時になんと、「茶畑」へと、転用された!!!

しかしまぁ、その後の「大正関東大震災」でも、「昭和南海地震」、「昭和東南海地震」でも、大きな崩れも無く、「令和」に至る。

そして、現在、その城跡=茶畑跡は、遺跡発掘調査が行われておりました!!!






そして、この駿河城の堀を囲むように「近代・静岡」を代表する建物が、軒を連ねておりました!!!



「静岡県庁」



「静岡市役所」



「静岡銀行 本店」

今回、この静岡の近代名跡を回ってみて、大いに感じたのは、「昭和東海地震」が無かった事が、この街を今の形のまま、残せている証拠なのだろうなぁ〜

って、大いに思ってしまいました。

静岡市内の「清水地域」に行くと、あっちこっちに、「東海地震」に伴う「津波」からの避難タワーが建ち上がっておりました。

当然、「東北大震災」の教訓と言う事と共に、静岡県の沿岸地域と言うのは、戦中から今まで、ず~っと、「東海地震」が起きるって、言われ続けておりました。

それは、
大正12年(1923年)に起きた「関東大震災」
昭和19年(1944年)に起きた「東南海地震」(浜松沖)
昭和21年(1946年)に起きた「南海地震」(三重~和歌山沖)

に連動して、「東海沖」と言う「静岡県」沖合でも、大地震が起きると、大いに言われておりました。。。

でも、令和の今になっても、起きず。。。
「平成東北大震災」などの大地震の発生の方が先に発生してしまいました。

今回、静岡を歩いていて、意外と古い庁舎や、街並みが残っているなぁ〜って思ったのですが、、、
どうも、東海地震があれだけ起きると言われていながら、予想外に「地震」が起きなかったのかもしれないと、ちょっと、古い町並みと、庁舎たちを眺めていて、思ってしまいました。





今まで撮ってきた写真を「PhotoLibrary」にも掲載しています。良かったら、見に来てください!!
(サイズの大きい写真も掲載しています。必要であれば、PhotoLibraryにてダウンロードしてください。)

とし@photolibrary

写真素材フォトライブラリー